【考察214】太秦(うずまさ)はローマ帝国を表した?!~大秦と太秦~
京都には「太秦(うずまさ)」という地名がある。
西の人々にとっては当然読めるこの地名も、東の人間には意外と読めない人が多いのではないだろうか。
かくいう私も、福島から避難してきた当初は読めなかった一人である。
そこで「太秦」という名称の由来を調べてみたところ、思いがけない事実に行き当たった。
「太秦」の語源は、渡来系豪族である秦氏が雄略天皇に絹をうず高く積んで献上したことにちなみ、「禹豆満佐(うずまさ)」の姓を賜ったことにあるという。その名が地名として定着したとされている。
ここで思い起こされるのが、中国の史書に登場する国名「大秦(たいしん)」である。「大秦」は「ローマ帝国」を指す名称として知られている。
「太秦」と「大秦」
読みは異なるが、両者にはどこか響きあうものがある。
鍵となるのは「太」と「大」の関係だ。
古くから両者は互換的に用いられ、音も意味も重なってきた。
漢代に「ローマ帝国」が「大秦」と記されたのも、巨大な文明、卓越した技術、豊かな都市文化を備え、“秦を超える秦”と評価されたためとされる。
そんなローマ帝国は、地中海世界の文化が集まる“文明の交差点”であり、異質な文化が混ざり合うことで新しい制度や価値観が生まれた。
一方の「太秦」もまた、秦氏がもたらした技術・祭祀・制度が日本古来の文化と交わり、国家形成の基盤を形づくった場所である。
異文化の“交じり”が文明を押し広げる原動力となった点で、両者は驚くほどよく似ている。
さらに、太秦の地名は「うず(渦)+まさ(交ざる)」に由来するという説もある。
もともと“文化が渦巻き、混ざり合う場所”という象徴を帯びていたとすれば、これもまた、多様な文化を取り込み再編したローマの性質と重なって見える。
もちろん、「太秦=東のローマ」という見立てが直接的な歴史的事実を示すわけではない。
だが、地名の響き、文化の構造、異文化融合の役割を並べてみると、「太秦」は日本における“文明創生の炉”として、「ローマ帝国」に匹敵する象徴性を帯びてくる。
そう考えると、「太秦は東の果てのローマであった」という比喩にも、意外な説得力が宿り始めるのである。
ちなみに「太秦」には、京都府下最古の寺院とされる「広隆寺(こうりゅうじ)/別名:太秦寺」がある。
もしこの「広隆寺」の名の由来が、漢字に“交流”の響きを託した「交流寺(こうりゅうじ)」であったとしたら――
想像はさらにふくらむばかりだ。
