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私的名盤 2. Stan Getz & João Gilberto 『Getz/Gilberto』 1964 🇺🇸🇧🇷

 自分自身で自慢できるものなど取り立ててない。そもそも他人に対して自慢するという行為が苦手なのだ。
 そんな自分が他人に誇れるものがある。それはこのアルバムが美しいと思える耳を持ち得たことだ。

ボサノヴァとは

 ところで、人間の世界において、別々の国の別々の人種の間に生まれた所謂“ハーフ“と呼ばれる混血は、例えばアスリートやファッションモデルなど、特異な才能や個性を放つ事が多く感じる。生物学的なことはよくわからないが、両方の優れたところが色濃く受け継がれるのかもしれない。

 さて、ボサノヴァ。
 起源は諸説あるようだが、誕生して70年ぐらいではないだろうか。
 ブラジルに古くからあるサンバやサンバカンシオンといった音楽が、アメリカのモダンジャズ、ドビュッシーなどのフランス印象派音楽と結びついた。Bossa Novaー新しい波。まさに混血。
 これは音楽にはよくある化学変化で、ロックンロールもリズム&ブルースとカントリー、ジャンプ他、さまざまな音楽と混ざり合ってできた音楽形態だ。
 ボサノヴァにおいては、ブラジルのサンバなどのリズムとジャズのメロディアスな部分が色濃く現れ、ブラジルのインテリや裕福な中流階層の人びとが好み、新しい感性のミュージシャンが生み出した比較的新しい種類の音楽ジャンルである。

 何と言ってもこのアルバムはボサノヴァのズバリ決定版。間違いなく世界にボサノヴァを知らしめた最重要な作品だ。

 この世紀のアルバムには4人のミュージシャンと1人の作詞家が登場する。
スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、アストラッド・ジルベルト、そして、ヴィニシウス・ヂ・モライス。

左上から時計回りにジョビンとヴィニシウス、ゲッツ、ジョアン、アストラッド

 ボサノヴァとは何か。
 言い切ってしまおう。それは、ジョアン・ジルベルトである。彼はギターで、その独特なリズムを姉の家のバスルームで創造した。そしてヴィブラートをかけないあのささやくような歌い方。彼の全てがボサノヴァなのである。
 ボサノヴァにはたくさんの歌手やミュージシャンが存在する。みなそれぞれに微妙にグルーヴが違ったり、それが個性となりミュージシャンの色となっている。
 しかしボサノヴァは、”ジョアン・ジルベルトかそれ以外”。まさにボッサの神。

   本来ボサノヴァというジャンルの曲にあまりサックスという楽器は登場しない。管楽器を加えるならせいぜいフルートとかではないだろうか。しかしこのアルバムにこの人のプレイがフューチャーされているがために当たり前になってしまった。
 スタン・ゲッツ。バリバリのジャズ界のスーパースター。彼のテナーサックスは聴く人の心のひだに入ってくる。
 コルトレーンのような五線譜の隙間を埋める音符の洪水のようなフレーズでも、モブレーのような愚直なまでのサウンドでもない。
 とにかく品がいいのだ。彼はジャズプレーヤー。恐らくこのアルバムでのフレーズは全てアドリブだろう。とにかく恐ろしいまでのメロディのインスピレーションである。

 アントニオ・カルロス・ジョビン(ブラジル人ならば彼のこと親しみを込めて“トム“とよぶらしい)。ブラジルの国民的作曲家。
 ジョアンと並んでボサノバの父と呼ばれるミュージシャン。彼なくしては“イパネマの娘“や“ディザフィナード“、“波“などのボサノヴァを代表する曲は生まれなかったであろう。
 ジョビンはこのアルバムにピアニストとして参加している。ここぞというタイミングで、ここぞというフレーズを、非常にソフトに単音で鳴らす。ハマってしまうとそのフレーズが耳について離れなくなる。
 私が敬愛して止まない坂本龍一は生前、影響を受けたピアニストの中に、名だたるクラシックの技巧派のプレイヤー達に並びジョビンを挙げている。ジョビンの曲に影響を受けたこともさることながら、私は彼の何か言うなれば“引き算“のようなピアノプレイに共感していたんではないかと、教授の晩年の演奏からそう感じる。

 そしてこのアルバムでの紅一点、アストラッド・ジルベルト
 彼女はこの当時、ジョアンのパートナーであった。まだほとんど無名の歌手で、このアルバムへの参加の経緯はこうであった。
 当時アメリカでは徐々にボサノバがブームとなりかけていた。1962年にゲッツはジャズギタリストのチャーリー・バードと組んで『Jazz Samba』というアルバムをリリースしてヒット、インストアルバムにかかわらずグラミー賞を獲っていた。
 ジャズレーベルで有名なヴァーヴのプロデューサー、クリード・テイラーはこの機会を逃すまいとニューヨークにジョアンとジョビンを呼び寄せ、ゲッツとの録音を企画した。ヒットをより確実なものにするためには英語詩でのボサノバが必要と提案した。しかし肝心のジョアンはポルトガル語しか話せず、ましてや英語のボサノバなど歌う気がなかった。そこに白羽の矢が立ったのがアストラッドという訳だった。

収録曲

A-1「The Girl From Ipanema」

 この、ボサノヴァのナンバーの中で世界で一番有名な曲はドラマチックに誕生する。
 作曲家でミュージシャンのジョビンと外交官で作詞家のヴィニシウスが、リオデジャネイロのイパネマ海岸にあるヴェローゾという行きつけのバーでいつものように飲んでいた。
 そこへ、1人のスタイルの良い長身の長い髪の少女が現れた。
 その少女の名はエロイーザ。地元でも有名な美少女。
 ジョビンもヴィニシウスも無類のプレイボーイ。店を出て海岸へ歩いて行く彼女の姿に目も心も奪われた2人はあの有名な歌い出しを生み出した。“Olha que coisa mais linda mais cheia de graça−見てごらん!何て美しいんだろう。何て可愛いんだろう“   それは1962年のとある午後のことだった。
 この曲はこの『Getz/Gilberto』というアルバムのために書き下ろされた曲ではない。このアルバムのレコーディングより少しだけ前に、ペリー•ヒベイロという歌手もレコーディングしている。
 しかしそれはボサノヴァではない。ボッサというよりむしろサンバ。グルーヴが違いすぎるのである。
 この美しいメロディはジョアンの声とギターという最後のピースが嵌り完成した。
 先述の通り、英語詩の必要性を感じたヴァーヴのクリード・テイラーはジョアンのワンコーラスの後に、“Tall and tan and young lovely~”で始まる歌詞を追加しアストラッドに歌わせた。
 英語詞が必要かどうかは、レコーディング時に揉めたらしい。素人臭いアストラッドの歌唱力がより一層この名曲に水を差すのではないかとの危惧があったらしい。
 だが結果的にアストラッドの英語詩は大正解であった。
 イントロのジョアンのスキャットの後、ジョアンの歌唱部分をカットして、アストラッドの英語詩の歌唱部分をつなげたヴァージョンをアメリカ本国でリリース。ヒットチャートで好成績を残し、翌年のグラミー賞を受賞しアメリカ本国でのボサノヴァ人気を決定付けた。
 それよりもやはりポルトガル語より英語の方が理解しやすいわれわれ日本人には、“Tall and tan and young lovely~”のフレーズの方が、夕暮れ時のリオのイパネマ海岸をセクシーに歩く美女をイメージしやすかったのではないだろうか。

A-2「Doralice」

 “ドラリセ“という女性に言い寄られて渋々一緒になったがやめときゃ良かった、て訳になるのだろうか。ポルトガル語の堪能な方には訂正されるかもしれないが大方そんな感じではないだろうか。
 この曲はジョビンの作曲ではない。ドリヴァル・カミンというブラジルのポピュラーミュージックの作曲家の曲だそうだ。
 しかしアップテンポのこの曲がこのアルバムの非常に良いアクセントになっていると感じる。
 ジョアンは1960年発表の自身2枚目のアルバム「O Amor, o Sorriso e a Flor」にてここでのテイクとほぼ同アレンジでレコーディングしており、曲のキーとテンポを下げて再録している。
 このチャーミングな小曲がジョアンのお気に入りだったのか、老境に差し掛かった2000年以降も再三コンサートで演奏している。特に伝説の2003年9月の東京公演をパッケージした「João  Gilberto in Tokyo」でも衰え知らずのバチーダ(ボッサのギター奏法)で弾き語っている。
 それにしても、レコーディング当時は若干落ち目だったとは言えゲッツのサックスはソフトで太い。黒人サックスプレーヤーにないスマートなプレイスタイル。超カッコいい。。

A-3「Pra Machucar Meu Coração」

 ジョビンのソフトなピアノで始まるこの曲は、“私の心を傷つけるために“という、壊れてしまった夫婦生活を振り返って、傷ついたこともあったが全てを忘れて生きていかなきゃ、という意味の歌詞。
 ジョアンの歌声がアンニュイで非常に切ない。
   この歳になってこの曲を聴くとポルトガル語の意味も碌に分からずとも胸に沁みる。

A-4「Desafinado」

 言い切ってしまえば音楽は、ドレミファソラシドの音の組み合わせでしかない。ルールの中で音を伸ばしたり重ねたり、強弱つけたりリズムを変えたり。そのルールの中で数多の楽曲が生まれてきた。
 この「Desafinado」という曲が、私が生まれてから何万何十万曲と聞いてきた中で一番美しいと思っている。音の組み合わせの奇跡だと真剣に思う。
 “調子っぱずれ“とか“音痴“だとか訳されがちなこの曲は、ジョビンが曲を作り、ニュートン・メンドウサ作詞の1959年の曲。いわゆるボサノヴァと呼ばれている曲のかなりの原始に発表された曲。
 やはりジョビンは天才だ。私はギターしか弾けないが、この曲の和音を弾いてみると嫌でもわかる。3和音にテンションノートを加えた難しいコードが頻出するのだ。そんな不安定な響きのコードにあの美しいメロディが乗る。もう神の領域だ。
 この曲はジャズやボッサのたくさんのミュージシャンにカバーされて来たが、初出は1959年発表のジョアンのファーストアルバム「Chega de Saudade」だ。そこでジョアンはもうこの曲を完成させている。歌唱法もバチーダもここでのアレンジに変わりはない。ただそこにはゲッツのサックスがないだけだ。
 曲の中盤に差し掛かる箇所でジョアンは、“Que isto é bossa nova, que isto é muito natural~これがボサノヴァだ!これがとっても自然なんだ!”
と、宣言する。
 長年、ボッサを聴いていてボサノヴァとは単に音楽の形態じゃないという事に気づいた。それはその当時のブラジルの若者のこれからの新しい生き方や考え方だったのではないか。
 上記の歌詞の一節を聴いてそんな事を思う。
 ゲッツは前年、ジャズギタリストのチャーリー・バードとコラボレーションして『Jazz Samba 』というアルバムをリリースし、ゲッツはこの曲が好きだったらしく、冒頭1曲目にこの曲を採りあげている。ジャズのアルバムにしては異例の大ヒットをし、アメリカという土壌にボサノヴァという種子を蒔いた。
 しかし、これはジャズであってボッサではない。明らかにグルーヴが違う。サンバに近いジャズに思う。
 一説によると、最初このアルバムのタイトルに”Bossa Nova”という言葉を使いたかったらしいが、発音出来ないんではないかという理由で『Jazz Samba』にしたとか。因みにこの名盤『Jazz Samba』、たったの3時間で録り上げたとの事。エグい…

Jazz samba

B-1「Corcovado(Quiet Nights of Quiet Stars)」

 この物憂げでロマンティックなボッサは、アストラッドの英語詞と控えめな伴奏のジョビンのピアノから始まる。
 アストラッドは”quiet”を繰り返す。まさに静寂の夜空の静寂の星たち。そして私のギターの静かな優しいコード。そんな美しい曲である。
 アストラッドの一節の後、ゲッツの情感たっぷりのサックスを挟んで、ジョアンのポルトガル語パートが始まる。
 コルコヴァードとは、リオデジャネイロにあるキリスト像の建つ小高い丘のこと。

コルコヴァードの丘に建つキリスト像

 このコルコヴァードの丘が見える場所で、君と出会い幸せを感じ、愛を知った…って感じの訳になるんだろうか。ジョアンに囁かれるとどんな歌詞でもそんな風に聴こえるのかもしれないけれど。
 この曲でもジョビンの歌の伴奏で微かに鳴っているピアノが心地よい。あまりピアニストという側面にスポットが当たらないが、原曲に必要最低限のフレーズを静かに落とす。
 まるで、キレイな水に小さな波紋を描くように。見事な美曲。

B-2「Só Danço Samba」

 “サンバしか踊らない”というこのアップテンポのボッサは、ジョビンとヴィニシウスの曲。
 やはりこの曲の聴きどころはゲッツのサックス。かなりジャズ寄りのフレーズではないか。
 このアルバムの全ての曲のゲッツのサックスに言えることだが、やっぱりボッサではなくジャズのグルーヴなのである。ブラジル人ではないゲッツには仕方ないこと。
 しかし、このアルバムがボサノヴァを象徴するアルバムになり得たのは、ゲッツの”ジャズの血”ではなかったろうか。

B-3「O Grande Amor」

 ジョビンという不世出の作曲家。数多くのボサノヴァを生み出した。その中でも切なくなるほど物憂げで、陰鬱なメロディな曲はこの曲をおいて他にはない。
 亡き坂本龍一がこの曲を音源でまたは映像で演奏を残している。教授の琴線に触れる何かがこの”偉大な愛”と名付けられた曲にあったのだろう。
 ゲッツのテナーサックスから始まり、ワンコーラス丸々吹き終わってから、ジョアンの歌が入る。やっぱりボサノヴァはポルトガル語が一番似合う。男性のジョアンが歌っても何故か長い黒髪の女性をイメージしてしまうのは私だけだろうか。多分私だけではないと思う。
 ナラ・レオンが”Dez Anos Depois”というアルバムでこの曲を歌っている。ジョアンとはまた違った良さがあり、それぞれのこの曲の解釈が違って面白い。

ナラ・レオン

B-4「Vivo Sonhando」

 このアルバムを締めくくるラストナンバーは、陰鬱な前曲と違い、甘すぎない明るいメロディの曲。この曲は詩曲ともにジョビン作で、タイトル通り夢心地な気分になれる佳曲。
 幸せな気分でこのアルバムは締めくくられる。

ちなみに…

 『Getz/Gilberto』は1963年にニューヨークで2日間で録音された。本番ブラジルからボサノヴァの神たちを招いて制作された。
 しかしその裏側は凡そボサノヴァというピースフルな音楽を制作している現場とは思えないほど険悪だったらしい。
 それは、当時ゲッツがドラッグにハマっていて、それ以前にボサノヴァをあまりよく分かっていないことに、気難しがり屋のジョアンがよく怒ったらしい。間に入ったジョビンが苦労したとの話も。
 しかし、ボサノヴァをよく理解していなくともやはりゲッツのフレーズは最高で、もしヴァーヴの地下室かなんかにこの『Getz/Gilberto』のオルタネイトテイクが眠っているならば、是非とも聴いてみたい。ゲッツのフレーズはどのテイクも最高のインプロヴィゼーションで、おそらくフレーズの違うテイクが残されているはずだ。

さらに…

 また、このアルバムのリリースから50周年を記念して、日本で『Getz/Gilberto +50』というトリビュートアルバムがリリースされた。
 プロデュースは、今日本でボサノヴァの第一人者の伊藤ゴロー。

Getz/Gilberto +50

    オリジナルアルバムの曲順そのままで収録し、原田知世、土岐麻子、カヒミ・カリイ、坂本美雨や伊藤の盟友 布施尚美など素晴らしいミュージシャンが参加しているのだが、なんと言っても目玉は細野晴臣と坂本龍一だ。
 細野は「Pra Machuca Meu Coraçaão」、教授はやはり「O Grande Amor」をカバー。細野にオファーした伊藤ゴローは慧眼だと思う。細野の歌声はあの曲に実に合っている。ジョアンとは違うが勝るとも劣らないと思う。
 そして教授。伊藤のバチーダに寄り添うかの様な優しいピアノ。やはりボッサには引き算のピアノが合う。モレレンバウムのチェロも楽曲に深みを与える。涙が出るほど素晴らしい。

 冒頭にも書いたように、メロディとは”ドレミファソラシド”の組み合わせにすぎない。
 その組み合わせ次第で人は如何様にも心躍らせる事ができる。
 そしてあの日に”Desafinado”を聴いて踊らせた記憶が忘れられず、また新たな”Desafinado”を探してしまうのだろう。

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