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幻の大地に生命保険会社をつくる

──DQ6の世界に参入したら、その保険会社は儲かるのか

はじめに:生命保険は「不公平だ」という苦情から始まった

17世紀のイギリスで、教会の牧師たちが組合をつくった。自分に万が一のことがあったら遺族に生活資金を出す。そのために保険料を出し合う。趣旨は立派だ。

ところがこの組合、全員が同じ金額を払う仕組みだった。人の死亡率は年齢とともに上がる。若い牧師は払うばかりで受け取る見込みが薄い。当然のように「不公平だ」となり、組合はほどなく解散した。

この問題を解いたのが数学者ジェームス・ドドソンで、公平な保険料分担の方法を発見。1762年、世界初の近代的な生命保険会社が設立される。

つまり生命保険という事業は、「リスクの高さに応じて保険料を変える」という一点を解いた瞬間に成立した。逆に言えば、そこを解けない市場では、どれだけ需要があっても事業にならない。

さて、需要という点で、こんな市場がある。

毎日モンスターに殴られ、洞窟の奥で全滅し、魔王に世界ごと滅ぼされかける人々が住んでいる。リスクだけを見れば、これほど有望な市場もない。

『ドラゴンクエストVI 幻の大地』の世界に、生命保険会社は参入すべきか。

結論から言うと、この企画は投資委員会で一度差し戻される。



第1章 市場調査:三つの世界と、本人確認できない顧客

まず対象市場の地理を押さえる。

DQ6の世界は三層構造になっている。上の世界と下の世界が上下に重なっており、地面に空いた大穴や井戸、階段で行き来できる。物語を進めると、下の世界こそが「現実の世界」で、上の世界は人々の夢や願いから形成された「夢の世界」であることが判明する。終盤には大魔王デスタムーアが作った「はざまの世界」も登場する。

ライフコッドやレイドックのように両方の世界に存在する町もある。片方の世界で起きた変化が、もう一方にも影響する。

住民のほうも複雑だ。主人公は物語の一時期、精神と実体が分離した状態で存在している。ハッサンもミレーユも同じ経緯を持つ。仲間のバーバラに至っては、自分の実体を持っていない。

保険を売りに行く側として最初に思うのは「契約書のサインを誰にもらうんだ」ということである。本人確認の時点で詰んでいる。

いったん落ち着いて、市場を分けて確認していこう。


第2章 却下その1:蘇生費用保険は、商品として成立しない

まず思いつくのが、教会の蘇生費用をカバーする保険だ。

DQ6の教会で死んだ仲間を生き返らせるには、寄付金としてゴールドを払う。金額はレベルで決まり、DQ6では「レベルの二乗(1の位は切り捨て)+10G」、最高額は9,810Gである。

| レベル | 蘇生費用 |
| Lv10 | 110G |
| Lv20 | 410G |
| Lv30 | 910G |
| Lv50 | 2,510G |
| Lv99 | 9,810G |

二乗に比例するので、レベルが上がるほど急に高くなる。年齢が上がるほど保険料が上がる現実の生命保険と、曲線の形はよく似ている。ここまでは「いける」と思った。

思ったのだが、この商品には問題が四つある。

問題1:金額が小さすぎる

DQ6ではゴールドを6桁まで持てる。最高額の9,810Gですら、中盤以降の冒険者には装備品一つ分だ。

生命保険協会は、預貯金と保険の違いを「預貯金は三角、保険は四角」と説明している。預貯金は少しずつしか貯まらないので、いざというときに十分あるとは限らない。だから、あらかじめ決まった額を確保できる保険に価値がある。

裏を返せば、預貯金で足りてしまう金額に保険は要らない

問題2:無料の競合がいる

DQ6には、神の船の封印が解かれて以降、ゲントの村の長老に話しかけると死者を全員無料で蘇生してくれるという仕様がある。

無料。全員。回数無制限。

新規参入した保険会社が真っ先にぶつかるのが、この長老である。価格で勝てる要素が一つもない。

問題3:顧客が自前で保険機能を持ってしまう

僧侶の職業レベルが★8に達すると、蘇生呪文「ザオラル」を覚える。★8までに必要な戦闘回数は159回。ダンジョン一つ潜れば数十回は戦うので、そう遠い話ではない。

契約者が自力でリスクを引き受けられるようになった瞬間、保険は解約される。

問題4:そもそも「死亡」が確定しない

これが一番厄介だ。死亡保険金を払うには、死亡という事実を確定させる必要がある。ところがこの世界では、死んだ人が翌日ぴんぴんして戻ってくる。

保険金を払った翌週に本人が窓口に現れたら、どうすればいいのか。返してもらうのか。

以上より、蘇生費用保険は主力にならない。特約に格下げして先へ進む。


第3章 却下その2:夢の世界は、引き受けてはいけない

次に営業エリアの話をする。

生命保険には「収支相等の原則」がある。集めた保険料と支払う保険金が等しくなることが基本で、式にするとこうなる。

保険金 × 死亡者数 = 保険料 × 契約者数

この式が成り立つのは、大勢のうち一定割合が亡くなるという前提があるからだ。多くのデータを集めれば死亡率は安定する。これが大数の法則で、生命表もこの上に成り立っている。

ここで夢の世界を見てみる。

物語の結末で、大魔王デスタムーアが倒れる。夢の世界はデスタムーアの力によって実体化していた場所だったので、その力が尽きた以上、夢の世界も、そこに住む人々も、現実の世界の住人には見えなくなる。実体を持たないバーバラも、主人公たちの前から姿を消す。

契約者が全員、同じ日に、同じ理由で、一斉に消滅する。

大数の法則が成立しない。1人ずつバラバラに亡くなるのではなく、100%相関している。現実世界でいえば戦争や巨大災害の集積リスクと同じ構造で、だからこそ実際の生命保険には戦争や災害の免責事項が設けられている。

しかも厄介なのは、その一斉消滅を引き起こすのが我々の最優良顧客である主人公パーティだという点だ。世界を救った英雄が、そのまま自社の支払部門を壊滅させる。

したがって、夢の世界は引受対象から除外する。冷たい判断に見えるが、引き受けて共倒れになるよりましだ。

はざまの世界については、絶望の町・欲望の町・牢獄の町という並びの時点で、コンプライアンス部門が首を縦に振らない。


第4章 最大の障害:この世界では、職業別の保険料が組めない

ここからが本当の難関である。

現実の生命保険では、職業は保険料や引受判断に関わる要素だ。危険を伴う職業ほどリスクが高いのだから、当然そうなる。

ところがDQ6には転職システムがある。しかもこれが強烈で、キャラクターは自由に、何度でも職業を変えられる。各職業には熟練度があり、戦闘を重ねると職業レベルが上がる。★8でその職業のマスターだ。

| 職業 | ★8までの戦闘回数 |
| 踊り子 | 119回 |
| 商人 | 129回 |
| 盗賊 | 139回 |
| 戦士 | 149回 |
| 僧侶 | 159回 |
| 魔物使い | 164回 |
| 魔法使い | 179回 |
| 武闘家 | 199回 |

さらに複数の基本職をマスターすると上級職に就ける。戦士★8と武闘家★8でバトルマスター、僧侶★8と魔法使い★8で賢者。踊り子★8と遊び人★8ならスーパースターである。

契約時は「遊び人」だった被保険者が、数週間後には「バトルマスター」になって魔王に殴りかかっている。告知内容は契約直後から嘘になる。

17世紀の牧師組合が「全員同額」でつまずいたのと、構造は同じだ。 リスクに差があるのに保険料を変えられないなら、事業は成り立たない。

……と、ここまで却下ばかり並べてきたが、実はこの世界、保険会社にとって垂涎の設備が揃っている。


第5章 勝ち筋:保険会社が本当に欲しいのは、伝説の武具ではない

視点を変えよう。幻の大地には、現実の保険会社が喉から手が出るほど欲しいものがある。

契約の入口を守る道具だ。

  • ラーの鏡:真実を映し出す。魔王ムドーの幻術すら見破る。これがあれば告知の嘘も、健康な人だけが加入を避ける事態も原理的に起きない

  • 夢見のしずく:実体のない者を可視化する。第1章の本人確認問題が解決する

  • ダーマ神殿:転職の公式窓口。ここと提携すれば職業変更を即座に把握でき、第4章の問題は解ける

  • 夢占い:グランマーズが将来を見通す。エンディングではミレーユが弟子入りしている。保険料を計算する専門職の採用目処も立つ

伝説の武具を四つ集めると神の城に行けるという噂があるが、保険会社が集めるべきはそこではない。ラーの鏡である。

──と、ここで重大な問題に気づく。

ラーの鏡は、世界に一つしかない。

しかも物語の要所で使われ続ける重要アイテムで、主人公が持ち歩いている。つまり引受審査をするたびに、勇者一行を追いかけ回して鏡を借りる必要がある。契約1件ごとに世界の危機と日程調整するビジネスモデルは、控えめに言って拡大しない。

事業計画書の「スケーラビリティ」の欄は空白で提出することになる。

そして商品のほうは、実は作中に答えが書いてある。

物語の最後、冒険を終えた仲間たちはそれぞれの人生に戻っていく。主人公は王子としてレイドックへ。ハッサンは大工を志してサンマリーノへ。チャモロは病気の人々のために働き、テリーはさすらいの剣士として旅立ち、ミレーユは夢占い師の修業を始める。

彼らは死なない。引退するのだ。

ならば売るべきは死亡保険ではない。一定期間生存していた場合に保険金が出る「生存保険」であり、決めた年齢から年金を受け取れる「個人年金保険」である。魔王を倒した後の人生は、まだ長い。


第6章 商品設計:レイドック王国民年金

主契約:個人年金保険「幻の大地」
引退後の生活資金を確保する。営業エリアは現実の世界に限定。

特約1:蘇生費用給付特約
第2章で却下した商品を、特約として復活させる。単体では売れないが、オプションなら安心材料になる。撤退基準は明確で、ゲントの村の長老が無料蘇生を始めた時点で新規募集を停止する。

特約2:ダーマ転職通知特約
職業変更時に保険料を再計算する。実質はシステム対応費の転嫁である。

販売チャネル:ゴールド銀行
DQ6では従来の預かり所がゴールド専用の「ゴールド銀行」に変わった。現実でも銀行や信用金庫、証券会社が生命保険商品を販売している。窓口として、これ以上ないほど自然な提携先だ。


第7章 それでも残る問題

生命保険の保険料は、予定死亡率・予定利率・予定事業費率という三つの「予定率」で計算される。予定利率は、集めた保険料を運用してどれだけ増やせるかの見込みだ。契約が長いほど、この寄与は大きい。

ところが幻の大地には債券市場も株式市場もない。ゴールド銀行に預けても利息はつかない。

予定利率はゼロである。

保険料は割高になり、「30年後に増えて返ってきます」とも言えない。おまけに配当金は予定と実績の差から生まれるものなので、運用差益が構造的に発生しないこの世界では、配当のない無配当保険しか設計できない。年金保険の商品説明としては、かなり寂しい。

ただし勝ち目がないわけでもない。競合のゴールド銀行も同じくゼロ金利なのだ。差がつかないなら、勝負するのは利回りではない。

冒険者にとっての価値は「簡単に引き出せないこと」である。手元にゴールドを置いておけば、つい伝説の武具の噂に釣られて散財するし、カジノにも寄る。保険は預貯金のように自由に引き出せない。だからこそ引退後の資金が残る。

「預貯金は三角、保険は四角」という説明は、ゼロ金利の異世界でも通用する。むしろ利息で誤魔化せない分、保険の本質だけが残る。


おわりに

参入判断は「現実の世界に限定し、ダーマ神殿と提携し、個人年金を主力に、ゴールド銀行で売る」という条件付きで可決。ただしラーの鏡の争奪戦に勝てたら、という但し書きがつく。

まとめていて思ったのは、260年前の牧師組合とまったく同じ壁に、この世界もぶつかっているということだった。人によってリスクは違う。そこに目をつぶれば制度は続かない。ドドソンが解いたのはその一点で、今の生命保険はぜんぶその延長線上にある。

ちなみに、ここまで書いて最初に思いついた実務的な打ち手は、ゲントの村の長老を引き抜けないかということだった。無料で、全員を、何度でも蘇生する。

競合として戦うより、採用したほうが早い。


参考にした情報

  • 生命保険協会「生命保険の基礎知識」STEP1〜8・用語解説

  • ドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜ!!第三版Wiki「【ドラゴンクエストVI 幻の大地】」「【いきかえらせる】」

  • Sword and Magic「ドラゴンクエストVI 職業紹介」

  • RENOTE「ドラゴンクエストVI(DQ6・ドラクエ6)のネタバレ解説・考察まとめ」

※作中データはSFC版を前提としています。リメイク版では仕様が異なる場合があります。保険商品に関する記述は思考実験であり、実在の商品とは関係ありません。

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