【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑦ ~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。
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「慶次朗ちゃん、朝だよ、起きな」
ん?
恵美姉?
そんな訳ねえよな。
今、俺は恵美姉と一緒に住んでねえ。
恵美姉に起こされるはずがないんだが…
でも、みんな俺の事を「慶ちゃん」って呼ぶのに、恵美姉だけは俺の事を「慶次朗ちゃん」って呼ぶんだ。だから、やっぱり恵美姉?
えっ?いや…
起きた。
部屋は真っ暗だった。狭いベッド…すぐ横に分厚いカーテン…
どこ?ここ?
ああ、そうか…
泊めてもらったんだ…
カーテンを開けた。
白い!眩しい…
目が見えない。
「慶次朗ちゃん、起きた?」
白くて目が見えないところに、いきなり子供の顔が飛び込んできた。
そうか…
「意人か?」
意人は、小さな男の子だった。
小1のはずだが、小1の平均よりも小さいのではないかと感じた。
髪は短く、健康的に真っ黒に日焼けしていた。
「そう、意人だよ。慶次朗ちゃん、写真と顔が一緒だね。」
「写真?どんな?」
「バスケの試合のヤツ」
バスケ…
高校ん時か…
俺は勉強ができなかった。だから、中学の時から夢中になったバスケで高校に入れてもらった。
俺の出る公式試合には、恵美姉は全部応援に来た。
恵美姉は、試合をしている俺をスマホで写真を、デジカメで動画を撮った。
その頃、俺は寮に入っていたので、恵美姉が撮った写真も動画も見れなかった。
その時の写真を恵美姉は意人に見せていたというのか…
「俺がバスケやってた時の写真を見たのか?」
「うん、母ちゃんのスマホで、写真も動画も一杯見てるよ」
「あれ、俺が高校の時のヤツだぞ。それでも俺が分かったの?」
「分かるさ。まんまじゃん」
「まんまかあ…なんか残念だなあ…俺、全然成長してないんじゃん」
「だいぶ前の写真なの?」
「ああ、多分、意人が生まれる前の写真だからなあ」
「えーっ、そしたら、慶次朗ちゃん、割とおじさんじゃん」
「おじさんって言うな。まだ20代だぞ」
慶次朗が意人とちゃんと面と向かって会ったのは、恵美姉家族が渋谷に買い物に出かけてた時に、スペイン坂の手前で偶然遭った時だった。
でも、その時意人はまだベビーカーに乗ってて…
だから、俺の顔を知ってるのもおかしいし、何なら俺の名前を知ってるのもおかしな話だ。
三か月前、意人のお父さんである岩沢栄作さんが交通事故を起こして亡くなった時は、慶次朗は店が跳ねてから通夜だけ参加した。
夜中だったので、意人はもう寝ていて、全く会ってない。
なのに、意人は俺の顔を知ってるばかりか、名前まで知ってる。
何でだ?やっぱ、俺って、写真の頃と同じ顔なんか?
「慶次朗ちゃん、朝ごはんだから呼んできなって、社長に言われたんだ。朝ごはん、僕と一緒に食べようよ」
「いや、泊めてもらっただけじゃなくて、朝メシまでいただいたんじゃあ悪いなあ」
慶次朗はやっとスマホを見た。
まだ5時半だった。
早い…
「いいじゃん、僕の隣りで一緒に食べてよ。僕もさあ、慶次朗ちゃんみたいに背高くなりたいんだよ。いつも、母ちゃんに大きくなれ、大きくなれって言われるんだもん。慶次朗ちゃんと一緒にごはん食べて、慶次朗ちゃんより僕の方が沢山食べれれば、僕も大きくなるだろう?」
「俺より沢山食べる?出来るかな?でも、意人も大きくなればいいな」
恵美姉は、ホントに俺の姉かと思うぐらい、背は普通だった、多分160㎝にはちょっと足りないぐらいだったと思う。
栄作さんはもっとうろ覚えだが、恵美姉よりちょっと高いぐらいだったように思う。
そんな二人の子、意人はさっきも思った通り、標準よりも小さめだと思う。
そんな意人を恵美姉は心配してたんだ?
「慶次朗ちゃん、早く食堂へ行こう」
「ああ行こうか」
そう言うと、慶次朗はベッドを出た。
母屋に向かう間、意人は慶次朗の手を引いた。
小さな手。柔らかい。
意人は走った。
引っ張られて、慶次朗は後に続いた。
母屋の一階の事務所の奥のドアを開けると、広めの食堂があった。
8人掛けの大きなテーブルが二つあり、間仕切りの奥にキッチンがあるようだった。
窓際の奥の席に山野辺が座っていて、スポーツ新聞を読んでいた。
山野辺は昨日とは違う薄く色のついた眼鏡をかけていた。
そのお陰で、左目の周りの青タンはあまり目立たないように見えた。
山野辺の青タンを見て、慶次朗は自分の左の拳がズキっと痛んだ気がしたが、それは気のせいだった。
山野辺に見られないように後ろ手にして、右手で左の拳を確認したが、もう痛みはないと思った。
山野辺の前の壁には大型のTVがかかっていて、朝の番組が流れていた。
テーブルの前に座っているのは山野辺だけだった。
間仕切りの奥には、調理をするおばさんが一人と、食堂で給茶機まで茶碗を運んだりして、甲斐甲斐しく働いてる若い女性が一人いた。
山野辺も二人も会社のユニフォームであるスカイブルーの作業着を着ていた。
「社長、慶次朗ちゃん連れてきたよ」
と、意人が山野辺に向かって、大声で言った。
それを聞いて、山野辺は新聞から目を離して、意人と慶次朗の方を見た。
「おう、おきちゃん、ご苦労だったな。青年!寝れたか?」
「ええ、お陰様で、ぐっすり寝れました。社長、ありがとうございます。そのうえ、朝飯までご馳走になるなんて、すいません」
「ご馳走だなんて、気にするなよ。大したもんは出せねえぜ。ただ、うちの白飯は美味い。俺の実家は新潟だからな。本場のコシヒカリが腹一杯食えるぜ。それと味噌汁とおかずが一品、それに梅干しと漬物だ。質素な朝メシだな」
「そんな、十分です。俺なんかにご馳走していただけるのは、どうも気が引けます。後…」
「後、何だ?」
「いや、俺一人だけ、まだ寝間着のまんまで…」
「ああ気にすんな。後で、自分が着てたヤツに着替えたらいいや」
「ええ、ありがとうございます」
「もういい?慶次朗も座って…」意人は、山野辺の隣に座っていた。
「ああ、おきちゃん、いいぜ。みんなで食べよう」
「じゃあ、慶次朗、隣に座って。深雪ちゃん、こっちに慶次朗の分も運んでね」
「えー?ここは普通はセルフサービスなんだよ、おきと!私が運ぶのは、社長だけでいいんだからね。あんたの分はいつもついでに運んでるだけなの。おきママは自分の分は自分で運んでたでしょう?あっ、余計な事言った…」
丁度、二人分のトレイを運んできた若い女性が、意人に向かって言った。
「あっ、ああ、俺は自分で運びます。大丈夫です」
「冗談よ。お兄さん、ねえ、社長、こちらどちらさん?」と若い女性は山野辺と意人の前に持ってきたトレイを並べながら言った。
「ああん、また味噌汁、零れてる!深雪は雑だなあ。もうちょっと慎重にやれよ」
「そんなん、私O型だから仕方ないわよ。細かい事は出来ないの」
「血液型のせいにすな。運転中は特に慎重にやれよ!こいつか、こいつは恵美の弟の花房さんだ」
「花房?すごい名前だねえ。下の名前は?」
「慶次朗ちゃんだよ」山野辺が答えるより早く、意人が言った。
深雪は、意人の前にトレイを置き、間仕切りにある小窓から慶次朗の分のトレイを受け取って、持ってきた。
「花房慶次朗?それって、本名?」
「ああ…」
「スゴイじゃん。歌舞伎やってる人?」
「いや…」慶次朗は口籠った。
「ホストだよ、ホスト。歌舞伎町のホスト。ありゃ、歌舞伎は一応歌舞伎だなあ」
「いや、社長。それは上手くないよ!ホストかあ、じゃあ、お兄さん、スゴイモテるでしょう?背高いし、ムッチャかっこいいもんね」
「いや、俺なんて普通だよ」
「深雪、あんたも自己紹介しなよ」と、山野辺が深雪に言った。
「えー、あたしィ?、慶次朗さん、あたし、山谷深雪です。軽トラで軽貨物専門で都内周辺だけを回っています。一応正社員です」
「一応って何だ。俺はお前の税金も社会保険料もちゃんと払ってるんだぜ。きちんと働いてくれよ」
「分かってるよ。今日は正田さんが来れない日だから、川口まではまで私が行くんだからね。忙しいんだよ、私だって」
「ああ、頑張ってくれよ」
「頑張るわよ。ねえ、慶次朗さんも応援して?」
「応援て、どうすんの?」
「ミュー頑張れーって」
「ミュー?」
「私の呼び名」
「いやだよ、そんなの。急には言えないよお」
「えー、何でえ?」
クラブMのケイは、ナンバー2ホストだ。
去年の自分の誕生日では、一晩に億を稼いだ。
それが自分の最高記録だが、予定では昨日のバースデーでは、それを大きく更新する予定だった。
でも…
今朝は、借り物の涼しげな布地のストライプのパジャマを着て、今から朝メシを食おうとしている。しかも、今はまだ朝の6時前で、店ではない場所で、酒抜きでヤンキーっぽい風貌の若い娘と話してる。
慶次朗はこんな経験をした事がなかった。
だから、まごついた。
「星占いだよ!慶次朗ちゃん!慶次朗ちゃん、何座?」と、意人が言った。
TVで星占いのコーナーが始まろうとしていた。
「俺はしし座だ。意人は?」
「うわあ、僕もしし座。一緒だね」
「そうか、一緒かあ…」
「深雪ちゃんは、何座だったっけ?」
「アタシ?いて座。おかしいんだよ。アタシさあ、深い雪って書いて、深雪なんだけど、うちの親がアホでねえ。アタシが生まれた日、12月2日で、東京で珍しくドカ雪が降ったんだって。だから、アタシ、深雪なんだよ。単純すぎね?」
「バカ野郎、深雪はいい名前だろう?いいよ、もう始まるから…竹内さん、星占い、始まりますよ」と、山野辺が急かすように間仕切りの向こうに聞こえるように大声で言った。どうやら、このコーナーを一番注目してるのは山野辺のようだった。
「ああ、はいはい、行きますよ」
間仕切りの向こうから小太りの中年女性が出てきた。
みんなでTVを注目した。
「一位は、うお座!今日は何をやるにもエネルギー全開。思った事がどんどん叶います。ラッキーカラーは赤。ラッキーフードはかつ丼です。そして、キーパーソンは最近会った人」
「やった、俺は今日一番だ!」と山野辺が言った。
「赤ってえのは難しいなあ。今日はお通夜だもんなあ。あっ、夕方まではいいのか?まあそうだな。かつ丼は昼に食えばいいな」
「三位は、かに座のあなたです。今日は健康運が充実してきます。近所のお散歩などをやってみると効果的。ラッキーフードはミートソーススパゲティです」
「アタシ、かに座なの。お昼は駅前のイタ飯屋で奮発しようかしら?」今度は、竹内が言った。
「そんなあ、竹内さんがそんな事する訳ねえだろう。ガッチリ貯金派なんだから。やっても、レトルトのソースを買ってきて、自分で麺茹でて食うだけだろうよ」と山野辺が茶化した。
「そんな、社長が給料上げてくれたら、アタシだってあのイタ飯屋なんてしょっちゅう言ってやるわよ。どうなの、社長?」
「ヤバいな、やぶ蛇だ…茶化してごめんよ」
「社長、黙って!いて座がまだなんだから」と、深雪が制した。
「十位は、いて座です。今日は注意力散漫になりがちなので、いつも以上に慎重に作業をすすめましょう。ラッキーフードは釜揚げうどんです」
「うどんかあ…アタシ、所沢の出身なんだけど、うどんはあんま…なんだけどなあ。何で蕎麦じゃないんだろう?」と深雪がちょっとしょげながら言った。
「十一位は、しし座のあなたです。今日はやる事なす事、空回りしそう。作業に入る前に深呼吸しましょう。ラッキーカラーは黄色。ラッキーフードはカレーライスです」
黄色?それも難しいぜ…慶次朗はぼんやりそんな事を考えた。
感化されたのかもしれない。
「慶次朗ちゃん、空回りって何?悪い事?」と、横から意人が訊いてきた。
「空回り?ああ、あんまり良くはねえな。何て言ったらいいんだろう?」
「焦るな!って事だよ、おきちゃん。TVはな、何でもやる前には、やる前に予習して、やる事をきちんと理解してから始めなって言ってるんだ」
「そうかあ、予習だね。学校で先生から習ったよ」
「そうそう、予習、復習ってな。まあいいや、味噌汁が醒めるからもう食おうぜ」と山野辺が言うと、みんな席に着いた。
竹内も深雪も一緒のテーブルで食べるようだった。
みんなが揃うと、山野辺が立ち上がった。
「今日も一日、ご安全に。いただきます!」と、山野辺が声掛けをした。
みんなはそれについて同じように声を出した。意人も大きな声で言った。
言い終わると、山野辺は座り、食べ出した。
それを見て、慶次朗も箸を握った。
慶次朗の真向かいに、竹内が座っていた。
竹内は「私、ここの朝食と夕食の賄いをしてます竹内容子と言います。恵美ちゃん、残念だったわねえ。いつもは厨房で恵美ちゃんと一緒にごはん作ってたんだけど、また一人になっちゃって、それが大変だわ。ああ、そうそう。社長、のんちゃん、手伝わせられないの?」
「ええ?望かあ?そんなん無理に決まってるだろう。アイツ、どんだけ引きこもりやってんだか、竹内さんだって、知ってるだろうよ。そうそう、飯終わったら、アイツの部屋に朝メシ、届けておいてくれ。すまんが、恵美ちゃんがもういねえから、アンタに頼むわ」
「ええ、また仕事増やして…ホント、社長、ちょっと給料上げて下さいね」
「分かった。考えとくよ」
「考える、考えるって、考えてばっかりで…」
「ねえ、慶次朗さん」
「何?」
「知ってると思うけど、しし座といて座は相性良いんだよねえ」と、深雪が割り込んできた。
「相性って?」意人が反応した。
「相性ってさあ…何だろうなあ…」
食堂のドアが開いた。
筋肉の塊のような大男が入ってきた。
男は同じスカイブルーの作業着を着ていた。
「ただいま、帰りました」
「おう、柳原さん、おかえり」
と、山野辺が言った。
