メディカルインテリジェンスの低い人々

なぜ「医療に詳しくない人」ほど治療内容を指定したがるのか

医療の世界では、少し不思議な現象があります。

メディカル・インテリジェンスが不足している人ほど、なぜか医療者に対して具体的な治療内容を指定したがることがあるのです。

「風邪だから抗生剤を出してほしい」

「食欲がないから点滴してほしい」

「念のためCTを撮ってほしい」

「この前この薬が効いたから、今回も同じ薬を出してほしい」

外来をしている医師なら、一度や二度どころか、何度も耳にしたことがある言葉でしょう。

もちろん、患者さんが自分の希望を伝えること自体は、何も悪いことではありません。

むしろ医療において、患者さんから得られる情報は極めて重要です。

「いつから痛いのか」

「何をすると悪化するのか」

「どんな痛みなのか」

「以前この薬で副作用が出た」

「前の病院ではこう説明された」

「家ではこんな症状も出ている」

自分の身体について最も多くの情報を持っているのは、間違いなく本人です。

診察室で医師が患者さんを診る時間など、せいぜい数分から数十分です。

一方で患者さんは、発症してから今日までずっとその身体と一緒に生活しています。

だから患者さんから得られる情報は、診断や治療方針を決めるうえで欠かすことができません。

しかし、ここには非常に重要な区別があります。

自分の身体について一番多くの情報を持っていることと、その情報から「どの検査や治療が必要なのか」を一番正しく判断できることは、まったく別の話です。

「症状を知っていること」と「治療を決められること」は違う

たとえば、

「3日前から喉が痛くて、鼻水が出て、咳もあります」

という情報を一番正確に知っているのは患者さんです。

しかし、その症状から、

細菌感染なのか。

ウイルス感染なのか。

抗菌薬を使う利益があるのか。

副作用や耐性菌の問題を考えても投与するべきなのか。

そもそも別の疾患を考える必要があるのか。

を判断するのは医学の領域です。

「食事が取れない」という事実を一番よく知っているのも患者さんです。

しかし、

点滴が必要なのか。

経口摂取で十分なのか。

脱水があるのか。

電解質異常があるのか。

点滴によって病気そのものの回復が早くなるのか。

心不全や腎機能障害があって、むしろ安易な輸液が害になる可能性はないのか。

を判断するのも医学です。

「頭が痛くて心配」という感情も、当然本人にしか分かりません。

しかし、

CTを撮るべき頭痛なのか。

被曝というデメリットに見合うだけの診断的価値があるのか。

MRIのほうが適しているのか。

そもそも画像検査をしなくても安全に経過をみられるのか。

という判断には、専門的な知識が必要です。

医学的な意思決定とは、単純に、

「症状Aなら治療B」

という一対一対応でできているわけではありません。

年齢、基礎疾患、症状の経過、身体所見、検査結果、治療による利益、副作用、病気を見逃す確率、治療しなかった場合の自然経過。

そうした大量の情報を組み合わせながら、最も期待値の高い選択肢を探していく作業です。

だから医師は何年も勉強して国家試験を受け、その後も研修をして、実際の患者さんを診ながら経験を積みます。

専門医になったあとでさえ、新しいガイドラインや論文を読み続けています。

それでも判断に迷うことがあります。

医学とは、それくらい簡単ではありません。

「前は抗生剤をもらった」は根拠にならない

ところが診察室では、ときどき奇妙な逆転現象が起こります。

医師が、

「今回は抗生剤は必要ありません」

と説明すると、

「でも前の病院では出してくれました」

と言われる。

「点滴をしても治るのが早くなるわけではありません」

と説明すると、

「でも点滴したほうが効く気がします」

と言われる。

「現時点ではCTを撮る医学的な必要性は低いです」

と説明すると、

「でも心配なので、念のため全部調べてください」

と言われる。

もちろん、患者さんが疑問を持つこと自体は健全です。

医師の判断が常に正しいわけでもありません。

「なぜ抗生剤がいらないのですか?」

「どういう症状が出たら再受診すればいいですか?」

「CTを撮らなくても大丈夫と言える理由はなんですか?」

そう聞くのは非常に良いことです。

むしろ医療者側には、それを説明する義務があります。

問題なのは、説明を聞いたうえでもなお、

「医学的に必要かどうかとは関係なく、自分が希望するからやってほしい」

という話になってしまう場合です。

これは「患者中心の医療」とは少し違います。

患者には自己決定権がある。ただし何でも要求できるわけではない

現代医療では、患者さんの自己決定権は非常に重要です。

患者さんには説明を求める権利があります。

手術を勧められても拒否することができます。

薬を飲みたくなければ、十分な説明を受けたうえで飲まない選択をすることもできます。

治療方針に納得できなければ、セカンドオピニオンを求めることもできます。

これは当然の権利です。

しかし、

治療を拒否する権利があることと、医学的に適応のない治療を医療者に実施させる権利があることは同じではありません。

ここは意外と混同されやすいところです。

飲食店なら、

「チャーハンをください」

と言えば、メニューにある限りチャーハンが出てきます。

しかし病院は、患者さんが注文した医療行為を提供する場所ではありません。

「CTひとつ」

「抗生剤ひとつ」

「点滴ひとつ」

と注文するシステムではないのです。

医療行為には必ず利益と不利益があります。

抗菌薬には副作用があり、耐性菌の問題があります。

CTには被曝があります。

造影検査ならアレルギーや腎障害なども考えなければいけません。

点滴だって無害ではありません。

針を刺す以上、感染や血管炎のリスクがありますし、病態によっては過剰な輸液が害になります。

検査をすればするほど安心できるとも限りません。

偶然見つかった医学的に意味の乏しい異常から、さらに追加検査が始まり、結果として不利益が増えることだってあります。

だから医師は、

「できるかどうか」

だけではなく、

「やる意味があるか」

を考えています。

「何もしない」は、何も考えていないという意味ではない

医療を受ける側から見ると、

薬を出してもらう。

点滴をする。

検査をする。

こうした目に見える行為は、「ちゃんと治療してもらった」という感覚につながりやすいのだと思います。

逆に、

「薬はいりません」

「水分を取って自宅で休んでください」

「今は検査せず経過をみましょう」

と言われると、

「何もしてくれなかった」

と感じる人もいます。

しかし医学では、

あえて何もしないことが最も正しい治療である場面が大量にあります。

ウイルス性上気道炎に抗菌薬を使わない。

軽い脱水で飲水できるなら点滴をしない。

危険な所見のない頭痛なら不必要な画像検査をしない。

これは「治療を放棄している」のではありません。

不要な医療介入を避けるという、れっきとした医学的判断です。

医療には、「何をするか」という判断と同じくらい、

「何をしないか」

という判断が重要なのです。

本当に賢い患者は、治療法ではなく「目的」を伝える

では、患者側はどうすればいいのでしょうか。

僕は、治療法そのものを指定するより、

自分が困っていることや、何を心配しているのかを伝えるほうが、はるかに有益だと思います。

「抗生剤をください」

ではなく、

「3日後に仕事があるので、できるだけ早く治したいです」

「点滴してください」

ではなく、

「水を飲んでも吐いてしまって、脱水になっていないか心配です」

「CTを撮ってください」

ではなく、

「父が脳出血をしているので、自分も同じ病気ではないか不安です」

こう言ってもらえれば、医師側もその目的を踏まえて考えることができます。

抗菌薬が必要ないなら、代わりに症状を軽くする治療を考えることができます。

本当に脱水があるなら点滴をします。

脳出血の可能性が低いなら、なぜ低いと判断できるのか説明することができます。

患者さんと医師が共有すべきなのは「具体的な医療行為」ではなく、「何を達成したいのか」です。

方法論については、そのための訓練を受けている専門家に任せる。

僕はそれが最も合理的な役割分担だと思っています。

医師の言うことを盲信しろ、という話ではない

ここまで書くと、

「つまり医者の言うことを黙って聞けという話か」

と思われるかもしれません。

もちろん違います。

医師も間違えます。

知識が古い医師もいます。

説明が雑な医師もいます。

患者さんの話をろくに聞かず、思い込みで診断する医師だっています。

だから、

「その判断の根拠はなんですか?」

と聞くことは大切です。

納得できなければ別の医師に相談してもいい。

ガイドラインを自分で調べてもいい。

自分の病気について勉強することは、むしろ良いことです。

ただし、

専門家を疑うことと、自分のほうが専門家より正しいと思い込むことの間には、大きな距離があります。

良い意思決定とは、

「専門家だから100%正しい」

でもなければ、

「自分の身体だから自分が一番分かっている」

でもありません。

自分が持っている情報を専門家に正確に渡し、

専門家から判断の根拠を聞き、

必要なら別の専門家の意見も聞き、

そのうえで自分が納得できる選択をする。

このくらいの距離感が一番まともなのではないでしょうか。

メディカル・インテリジェンスとは何か

ところで、僕がここで使っている「メディカル・インテリジェンス」という言葉について、一応断っておかなければいけません。

僕が言いたいのは、

医学知識をどれだけ暗記しているかとか、

学歴が高いかとか、

頭の回転が速いかとか、

そういう意味ではありません。

医学的な情報をある程度理解し、

治療によって得られる利益と不利益を比較し、

自分の感情や過去の体験だけに引っ張られず、

専門家の説明を踏まえて合理的に意思決定する能力。

ここでは、そういうものを便宜的にメディカル・インテリジェンスと呼んでいます。

したがって、

「メディカル・インテリジェンスが低い」

ということと、

「人間として劣っている」

ということは、まったく関係ありません。

メディカル・リテラシーや論理的思考力が少々足りない人たちの中にも、僕なんかより人間的にはるかに素晴らしい人はたくさんいるでしょう。

家族思いだったり、

仕事に誠実だったり、

他人に優しかったり、

僕よりずっと立派な人生を送っている人だって当然います。

しかし、

人間的に素晴らしいことと、

抗菌薬が必要かどうかを判断できることは別です。

優しい人だからCTの適応を判断できるわけではありません。

人格者だから点滴の必要性を正しく評価できるわけでもありません。

逆に、性格の悪い医師でも医学的判断だけは正しいことがあります。

非常に残念ですが、能力というものはそういうものです。

「専門家に任せる」という能力

現代社会では、僕たちは膨大な専門家に依存して生きています。

飛行機に乗るとき、操縦方法をパイロットに指示する人はいません。

家を建てるとき、素人が構造計算の数値を指定することも普通はありません。

裁判になれば弁護士に相談しますし、税務なら税理士に相談します。

もちろん最終的な意思決定をするのは自分です。

しかし、

「自分には分からない領域がある」

と認識して、

「ここから先は専門家の判断を利用しよう」

と考えること自体が、一種の知性なのだと思います。

医療でも同じです。

自分の症状や価値観については、患者さんが専門家です。

医学については、医師が専門家です。

その二つを持ち寄って意思決定する。

それが本来の共同意思決定なのでしょう。

そして残念ながら、

医学的に必要のない抗生剤や点滴を要求する患者さんは昔もいましたし、今もたくさんいますし、おそらくこれからも次から次へと現れるでしょう。

医療者としては、そのたびに説明するしかありません。

「あなたの希望を無視しているわけではありません」

「何もしないのではなく、必要がないと判断しています」

「必要になれば、そのときはもちろん治療します」

と。

患者さんに必要なのは、医学をすべて理解することではありません。

そんなことは無理です。

必要なのは、

自分が知っていることと、自分には分からないことの境界線を知ること。

そして、

分からない領域について、信頼できる専門家の知識を上手に利用すること。

おそらくそれが、医療における最も重要なインテリジェンスのひとつなのだと思います。

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