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第875回、自分の相貌失認(失顔症)の症状について


noteを始めてかれこれ約2年、自分が発達障害者である事や、対人恐怖症、ひきこもりである事は、これまでに何度か書いて来ていると思うのですが、自分が他人の顔を覚えられない、相貌失認(失顔症)な事は、もしかしたら初めて書くかも知れません。

自分にとって他人の顔を覚えられないというのは、それ程普通の事であり、障害という意識すら持っていないのです。


そもそも自分が本当に失顔症なのか、病院で正式な診断を受けている訳ではないですし、他人の顔を一人も全く覚えられないという訳ではありません。

ただ覚えられる人の数が極めて少なくて、子供の頃からクラスで顔と名前のわかる人が、大体いつも5人程度でそれ以外の人は、どこの誰なのかわからない状態でいました。

必然的に自分の交友関係は極めて限られた狭い範囲になっていたのですが、自分はそれが人の普通の認識範囲だと思っていたので、自分のそれを障害という自覚のないまま、社会人になって行きました。


もちろん社会人になってそれで通用をするはずもなく、数回しか顔を合わせない取引先や顧客の顔はもちろん、毎日顔を合わせている職場の同僚や上司の顔も分からない事が、自分には日常茶飯事でした。

もちろん顔のわかる人もいるので、自分には顔のわかる人とわからない人の違いが何なのかが分からず、余計に困惑をしてしまいます。

自分は他人に、決して悪意も嫌悪もなく、むしろ好意的に接しようと努めているのですが、それでも相手が誰なのかわからず、それを悟られた途端に、相手が自分を敵意の目で見る様になる事を、何度も経験して来ました。


自分が人間の事をよく猿人間と称するのは、決して侮蔑をしている意図ではなくて、自分にとって人間は他の動物と同様に個体差の見分けが付かない、生物の一種の様なものなのです。

なので人間が人種や国籍の違いでいがみ合うのを見ても、種族間での縄張り争いをしている様にしか見えなくて、正義とか悪とかそういう感覚で物事を見る事が、多分自分には出来ないのかも知れません。

考えてもみて欲しいのです。自分達人間が他の動物の争いを見て、どちらに正義があるか等、一々思うでしょうか?


自分が他人の顔を見分けられないのは先天的な物なのか、それとも幼少期に集団虐めにあい、人間その物への恐怖心が植え付けられているからなのかは分かりませんが、自分は自分が人間なのか、それとも人間に寄生をしている別の何かなのか、時々分からなくなる事があります。

その割に、美少女や子供が好きではいかと言われてしまうかも知れませんが自分にとって美少女や子供に対する感情は、子猫や子犬を可愛いと思う事に近い物があるのかも知れません。
可愛さ以外に、その人物の名前も年齢も、一切興味が湧かないからです。


※今回この事を書こうと思うきっかけとなったブログを下記に紹介します。
ちなみに自分は、ASD(自閉スペクトラム症)と診断をされています。

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