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なまえのない仕事

例えば今日、朝から近所の野菜市場に行った。ゴールデンウィークのせいか、混んでいる。店員はいつもより張り切っていて、汗をかきかき接客をしている。

ふと私と目が合うと、彼女は
「セリ、入りましたよ。いかがですか!」

と声をかける。私は、持っているかごの中を彼女に見せる。そこには大きなセリの束が3つ、葉を膨らませて並んでいる。彼女は笑っていた。

これが、うまいんだ。
セリは鶏とよく合うから、合わせて鍋にするとよい。春菊の代わりにすき焼きに入れることもできる。レンジで簡単にお浸しが作れるし、ナムルにしてもおいしい。茎はオイスターソースとよく合うから、中華に使えたりする。ごはんに混ぜ込んでもパスタに入れても、何をしてもおいしい。

でも、一つだけ言っておく。てんぷらに勝るものはない。衣をつけてさくさくに揚げ、醤油を垂らして食べたりしたら、ひと束なんてあっという間に消えてしまう。

家に帰り、セリの束を袋から出す。すると、台所が一気に、春の野生の匂いに包まれる。その柔らかい葉を指で撫でれば、目が覚めるような高い香りが立ち上る。茎はつるりと光り、刃を入れればザクっと小気味よい音を立てる。そこからさらに濃厚な、青く清々しい香りを放つ。

何もかもがいとおしいセリ。

今夜はさっそく、てんぷらにしよう。下ごしらえをし野菜室にしまった。

ちょっと高くておいしいヨーグルトを食べた。回覧板をお隣さんへ回した。熱々のコーヒーを淹れ、チョコレートをひとかけ食べた。映画を少し観て、昼寝をした。起きたらセリのてんぷらを揚げる。たくさん食べ、熱いシャワーを浴びて布団に入った。



これが、今日、私がした仕事だ。

私の仕事は毎日変わる。時間も違う。スケジュールはないし、上司もいない。
でもこれが、正真正銘、私の仕事なのだ。


これを若いころの私に言ったら、なんというだろう。きっと理解してくれないだろう。ぽかんと口を開けて、この人は何を言っているんだろう、という目で私を見るだろう。怒りのあまり怒鳴り出すだろうか。「そんなのは仕事とはいえない」と。

なぜなら、かつての私はこう思っていたからだ。
社会に求められなければ何の意味もない。金を稼いでいなければ、それは仕事とは言えない。

いつからこんな風に思い始めたのか、私は、勤める会社が大きければ大きいほど、良いと思っていた。年収が良ければよいほど。就いている役職が高ければ高いほど、動かせる部下が多ければ多いほど。

私が就職活動をしていた2013年ごろ、今もそうかもしれないが、皆がその名を知っている企業に受かることが良しとされる風潮があった。

さまざまなエージェントとの相談会やイベントを通じて、私はすっかり「大企業に勤めることが偉いに決まってる症候群」になった。特に理由もなく、大企業を受ける日々が続いた。

さらに1つ、恥ずかしい告白がある。あの映画だ。アレにおおいに感化されていた。
『プラダを着た悪魔』。あんな生き方に憧れていた。ヒールを鳴らしながら大都会を歩き、ハイブランドの服に身を包む。高いビルを上っていけば、ガラス張りのオフィスが私を待っている。日々、大きな組織の一部となり身を粉にする。恋人に連絡をとるのを忘れるほど忙しく、私生活がだめになるほど働く。

かっこいい。そう思っていた。当時の私は、身近で大切な人よりも、社会から求められたかった。大きな組織から「君がいないとだめだ」と言われたかった。
見当違いな「夢」は若い脳のなかでみるみる膨らんでゆく。

そんな思い違いでする就職活動なんてろくなものじゃない。もちろんうまくいかず、結局、まともに就職したのは25歳の時。地方都市に本社をおく土木建築系の中小企業だった。中小、というよりは「極小」だった。社長には悪いけど、入社式で私は半泣きだった。心底がっかりしていたのだ。小さな会社、古いオフィス、そして他の誰でもない、自分に。

いざ、働き始めてみると、私はまったく使い物にならなかった。朝、ぎりぎりの時間に起きだして寝癖をつけたまま会社へ向かう。作業中、居眠りをする。昼食はのどを通らず、家に帰ればシャワーも浴びないまま倒れ込む。そのくせ、なかなか眠れない。

みるみるうちに痩せ、髪が抜け、どんなにいいクリームを塗っても肌はひび割れた。目の下にはクマがくっきりと浮かび、目は深海に沈む死んだ魚のよう。それでもなんとか体を引きずって会社に出かけて行った。

そんな生活が続くわけがない。半年で退職することになる。倒れたのだ。それから36歳の現在まで一度も就業したことがない。


それからの私は、仕事をしていないことをものすごく後ろめたく思ってきた。自分が働き盛りという世代であるにもかかわらず、家にいることが。書類を書くときに「無職」に丸を打つことが恥ずかしかった。社会の輪からはじかれているような気がして、心細かった。

今の仕事を教えてくれたのは、私のかつての主治医だった。私が診察室へ入ると、開口一番に彼は聞いた。

「やっていて楽しいことは何ですか?」

私は、馬鹿にされているような気がした。楽しいこと?働いてもいない、社会から離脱した私が、何かを楽しむ資格があるのか。

「そんなもの、あるわけないです」

吐き捨てるように言った私に、医師は怒った。

「あなた、とんでもないことになりますよ。せめて、自分が何をしている時が楽しいのかくらい把握しておいてくれないと」

私はなぜ、そんなことで彼が声を荒げているのかわからなかった。

「はっきり言って、あなたの努力なしでは、私たちにだってどうにもできません」

努力?
楽しいことをすることの、何が努力だというのか。

私にとって努力とは、自分を痛めつけることと同義だった。自分を押し殺して、歯を食いしばり、血のにじむような苦しみに耐え抜くこと。

だから、この医師のいうことがどうしてもわからなかった。わからないまま病院を変え、医師を変え、薬を変えた。


それから6年が経っても、私の体調は一向に改善しなかった。 薬を飲み、万年床に横たわりながら、相変わらず、働いていない自分を責め続けていた。


ある早春の日だった。いつものように布団に寝ていると台所の方から、嗅いだことのないいい匂いがした。夕食の支度をする祖母に、その正体を尋ねた。
「セリだよ」
祖母は、濃い緑色の束を私に見せた。今朝、採れたばかりだという。

「長野にはさまざまな山菜があるけど、セリを食べるといよいよ春って感じがするね」

今夜、てんぷらにでもしてみるか?
祖母はにこにこしながら言う。なんでもいいよ、と私は適当に相槌を打った。


なんでもいいよ、じゃなくて「どうでもいいよ」だった。私にとってはすべてがどうでもよかった。だいたい、私は働いていないのだ。働かざるもの食うべからず。昔からそう言うじゃないか。


そんな私の気も知らないで、テーブルには次々とてんぷらが並んだ。祖母は「味見してみて」と醤油を垂らす。

「いただきます」。私は手を洗いもしないでそれをつかみ、口元へ持って行った。

あのときの感覚をいま、どう説明したらいいかわからないのに、はっきりと思い出すことができる。世界が変わるような感動だった。

それは初めて食べる味だった。衣は舌に触れたとたん、しゅわり、とほどける。さくさくと歯触りが良い。セリは程よい食感があって、噛めば噛むほど・・・なんだろう、大草原の真ん中に寝転がっているような味が広がっていく。

「箸を使いなさいな、箸を」
祖母がそう促したのは、私が4つめのてんぷらに手を伸ばした時だった。もう、止まらない。

「今食べているのは、セリの茎。この後、根っこも来るよ。これもまた味が濃くておいしい。そのあとは葉っぱ。これは玉ねぎと混ぜて揚げる。お互いの味を引き立て合うんだから」

祖母が教えてくれた。
私は、箸を持ち、改めて手を合わせた。てんぷらをとり、醤油をちょびっと。口元へ持っていくと、ああこの匂い。一口食べるとまた大草原。食べ終わると、いつもの台所に戻っている。噛むごとに、私は現実から連れ出されて、あの瑞々しい草原の真ん中に放り出される。

「すごいよ。このてんぷら。どこでもドアじゃん!」

という私の発言に、祖母はぽかんとしていた。私は口の周りをてかてかにしながら、この魔法みたいな食べ物を咀嚼し続けた。

「おいしい」

おいしい、ということ。それは歯がきもちいいこと。舌の上で踊るような感覚。噛むたびに、喉を通るたびに、緊張でこわばっていた身体がすうっとほどけていくようだった。

楽しい。ずっとこうしていたい。

すると、声がした。あいつだ。いつもの声。

働いてもいない奴が、ご飯を食べていいの?
「おいしい」なんて感じていいの?
就職活動しなくていいの?

そんなにがつがつ食べて。
働いてもないくせに。

この声は、いつだって私を責め立てた。でも、今回は少し違った。セリのてんぷらが私を助けてくれた。軽く揚がったその衣が、耳の裏でざくざくと大きな音を立ててくれたおかげだ。その声はだんだん遠のき、聞こえなくなっていった。


それからは、セリを食べる生活が続く。さまざまな料理にしたが、一番はやっぱりてんぷら。私は茎の部分、特に根に近い赤っぽい部分を2センチほどに切って、かき揚げにするのが一番好きだ。


ある日のこと。すでに5個目のてんぷらに噛みついていた私は、ふと、あの医師の言葉を思い出した。

「楽しむことがあなたの仕事ですよ。自分の仕事をしてください」

もし、だ。
もし、楽しむことが私の仕事なら。
セリのてんぷらをじっと見た。

これを食べることだって、私の仕事なんじゃないか。こんな風に考えたのは、初めてだった。

もうすぐ声がする。それはきっと、こう言うだろう。

調子のいいこと考えやがって。
そんなの仕事なんて言えるわけない。

でもその時は違った。声はしなかった。私は、セリに噛みついた。よくよく咀嚼して楽しんだ。飲み下しながらこう宣言した。

「私、しばらくの間はこれを仕事にする」

祖母は、やっぱりぽかんとしていた。


知っていた。セリの季節は間もなく終わる。でも、好きな食べ物はほかにもあるはずだ。私は紙を用意した。ペンを握り、そこに心から食べたいものを書き連ねていった。

卵が落ちたカレーうどん、黒糖入りキャロットケーキ、甘すぎるいなりずし、蕎麦のかけ汁で巻いた出汁巻き、育てたバジルで作るジェノベーゼパスタ、骨まで煮たサムゲタン、掘りたてたけのこの炊き込みご飯、バターたっぷりのシナモンロール。

頭の中につぎつぎと、おいしそうな料理が浮かぶ。私は夢中になった。リストはどんどん長くなる。いくらでも出てくる。私は、それらを片っ端から作って、食べてみることにした。

きれいごとばかりじゃない。体調が悪い日はいくらでもあった。布団から起きられない日。失敗して盛大に落ち込む日。いらいらして鍋をひっくり返したこともあった。家族には大いに迷惑をかけたと思う。それでも、私は「心から食べたいもの」を作って食べる生活を6年間続けた。

それから、なんとなくだけれど自分の「仕事」がぽつりぽつりと見つかるようになった。
早朝に散歩をすること、朝日をあびること。犬を愛でること、耳の裏の匂いを嗅ぐこと。バジルを育てること。シンクをピカピカに磨き上げること。大好きな古着を買うこと、着て出かけること。コーヒーを淹れること、その香りを楽しむこと。ドーナッツを食べに行くこと、3個は食べること。

私は、この仕事を随分長い間、嫌い、ないがしろにしてきた。生活を楽しむために時間を使うなんておぞましいとすら思っていた。そんなことはする必要はない、考えることもしてはいけない、と。

仕事って何だろう。毎朝、決まった時間に出かけていくアレだろうか。上司がいて、同僚がいて、残業がある。あるいは開業するという手もある。在宅や内職も。お金が手に入ること、社会的な居場所が用意されること。

それ以外の人は、だから、仕事をしていない。そう思う人もいるだろう。そう思っている人に伝えたい。

生きるという仕事もある。自分を楽しませるという仕事もあったりする。それは、しなければならないことで、義務だ。それをしなかったら人は生きられなくなってしまう。路頭に迷ってしまう。私がそうだったからよくわかる。これは、しなくてはならないことなんだ。

もし、楽しいことと言われてピンとくるものがあるなら、それをどんどんしたらいい。もし、そうしていて「こんな楽しいことばかりしていていいのか?」「みんなは苦しんでいるのに、自分だけ楽しくていいのか?」という声が聞こえたら、こう答えてほしい。


これは仕事だ、怠ってはいけないことなんだ。

私も今、そうしながら生きているところです。


あれから10年が経った今。私は自分の仕事をしながら、日々を生きている。書類には「無職」に丸を打つが、腹のなかでは「へへーんだ」と思っている。私は仕事がないんじゃない。私の仕事に名前がないのだ。
でももう、私は、私の仕事を知っている。


若いころの私に会ったら、とたまに考えることがある。彼女は何と言うだろう。がっかりするだろうな。都会のビル群どころか、過疎化の進む長野の村に身を置く私。ブランドもののヒールじゃなくて、スニーカーであぜ道を歩く私。仕事は、正社員どころか、パートですらない、この私を見て。

それでも私は、あの時の私と向かい合って座りたい。
そして、言うのだ。

「セリの天ぷら、食べたことないでしょ。一口あげるから、食べてみな」

ぽかんとする彼女をみて、私は笑うだろう。そして、ただ、一皿のおいしいてんぷらを差し出すだろう。




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微熱 自分を許して、大好きな釜揚げうどんを食べに行きます。ありがとう!