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珈琲の冷めないうちに - ep2 机上の奇人にもつ感情

 日本のスターバックスだけなのだろうか、不思議な現象がある。そこにいるほとんどのひとは何も喋らない。いたとしても、ふたりでひそひそと声を抑え囁くように話していて、かなり近寄らないかぎりそれは聞きとれない。BGMは流れているのか、静かに感じるので、それも気配りなのかもしれない。今ではそんなものだと思っていて、気にもとめなくなってきているが to goする人も多い。歩きながらや 車内、落ちついた場所で飲みたいのだろう、それではすこし冷めてしまうが、確かに便利だ。それでもバリスタが手渡しをしてくれたものを、やはり感触の残るうちに出来るだけその場で飲みたいと思ってしまう。
 
 店内で楽しむ人の中にコンピューターを背の高い椅子の机席で、キーボードを音もなく叩き、作業をしている人を見かける。企画書を作っているのか、フォトショでも仕上げているのか、覗くわけにもいかないので、その景色のみのが目に映る。だいたいその人たちは Macを置いている。ネクタイのない白シャツ、黒いスリムなパンツ、手入れのいい革靴を履いている。私が入り、出ていくまでずっと体を動かさず、たまにおそらくは冷めてしまっているだろうTallサイズの茶色の持ち手の珈琲に手を止めては画面を見ているのでおそらく企画書だろう。

 企画書というものを私はスターバックスなんていう所で作った覚えがない。世代かも知れない。オフィスのパーテーションこそないが、個人のスペースが確立された場所でWindowsのデスクトップでカタカタと高速で入力していく。他人のカタカタは気にならない。彼らはMacを使っているのでカタカタが鳴らない。エンターキーの音だけは強いので、気合いはそうとうのようだった。良質な企画書をただただ早く仕上げたい。そしてとっとと帰りたい。他のワーカーもそうしているので、心の中ではあなたも頑張って、私も今はこれに集中するからと思っている。自分以外の仕事の邪魔はしない。やる気と向上心はある仲間との一定の時間はいつもスムースに終わる。みんなも早々に済ませ帰っていく。このお喋りが苦手な集団は、言葉が少ない分、一旦仕事から離れると花火のようにバンバン弾ける。同じオフィスにはいない 拝借する頭脳たちも、開放されユニークで何とも風変わりな者たちとしてギュっと集まり、朝まで永遠に冗談を飛ばし合い、もれなく二日酔いとなり、ズルをして午前中は仮病になって行かない。連絡がつかないので、あぁ、あなたもね。と多分みんな思っている。それを知らないのは集合に来なかったボスだけだ。??と状況がおかしいことに気づいていないことをは想像できるので、普段では言えないなんかを心の中で思い気晴らしにしている。すごい奇人だらけだ。ボスを茶化すのもたまに楽しい。ごめんなさいね。愛はあるので。

夕方の店内で

 店内の話しに戻そう。何故オフィスではなく、敢えてそこで仕事をしようとするのだろう、とちょっと考えてみた。作業だけをする者たちから逃げたいのか? 場所を変えてリラックスモードに入りたいのか? そこには普通に珈琲と空間を楽しみたい人もいる。それに紛れてある意味開放されたいのかも知れない。その気持ちはとても理解できる。「そうだよね、誰かに詰められてストレスを感じたくもないよね」すごくわかる。奇人だと思われているなんて絶対に知らないよね。だけど思われているのよ。少なくとも私からは。貴方は気づいてないでしょ? 浮いてはいないけれど。そしてそれはスターバックスなんていう場所の名物になっていて、スタイリッシュとかの言い方の代名詞と化しているのよ。それもそろそろ飽きてはきているんだけど、暫く彼らはそこに生息し続けるのだと思う。私はその奇人のひとりにならずに時代のおかげで済んだ。危うく免れたと胸を撫で下ろして、だけど頑張ってね、とその白シャツの奇人を過去の自分はそっと応援して見ている。

 長野駅の近くにあるスターバックスには、観光で来る外国人も多い。白馬辺りで、スキーやアウトドアライフを楽しんできたのか、満足感と疲労感を漂わせ、ややぐったりとソファー席に凭れている。笑顔がない、いったいどうしたのだろうか。不機嫌ではないようで、おそらく満たされたので 何も今さら考える必要もないのか、ひとりオーラを消し 仲間と会話をすることもなく、今さら笑うことでコミュニケーションを取る必要もないようだ。ステキだ、こんな風に時間を泳がせ、その時だけの感情に自分を寛がせることが出来ることを真似したくなる。それも私からは奇人となり、どうやらそれには種類があるようで、自分に酔うタイプ、世界に浸れるタイプとかがいる。そのどれにも属さないある奇人を先日見つけた。悪口ではないことを先に言っておかないと、奇人へのリスペクトに邪心が宿る。

 これまた机上ではない。対面のソファーより硬い椅子に座っていたある男性の話だ。はっきり言うと「場違い感」が半端ない。可愛いのだが、白シャツよりも浮いている。先ずはその服装で、温かみのないシアトル系カフェとはいえ、客層はそこそこおしゃれな服装の人たちだ。奇抜ではないセンスのいい小洒落たセレクトでなかなか勉強になるのだが、何ともまたユニークなことに、どこで買ったのか、そしてどうやったらその組み合わせになるのか。ある意味目を奪われ、もしかしたらこれは最先端なのか? と錯覚を起こすのだが、やっぱりどう考えても変だった。暖かな店内で、ニット帽に、厚手のブルゾンを最後まで脱ごうともせず、背もたれにジャマだろうにバックパックを背負ったまま微動だにせず、というか動けないわけだが。固まりながら時どきチラっと周りを見渡している。気になるのだろうか。「自分は大丈夫かな、みんなおれのこと場違いだと思ってないかな」の気持ちと声が聞こえてくるようだ。私は心の中で「だいじょぶよ、思われてるけど、気にしない気にしない」と笑いをこらえてうつむいた。そしてまたその男性を見て、また微動だにしていないことに「ああ、良かった。馴染んできているよ」と親戚の姪の気分で見守ろうと決めた。老婆心で、そのケーキの紙のしまつに困った時につい声をかけて教えてあげたことを、余計なお世話だった、と後悔をしている。その彷徨い男性が自分でそのやり方を知るまでここに通えるようにておかないともうここで会うことがなくなってしまう。ごめんね。また会いたいので、もう手を貸すことはしない、そしてそのファッションは魅力的な個性だと思うことにするよ。

 これは余談だが、奇人と呼ぶほど高度なものには値しないと思っていた。同じく机上でばかり何かを考えている人間はいったい何が目的で、なにを掴み取りたいのだろう、違う人種なので興味と偏見を持っていたのだが..、だいたい彼らのなにかの質問に対して帰ってくる回答は説明書のようで、がっかりする。それは聞いたこともあるし、なんならもう調べているから上書き不可とインプット拒否としていた。出来るだけ情報を入れアウトプットに持っていくにはムダなこととなるので、直感で切り捨てていた。ところが後にデジャヴが起こり、このことだったのか? とムダと思ってしまったことにこころ咎めることがあるので、彼らの勉強と追究心には頭が上がらない。なので、これも高度な奇人と認め直さないといけない。こういう後悔は数多くあるといい。

 珈琲とその空間にいると予想なもく現れる人物との出会いに喜び 驚く。疑問と偏見を持ちながら。とびきり上等な奇人たちにを見逃さず。
      愛すべき奇人よ永遠に。        


                              Break a leg!


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