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青木真也に夢を見た。『超RIZIN.5』VS朝倉未来戦【格闘思考】

ヘッダーの写真は、東スポの青木真也並にメガネを光らせる、うちの飼い猫です笑


9月10日京セラドーム大阪『ANGEL CHAMPAGNE presents 超RIZIN.5 浪速の超復活祭り』PPVで見届けさせていただきました。
今大会、目当てはもちろん、青木真也VS朝倉未来の一戦です!


私は、今回の試合が発表されたその当初から、この闘いに臨む青木真也に夢を見ていました。
現代日本格闘技界の寵児、朝倉未来に勝ってくれるのではないか、と。

SNS時代にあって知名度抜群、現代格闘技界のメインストリートを行く朝倉未来、その相手に青木真也。

青木真也は言わずもがな、世界最高峰の寝技・グラップリング技術を持った選手として日本MMA界を代表する選手。ただ朝倉未来に比べ、今の若い一般層世代にはあまり知られていない選手でもあり……。(格闘技ファンはともかく)
事実、年齢・世代的に朝倉未来側である筆者の周囲は、朝倉未来は知れど青木真也は知らないと言う人が大多数でした。
ただ筆者は何の因果か朝倉未来を知る(有名になる)よりも前に、青木真也とその強さを知っていましたし、プロレスにハマり追うようになってからは、プロレスラーとしての青木真也もよく目にするようになりました。

正直、朝倉未来やブレイキングダウンといった昨今の格闘技シーンにイマイチ、ノリきれない自分としては、昔から活躍してきた選手であり、プロレスをも愛する青木真也にこの試合勝って欲しいと思いました。
それに43歳という年齢とはいえ、かつての世界最高峰の寝技・グラップリング技術を持つ青木真也ならば、今でも朝倉未来相手に十分勝機がある、と未だ思えたこと、そのギリギリの可能性に賭けられるのって夢、ありませんか?

若者に大人気の朝倉未来というビックネームを、PRIDE時代から生き残って来たベテラン・青木真也が締め上げ極める———そんな景色が見れる可能性があるんですからそりゃあ、夢見ちゃいますよね。

そして夢を見ていると、いつしか私自身の憧れや思いなんかも“そこ”に乗っていくワケで。
人に嫌われ蔑まれても、評価を気にせず、空気を読まず。己を貫きながら、自らの哲学、美学、理論に則して生きる青木真也は魅力的です。もちろん、その偏屈家的な性格や考え、言動に対して賛否両論ありますが、個人的に私はそんな彼の生き方、好きなんですよね。むしろ憧れまである。

私自身も大概、歪んだ人格の捻くれ者でして。己を貫くがゆえに普通の人間として生きてこれなかった孤独、コンプレックスにまみれつつ歩んできたこれまでの人生。それらに対する苦しい思いが心の内にあるのです。
だからこそ、おこがましくも同一視し憧れている青木真也に自分の思いを重ね、彼の勝利をもって、自分の人生を肯定したいなんてことを、夢に見ちゃっていたのでしょう。


しかして結果は———1ラウンド2分39秒のTKO、青木真也は敗北し、朝倉未来の勝利で終わりました。

青木真也に夢を見て———そして今、その夢から私は否応なく目覚めさせられました。
今回の結果は、今の格闘技界にノれずに若くして青木真也勝利を夢見ているようなお前は時代遅れの人間だよと、そんな歪んだ捻くれ者にまっとうな幸せなんて少なくともやってこないよと、改めて突きつけられたも同然かもしれない、そう思ってしまいました。

では私はこれから、どうすればいいのか。夢から覚めた今、どうせこのまま生きていても、自分の人生が報われ肯定されることなんてないのだからと、これからを諦めるべきなのか。

いや、違う。敗北というものは格闘技の宿命。そして格闘技ファンならば、目の当たりにしたこの負けをどう咀嚼し、明日=今後の人生に繋げていくかを考えていかねばならないのです。それが我々の宿命と言えるかもしれません。

私は思考の末、一つの結論にたどり着きました。これは自分に対する戒めとしてここに書き記させていただきます。
時間は有限であることを意識して、今、若いこの時間をもっと大切に、自分のやりたいこと、やるべきことに対して考え、思想性を育みながら必死にチャレンジしていくべきだと。そして実績と精神性を積み上げていくべきだ
これが私の出したこの試合での学びです。

この結論は至極当たり前だと思われる人もいるでしょうが、意外と意識していないと私は忘れてしまいますし、惰性に生きてしまうものなので。

今回の試合も、青木真也がこれまでの果てしない実績と精神性の積み重ねをおこなってきて勝利に対するギリギリの説得力を持ち合わせていたからこそ、敗北した時、その散りざまが美しく輝き評価されるものだったのだと思えました。

以上、私は自分で結論付けたこの学びを意識し、未来に繋がるような生き方をしていかねば夢を見せられるような人間にはなれないと思って、改めて生きていこうと思います。


もう一点、今回の試合結果である気づきを私は発見しました。
それは「人間は人生というリングの中で、死と常に格闘しているものだ」ということ。

格闘技の試合=人間の人生(一生)なのではないか。人間(生命)という存在は、この世に生を受けた時から死が常に付きまとってきます。

必死に毎日を生きた上で死ぬこともあれば、急に死んでしまうこともある。病に打ち勝とうと必死に生きた上で死ぬこともあれば、なんてことないことで、事故などによって一瞬で生命を奪われ、急に死んでしまうこともある。格闘技の試合も一緒で。必死に抵抗し、戦った上でも負けることがあれば、今回の試合のように一瞬にして隙を突かれ、負けてしまうこともある。

よく格闘技で「介錯」なんて単語が使われたり、「格闘技、プロレスとは人生だ、人間ドラマだ」なんだと格闘技の試合を人の一生、人生に見立てて表現をするものもあったりしますが、なるほど確かに筋が通っていると思います。

そんな思わぬ気付きを得て、格闘技には生と死を実感させられる。だから私は好きなのだと思いました。そしてやっぱり私に勇気をくれて、生きる力を与えてくれて、救ってくれるのは格闘技なのだと、そう思えた1日でした。

ああ、なんて素晴らしいものなんだろう。

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