都市異常修復課お盆休み記録 No.001帰省列車の窓にだけ、少し昔の故郷が映る。
午後五時十八分。
お盆休み前の新幹線駅は、いつもより少しだけ浮き足立っていた。
大きなキャリーケースを引く人。
紙袋いっぱいに土産を抱える人。
改札の前で待ち合わせをする家族。
ホームへ続く人の流れには、都会の退勤時間とは違う、やわらかな急ぎ方があった。
その駅の端、ガラス張りの待合スペースの前で、一人の若い女性が腕時計と列車案内を交互に見比べていた。
くすみミント色の作業ベスト。
その下には、同系色の現場用ツナギ。
胸元のIDホルダー。
腰には、真鍮色の鍵型封印具がいくつか揺れている。
都市異常修復課。
そう見れば分かる格好なのに、通りすがる人間は誰一人として彼女を気に留めない。
修復課というのは、だいたいいつもそういうものだった。
球体型の点検ドローンが、彼女の肩の横で静かに浮いている。
『対象列車、まもなく入線します』
「はいはい、分かってるって」
彼女――羽鳥スイは、やわらかな栗色のボブを耳にかけながら、小さく頷いた。
「しかしほんと、こういう日に当番って、絶妙だよねえ」
『本日は休暇期間中の簡易観測任務です。通常業務ではありません』
「そういう言い方されると、余計に仕事っぽいんだけど」
スイは苦笑した。
お盆休み期間。
都市異常修復課は、原則として通常業務を縮小している。
広域断裂。
異界接続の拡大。
都市インフラ停止。
そういう大きな異常でもない限り、出動はしない。
今日のこれは、あくまで“念のため”の観測案件だ。
――帰省列車の窓にだけ、少し昔の故郷が映る。
最初に報告が上がったのは、昨日の夕方だった。
終着駅に着いた乗客の数名が、窓に映る景色が「今じゃなかった」と証言したのだ。
消えた駄菓子屋。
昔あった文房具店。
今はない商店街の看板。
舗装される前の駅前通り。
それは幻というほど大げさでもなく、見間違いというにはあまりに具体的で、けれど誰かを困らせるほどの異常でもなかった。
『対象列車、到着します』
アナウンスとともに、ホームへ新幹線が滑り込んできた。
白い車体が、夕方の光を受けて鈍く反射する。
スイは立ち上がり、窓の並ぶ車体をじっと見た。
最初は何も変わらない。
ホームも、乗客も、夕焼け色の駅も、そのままだ。
だが、ふと。
「……あ」
一枚の窓ガラスにだけ、違う景色が映った。
そこにあったのは、今のホームではない。
古い木造の駅舎。
赤い丸ポスト。
小さな土産物屋の軒先。
制服姿の中学生が自転車を押して笑っている。
ほんの一瞬。
だが、確かに“少し前の故郷”だった。
『軽微異常を確認』
『映像層の時間位相に、ごく微小な揺らぎを検出』
『危険度・なし。住民生活への影響・極小』
「うん」
スイはメモ端末を開きながら、窓の向こうに目を細めた。
車内では、窓際に座っていた年配の女性が、ふいに息を呑んだように目を見開いた。
その隣では、小学生くらいの男の子が不思議そうに首を傾げている。
少し遅れて、女性が口元を押さえた。
「……懐かしい」
聞こえるはずのない距離だったのに、その呟きだけはなぜか、スイの耳にすっと届いた。
女性の見ている窓には、きっと彼女だけの“少し前”が映っているのだろう。
幼い頃に通った店。
亡くなった誰かと一緒に歩いた道。
まだ、帰る場所がたくさんあった頃の景色。
窓の映像はゆっくりと揺れて、数秒後には今のホームへ戻った。
乗客たちがぞろぞろと降りてくる。
さっきの女性は、涙ぐんだまま、それでも少しだけ笑っていた。
『修復を行いますか?』
ドローンが、いつもの事務的な声音で尋ねる。
スイは端末を閉じた。
「んー……」
少しだけ考えてから、首を横に振る。
「今日は、このままでいいよ」
『理由を確認します』
「お盆前だし」
『感傷的理由は記録文として不適切です』
「じゃあ、こう書いて」
スイは、ホームを行き交う人の流れを見つめながら言った。
「異常は軽微。危険性なし。自然消失性あり」
一拍置いて、少しだけ声をやわらかくする。
「それと――住民心理への良好な影響が認められる、って」
ドローンの青いランプが、かすかに明滅した。
『記録しました』
スイは満足そうに頷く。
「よし」
その時、少し離れたベンチから、小さな女の子の声が聞こえた。
「ママ、あの電車、へんだったよ」
母親がしゃがみ込み、目線を合わせる。
「どんなふうに?」
「なんかね、知らないのに、知ってるとこみたいだった」
母親は一瞬だけ驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「そっか。きっと、おばあちゃんちが待ってたんだね」
その答えに、女の子は嬉しそうに頷いた。
スイはその様子を見て、思わず口元をゆるめた。
「ああいうの、いいよね」
『業務報告に不要な私見です』
「えー、必要必要。大事なやつだよ、そういうの」
ホームの向こうで、次の列車が光る。
大きな駅の夕方は忙しい。
それでも今日だけは、どの列車も、どの窓も、少しだけ“帰る”ということに寄り添っているように見えた。
スイはベストのポケットに手を入れ、壁にもたれた。
「しかしまあ……」
『どうしました』
「本部の人、たぶん私のこと知らないよね」
『所属情報は正常です』
「そういう意味じゃなくてさ」
スイは笑う。
「休み中に急に知らない隊員が駅で観測してたら、“誰?”ってなるじゃん」
『都市異常修復課ではよくあることです』
「それもどうなの」
呆れたように言ってから、ふっと息をつく。
入線してきた次の列車の窓にも、また一瞬だけ違う景色が映った。
今度は、古い商店街のアーケードだった。
提灯。
夕立のにおい。
アイスをかじる子ども。
少しだけ昔の夏。
乗り込んだ若い男性が、その窓を見て、ほんの少しだけ立ち止まった。
スマホを下ろし、目を細める。
その表情は、きっと本人にも説明できない種類の懐かしさだった。
「……うん」
スイは小さく呟く。
「やっぱり今日は、これで正解」
『案件No.001』
『観測継続、修復見送り』
『自然収束を優先します』
「了解」
彼女はホームへ続く人の波を見送りながら、そっと微笑んだ。
「皆さん、よいお盆を」
その声は列車の音に紛れて、誰にも届かなかったかもしれない。
けれど。
窓に映る“少し前の故郷”は、たしかに今日、いくつもの帰り道を少しだけやさしくしていた。
(お盆休み記録・了)
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