晩春の庭園散歩2026
2026年4月末、母の誕生日にどこか出かけようという話になり、東京・駒込にある六義園と旧古河庭園へ出かけた。駒込は母が青春を過ごした場所だった。
桜の季節は終わり、ツツジも見ごろを少し過ぎたあたりだが5月を目前に迎えた木々は青々としていて新緑が美しい季節に移り変わる。自分も庭園は好きだがこの二つには行ったことがなかったので楽しみにしていた。


六義園は駒込駅のすぐ近くにあるが、入り口(正門)は駅の反対側にありかなり歩く。昔は駅前の入り口から入れたと母は言っているが、どこまで正確なのかは分からない。
受付でチケットを購入。旧古河庭園とのセットチケットがあり多少安くなる。六義園は文京区で旧古河庭園は北区なので、区立の公園だったらこんなことできなかっただろうなとぼんやり考えた。都立公園である恩恵をこんなところで受けるとは思っていなかった。
入場すると巨大な枝垂桜が出迎えてくれる。とは言えもう花は咲いていない。薄い緑が美しい。桜の時期はさぞ混雑しただろうが、今の桜も迫力があって見ごたえは十分だ。
庭園内は回遊式なので順路はあるが皆思い思いに歩き回っている。この時期はツツジがメインではあるが花が落ちている品種も多かった。それでもまだ咲いているものも多く、特に集中して咲いている場所では鮮やかな花々に多くの人が集まっている。


前日は雨だったため湿った草木がより光沢を出しているように見えた。足元も柔らかく、腐葉土の感触が伝わってくる。
なにより雨上がりの草いきれがとても心地いい。夏に田んぼを歩いてくると香ってくる蒸された草の香り。この独特な香りが大好きで、都心で味わえるのは本当にありがたいことだと思う。

この時期のもみじは緑色が薄く、それが重なって複雑な濃淡を作っている。紅葉も美しいが新緑のもみじはまた別の良さがある。園の北側は山道のようになっていてより深い木々の中を歩くことが出来る。ベンチも豊富にあって、風に揺れる葉を見ているだけでも楽しい。

六義園を後にし、旧古河庭園に向かう。徒歩でも移動できるが、旧古河庭園は坂の上にあり足が弱い人には厳しい。しかしバスもタクシーも捕まらず、結局駒込駅まで戻ってからタクシーに乗った。タクシーを使うにしては短い距離だが仕方ない。ものの数分で到着した。
旧古河庭園は名前の通り古河財閥が元になっている庭園で、検索すると洋館とバラが出てくるので西洋式庭園なのかなと思うが、実際は半分以上が日本庭園になっている。
時期的にバラはまだ早かったためほとんど咲いていない。まだつぼみとも言えない青々とした状態だった。バラのつぼみと言えば映画「市民ケーン」を思い出す。ずいぶん前に見たのでほとんど内容を忘れている。ラストで宝物を次々に捨てるシーンがあったような…と曖昧な記憶をたどっていた。
洋館は博物館になっており入館料が別途必要だが、喫茶室だけの利用もできる。入り口で注文・支払いを済ませた後に席へ案内されるシステムだった。3部屋ほどの喫茶室にしては席数が少なく、贅沢な空間の使い方だった。確かに先に注文するやり方の方が満員時に客をコントロールしやすいなと思う。施設内は撮影禁止だった。


庭園内には滝があり、涼し気な音が響く。少し前にホテルニューオータニの庭園にも行ったが、あちらに比べてより自然の滝に近いように作られていて華やかさよりも奥ゆかしさを感じる。幽玄さというか、少し怖さを感じるような雰囲気は人口で作り出すには難しいものだろうと思う。
こちらも回遊式で広い池の周りを自由に歩ける。石橋や巨大な灯籠など見所も多い。静かで美しい場所だった。
帰宅時、駒込駅周辺を少し歩いた。母が学生の頃とは何もかもが変わっていて、当時の店や建物を見つけることはできなかった。そもそも記憶自体が曖昧なうえに街の変わりようを目の当たりにすれば、ここが本当に自分が学生生活を過ごした街なのか信じられないと考えるのも当然だと思う。
それでも寺院や庭園はそのまま残ってくれている。過去の記憶は曖昧だが大切なものだと思う。「市民ケーン」も確かそんな話だったような、いや違ったようなと母と話しながら帰宅した。夕方になると風が冷たくなってきた。
