4.古典ヨガ

【ラージャ·ヨーガ】

ラージャとは「王」「貴族」という意味で直訳すると「王様のヨーガ」となります。根本聖典はヨーガ・スートラで、アシュタンガヨーガ(八支則のヨーガ)を実践し、瞑想により心をコントロールし、最終的には解脱を目指すヨーガのことです。

八支則のヨーガ

1ヤマ(禁戒)(外的部門)

·アヒンサー(非暴力)
·サティヤ(正直)
·アスティーヤ(不盗)
·ブラフマチャリヤ(不淫)
·アパリグラハ(不貪)

2ニヤマ(勧戒)(外的部門)

·シャウチャ(清浄)
·サントーシャ(満足)
·タパス(苦行)
·スヴァディヤーヤ(聖典読誦)
·イーシュワラプラにダーナ(自在神への誓願)

3アーサナ(外的部門)

ヨーガ・スートラで説かれているアーサナは瞑想のためのものです。

4プラーナヤーマ(外的部門)

プラーナは生命を維持していくための根源的なエネルギーのようなものです。呼吸の流れと心の状態とには深い関係があり、瞑想によって心を統一するヨーガ行者にとって呼吸をどのように扱うかは大変重要です。

5プラティヤハーラ(制感)(外的部門)

最初の5つ、プラティヤハーラまでが外的部門、後半の3つダーラナ、ディヤーナ、サマディは内的部門と呼びます。

目や耳の感覚器官というのは、身の回りのいろいろな刺激に対して反応しやすいものですが、いちいちそれに振り回されていたら心の集中などできません。その感覚器官を含む身体機能を制御するのがプラティヤハーラです。

6ダーラナー(集中)

プラティヤハーラによって感覚器官や身体機能が周りの刺激や対象から切り離されたら、今度は自由になった心を特定の場所に集中させなくてはなりません。これがダーラナーです。

7ディヤーナ(瞑想)

ダーラナーが集中的であるのに対して、ディヤーナは拡大的と言われます。ダーラナーの対象として選んだある1点に集中しつくした心が、その対象について思念がずっと伸びていくからです。伸びていく思念は最初に集中の対象として選んだものでなくてはなりません。「拡大的」とはいっても、対象が代わってしまっては単なる雑念と同じになってしまいます。

8サマーディ(三昧

ディヤーナの状態ではまだ残っていた自我意識も、この境地が深まっていくに従って次第に弱くなっていき、やがては消滅してしまいます。そして、対象だけが心を占め、「自分」と「対象」との区別がなくなった状態になり、集中しているという意識さえもなくなり、心は対象でいっぱいになります。これが広い意味でのサマディで、八支則のヨーガの最後になります。


※八支則のヨーガではサマディが最後で説明は終わっていますが、ヨーガ・スートラには更に深いサマディについて説かれています。

※画像貼り付けになってるので
サイズが小さく見づらくなってしまってます。
拡大すれば見れるかと思います。



【ニャーナヨーガ】知識のヨーガ
※ジニャーニャヨーガ、ギヤーナヨーガ、ギャーナヨーガも同じで、呼び方が少し違うだけです。

ラマナ·マハルシ

ニャーナとは「智慧」「知識」「意識」という意味ですが、ここで言う「智」は、私たちが様々な媒体を通して得る情報としての知識とは異なります。ニャーナとは人間としてよりよく生きていくためのもっと内面的・根源的な智慧のことを指します。ニャーナヨーガはカルマヨーガのように行動的でもなく、バクティヨーガのように信仰的・感情的でもなく、どちらかというと哲学的・理性的な道です。ニャーナヨーガには明確な実践方法があるわけではなく、あえて言えば、瞑想や深い自己観察になります。深いサマディに入った時に得る直感的な「智=ニャーナ」がこのヨーガの目指すものです。ニャーナヨーガは真実の自己に直接目を向けるため、とても厳しい道と言われています。有名な聖者としてはラマナ・マハルシです。ラマナ・マハルシは子供の時に体験した死への恐怖感から自己の内面を深く探求し、グルの指導も教典の知識もないままに真のニャーナを得ることに成功した数少ない例です。


【カルマヨーガ】行いのヨーガ

ヴィヴェーカーナンダ

カルマとは「行為」、あるいは「行為の結果」、更には「行為と結果の関係」をも指します。人の行為の重要性を説いたカルマヨーガとは、結果に執着しないで各自の義務や本務を遂行することによって解脱に至ろうとするものです。そういう意味では、いくつかあるヨーガの中で一般社会や日常生活に最も結びついているヨーガといえます。カルマはこの世に自分が生まれた時からの結果だけではなく、過去世の行いも加わり、現世の行いは現世だけではなく、来世以降に持ち越されるという考えがあり、これが輪廻転生です。カルマが土台になっている輪廻転生を終わりにするにはカルマヨーガで説く、無私の行為、無執着の行為を仕事や日常生活で行うことが最高の行いなのです。伝統的·古典ヨーガでは、独り静かに瞑想をして心の動きを滅することを 目的とするために、世俗的な生活を捨てて人里離れたところで行わなければなりませんでしたが、カルマヨーガは現実社会にあって世俗的な生活を送り、各自の義務を遂行しながら解脱に至る道を説きます。近代の聖者ではヴィヴェーカーナンダはこのカルマヨーガを自ら実践し、幅広く世界に説いた人として知られています。


【バクティヨーガ】

ラーマクリシュナ

バクティとは「献身」「信愛」「帰依」「信仰」という意味です。バクティヨーガとは愛する人や大切な人へ献身的な愛や行為を捧げるように、最高神としてヴィシュヌ神やシヴァ神信愛を捧げることによって解脱する方法を説くヨーガのことです。バクティ思想がバガヴァッド・ギーターではじめて説かれたと言われていますが、まだ、体系的に完成されたものにはなっていませんでした。

バクティが一般的に広まるのはもっと後の時代になります。バクティを感傷的なものだけに終わらせず、ヴィシュヌ神学の中に取り組もうとする運動が起こり、それに成功したのがラーマーヌジャでした。その後、ラーマーヌジャは神への絶対的な帰依によってどんな人でも救われるという教えを説きました。ラーマーヌジャの死後は大きく2つの教えに分かれました。1つはどちらかというと保守的な考えを持ったグループでサンスクリット語を用い、解脱は本来、人間の努力によって達せられるものであり、それができない時にのみ最高神へのバクティという方法をとるべきであるとしました。もう一方のラーマーナンダは、サンスクリット語ではなく民衆語で神へのバクティを捧げ、帰依することで救われるのであり、人間の努力は無意味であると考えました。ラーマーマーナンダはカーストや宗教の違いに関わらずあらゆる人に向かって平等に説きました。ラーマーナンダの弟子の1人にカビールがいました。カビールはヒンドゥー教徒として生まれましたが、私生児であったために捨てられ、イスラム教徒に育てられました。ヒンドゥー教とイスラム教の両方の教えを批判的に融合した彼の教えは後の人達に大きな影響を与えました。このカビールの教えに影響を受けたのがシク教開いたナーナクです。

このようにバガヴァッド・ギーターに説かれたバクティは、その後現れた様々な聖者や学者によって形成され、徐々にインドの社会に浸透していきました。バクティヨーガは男女に関係なく、階級の差別もなく、神を敬愛するものは誰であっても解脱に導かれると説くところに、あらゆる階級の人々に受け入れられた原因があるようです。ラージャヨーガのように出家や特別な修行も必要なく、容易に行うことができるのも一般人にとってはありがたいものです。バクティヨーガを実践した人としてはラーマ・クリシュナがたいへん有名です。

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