見出し画像

適応障害ー今の気持ち

ときどき、ふわっとした気持ちになる瞬間があります。

以前、 中央線擦れ擦れに寄ってくるトラックを見ても、怖いと思わなくなったことがありました。

いつもなら何かを感じていたはずなのに、そのときは不思議なくらい何も感じませんでした。

あのとき、自分の中で何が起きていたのか。

今でも、よく分かりません。

ただ、心のどこかでは病気になっていることそのものが、子どもたちに迷惑をかけているように思えてしまうことがあります。

そう考えてしまう自分に、戸惑うこともあります。

だから、この「ふわっとした感じ」も、どこかで何かの前触れなのではないかと、不安に思っていました。

今日、病院で先生に話しました。

先生からは、特に怖いものではないと言われました。

その言葉を聞いて、少し肩の力が抜けました。

そして、もうひとつ気づいたことがあります。

以前は、病院へ向かう電車の中で、動悸、頭痛、吐き気がありました。

電車に乗るだけで、体があの頃を思い出してしまうような感覚でした。

でも、今日は違いました。

喉に少し違和感が残る程度で、あの動悸も、頭痛も、吐き気もありませんでした。

先生は、

「少しだけど、良くなっていますよ」

と言ってくれました。

その言葉が、今日は素直に嬉しかったです。

「少しだけ」。

その言葉が、妙に心に残りました。

劇的に変わったわけではありません。

薬が減ったわけでもありません。

それでも、以前にはあった症状が、今日はなかった。

その小さな違いを、今日はちゃんと喜んでもいいのかもしれないと思いました。

最近、過去に自分が書いた文章を読み返すことがあります。

あの頃の自分と今の自分を比べると、確かに違います。

できるようになったことがあります。

感じ方が変わったこともあります。

以前なら大きく揺れていたことに、少しだけ揺れなくなっていることもあります。

一方で、薬は減りませんでした。

頭では分かっています。

良くなったからといって、すぐに薬が減るわけではありません。

それでも、「まだなんだ」という気持ちは、やっぱり残ります。

でも、薬の量だけを見て、「まだ治っていない」と決めてしまうのも、少し違うのだと思います。

症状が少し変わったこと。

できなかったことが、少しできるようになったこと。

過去の自分の文章を読み返して、「前より良くなった」と自分で感じられたこと。

そういう小さな変化も、回復の一部なのだと思います。

いつ治るのか。

いつ薬が減るのか。

いつになったら、何も考えずに過ごせる日が来るのか。

まだ分かりません。

たぶん、これからも焦る日があると思います。

小さな変化を見つけた翌日に、また不安になることもあるかもしれません。

それでも、以前の自分と今日の自分は、同じではありませんでした。

そのことだけは、確かです。

だから今日は、その事実を信じてみようと思います。

まだ途中にいます。

でも、ちゃんと途中まで来ています。

急がなくてもいい。

焦らなくてもいい。

少しずつでも、良い方向へ向かっているのなら、それでいい。

今は、それだけでいいのだと思います。

いいなと思ったら応援しよう!

vanilla よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!