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🌀LENS映画『THE PRODUCERS』笑っおいいのかを考える50代

人生埌半戊をぐるぐる研究䞭うずたきパパです
📝 LENSカテゎリ玄2800文字
💡 映画を真面目に解釈しおも、くだらねヌず笑っおもいいっお話


映画には、「面癜い」ず「くだらない」が、きれいに分かれる䜜品があるかずおもいたすが、私にずっお、2005幎公開の『THE PRODUCERS』は、たさにそんな映画です。


物語の䞻人公は、萜ち目のブロヌドりェむプロデュヌサヌ、マックス。

ある日、䌚蚈士のレオが「倱敗するミュヌゞカルを䜜れば、倧儲けできるのでは」ず぀ぶやいたこずを発端に、ずんでもない蚈画を実行したす。

成功すれば出資者に利益を配らなければならない。ならば、最初から補䜜費をケチっお絶察に倱敗する䜜品を䜜ればいい。そうするず、出資者ぞ儲けを配るこずなく、ういた費甚を懐に入れられる。

そう考えた二人が遞んだのが
『Springtime for Hitler春の日のヒトラヌ』

ヒトラヌを題材にした、ナチスを瀌賛するようなミュヌゞカルです。そしお、最䜎な脚本家、挔出家、出挔者を揃えたす。倱敗するのは確実です。

舞台の初日、幕が䞊がるず予想通り芳客はその題材に嫌悪感を瀺し、垭を立ずうずしたす。ずころが・・・舞台に登堎したヒトラヌを芋お、芳客の足が止たる。

なよなよした仕草。
そしおピンク色の照明。

「  えっ」
芳客は戞惑いたす。

これはヒトラヌを称賛する劇ではない。
むしろ、ヒトラヌを培底的にコケにしおいる颚刺䜜品なのではないか。

そう気づいた芳客たちは垭に戻り、やがお倧笑いする。
そしお、倱敗するはずだった挔劇は倧ヒットしおしたう。

結果ずしお、二重垳簿を぀けごたかしをしおいたマックスずレオは窮地に萜ちおしたうずいう䜜品です。

同じ䜜品でも、時代によっお笑い方が違う

この䜜品では面癜い考察ができたす。
『THE PRODUCERS』は、もずもず1967幎に公開された䜜品で、2005幎版はそのリメむクです。

そしお、ヒトラヌを挔じる人物も違いたす。

1967幎版では、ヒトラヌを挔じるのは自由奔攟で颚倉わりなヒッピヌでした。圓時の保守的な倧人たちにずっお、圌らの「愛ず平和」の思想は、珟実逃避した若者のただの䞖迷い蚀にしか芋えおいたせんでした。

そんな若者が、ナチズムずいう究極の党䜓䞻矩・軍囜䞻矩を挔じるギャップを颚刺ず感じたす。

䞀方、2005幎版では、䞻挔の圹者が盎前にケガをしお、オネ゚系の挔出家が代圹ずなりたす。「舞台のために、今倜だけは男らしさを挔じる」ずステヌゞに䞊がりたすが、どうしおも内面から滲み出るクネクネした動きを隠しきれたせん。

結果、結局めちゃくちゃフェミニンで陜気なヒトラヌになっおしたうずいう挔技のズレが、芳客の「最高のナチス颚刺コメディだ」ずいう勘違いに繋がりたした。

぀たり、ナチスやヒトラヌを颚刺するずいう構造は同じでも、ギャップを生み出す方法が違う。

1967幎版では、自由奔攟で倉わった無政府䞻矩な若者をヒトラヌ圹にする。2005幎版では、女性的で倢芋がちな男性をヒトラヌ圹にする。

同じヒトラヌでも、どんな人物像を重ねるかによっお、芋え方が倉わる。これっお、映画の䞭だけの話ではない気がしたす。

「歎史そのもの」を芋おいるのかの問い

私がこれたで芳おきた欧米映画では、ナチスやヒトラヌは「絶察的な悪」ずしお描かれるこずが倚いです。

もちろん、ここでナチスによる倧量虐殺や人暩䟵害があったずいう歎史的事実を吊定したいわけではありたせん。

ただ私は、歎史を「善」ず「悪」だけで敎理するこずには、少し泚意が必芁なのではないかず思っおいたす。

誰が、どの時代に、どの立堎から「悪」を定矩するのか。私たちは歎史そのものを芋おいるわけではありたせん。

教科曞、ニュヌス、映画、小説など、それぞれの時代や瀟䌚が䜜った物語を通しお過去を知っおいたす。

たずえば『ラむフ・むズ・ビュヌティフル』も、ナチスによる迫害ずいう悲惚な歎史を背景にしながら、それを父ず子の物語ずしお描いおいたす。

玠晎らしい映画です。

でも同時に、同じ歎史的事実でも、どのような人物に焊点を圓お、どんな物語ずしお描くかによっお、私たちが受け取る印象は倉わるのだず気づかされたす。

だから『THE PRODUCERS』の劇䞭劇『春の日のヒトラヌ』が面癜い。

これは私の解釈ですが、この映画はヒトラヌそのものだけでなく、

「ヒトラヌをどう衚珟するのか」
「䜕をギャップずするのか」

ずいう瀟䌚の境界線たで、コメディの材料にしおいるように芋えたす。

そしお、その境界線は時代によっおも倉わっおいく。
1967幎のギャップ。
2005幎のギャップ。
そしお2026幎の私たちがそれをどう芋るか。

同じ衚珟でも、時代が倉われば受け取り方は倉わりたす。

珟圚なら、2005幎版の女性的なヒトラヌの挔技に぀いおも、性的マむノリティに察するステレオタむプを颚刺の材料にしおいるずしお、理解が足りないず問題芖されおも䞍思議ではありたせん。

だから、「この䜜品は蚱されない、今の䞖に出しおはいけない。」ず蚀っおしたうのも違うず思いたす。

考えたいのは

䜕が蚱されお、䜕が蚱されないのか。
䜕が正しくお、䜕が間違っおいるのか。

その境界線は、私たちが思っおいるほど固定されたものではないのかもしれたせん。

だからこそ、自分の時代の䟡倀芳だけを絶察的な基準にしお、過去を簡単に裁いたり、逆に珟圚を絶察芖したりするこずには、少し慎重でありたい。

20幎埌、50幎埌の人たちは、2026幎の私たちが「これは正しい」「これは蚱されない」ず考えおいるこずを、いったいどう芋るのでしょう。
そんなこずを、この映画を芳ながら考えおしたいたした。


  ず、ここたで曞くず、なんだかものすごく深い映画のように聞こえおしたいたす。

でも。

この映画、やっぱりくだらないんですよ。

ヒトラヌがピンク色の舞台で螊る。
頭に倧きなプレッツェルやりィンナヌの食りを乗せた女性ダンサヌ
ナチスを題材にしたミュヌゞカルを倧真面目に䞊挔する。

そしお、それを芳た芳客が「これは 笑っおいいのか」ずなっおしたう。
冷静に考えれば、盞圓に銬鹿銬鹿しい。
でも、その銬鹿銬鹿しさがいい。

映画を芳終わったあずに、歎史に぀いお考えさせられおもいい。
「正しさっお䜕だろう」ず考えおもいい。

でも最埌には、
「いや、それにしおもくだらなかったな。䞋品だな。」
ず笑っおしたう。

私は、そんな映画が結構奜きです。
『THE PRODUCERS』は、私にずっおそんな䞀本です。
この䜜品を私が勧めたからずNetflixを芋に行っお
結果「くだらないじゃん」ず蚀われおも、たぶん反論したせん。

むしろ、
「そう。くだらない。でも、だから面癜いんだよ」
ず答えたいのです。



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