保育園の送り、あんなに大変だったのに。娘が一人で歩いた朝の話
5:40に起こしていた日々
うちの朝は、長い間ずっと戦争みたいだった。
5:40に起こして、着替えさせて、朝ごはんを口に運んで、抱っこして玄関まで運んで、ベランダから「バイバイ」してもらう。毎朝同じ流れを、ただただ回してた。
保育園に7時に預けるためには、これくらいやらないと間に合わなかった。娘が眠くて動かない日も、機嫌が悪い日も、関係なかった。時間だけが容赦なく過ぎていく。
あの頃は「早く起きてくれる子だったら楽なのに」って何度も思った。でも今振り返ると、あれはあれで、娘とベタベタくっついてた時間でもあった。
小学生になって、変わったこと
娘が小学生になって、朝が一気に変わった。
ランドセルを背負って、自分で家を出て、自分で歩いて学校に行く。
付き添いはいらない。身支度を極限まで急がせる必要もない。玄関で「行ってらっしゃい」を言うだけで、あとは娘のペースで進んでいく。
正直、めちゃくちゃ楽になった。保育園時代を知ってるからこそ、この変化のありがたみが染みる。
でも同時に、新しい感情も出てきた。
楽になった分、出てきた心配
一人で歩かせるようになって、心配事の種類が変わった。
事故に遭わないか。知らない人に声をかけられないか。ちゃんと道を覚えてるか。
保育園時代は「体力的にきつい」心配だったけど、小学生になってからは「見えないところで何かあったら」という心配に変わった。子育てって、大変さの中身が変わり続けるだけで、なくなることはないんだなと思う。
だから、一緒に歩いた
いきなり一人で行かせる勇気はなかったから、最初は何度も一緒に歩いた。
信号の場所、危ない交差点、車が多い時間帯。娘の隣を歩きながら、何度も同じ道を繰り返し確認した。娘が「もう分かるよ」って言うようになるまで、付き合った。
これは「教える」というより、「一緒に覚える」時間だったと思う。娘がどこで立ち止まるか、どこで不安そうな顔をするか。歩きながら、娘の中の「大丈夫」が少しずつ増えていくのが分かった。
「そろそろ一人で行けそう」と思った日
何回か一緒に歩いたある日、娘が迷わずに角を曲がって、信号もちゃんと確認して渡った。
その後ろ姿を見て、ふと「もう一人で大丈夫かもしれない」と思った。
親の側が「もう大丈夫」と思うタイミングって、子供本人の成長よりも、実は親の覚悟の方が追いついてないことが多い気がする。娘はとっくに歩けるようになってたのに、こっちが踏ん切りをつけられずにいただけなのかもしれない。
一人で歩かせた朝、こっそり後ろからついて行った
その日、思い切って娘を一人で送り出した。
玄関で「行ってらっしゃい」と言って、娘が角を曲がるのを見送って。
でも、そのまま家には戻らなかった。
正直に言うと、こっそり距離を取って後ろからついて行った。電柱の陰に隠れながら、娘に気づかれないように。
我ながら過保護だと思う。でも、頭では「大丈夫」と分かっていても、心はまだついていけてなかった。
隠れながら見た後ろ姿
電柱の陰から見た娘の後ろ姿は、ちゃんと前を向いて歩いていた。
信号でちゃんと止まって、左右を確認して、迷いなく歩いていく。ランドセルを背負ったその小さな背中が、思ってたよりずっとしっかりしていた。
こっちが心配してた分だけ、娘は着実に成長してたんだと思う。
見送りながら、なんだか泣きそうになった。ちょっとだけ寂しくて、でもそれ以上に誇らしかった。
楽になったことと、寂しさは両立する
保育園時代の朝を知ってるからこそ思う。
「大変じゃなくなること」と「寂しくなること」は、同時に起きるんだなと。
送りが楽になったのは事実だし、正直ありがたい。でも、抱っこして運んでた頃の重さとか、ベランダから手を振ってた距離感とか、そういうものが少しずつ過去になっていくのは、やっぱり寂しい。
子育てって、楽になることを喜びながら、同時に何かを手放していく作業でもあるんだと思う。
さいごに
うちは特別なことは何もしてない。ただ、一緒に歩いて、心配で、こっそりついて行っただけ。
でも、これくらい普通の親の感情だと思う。完璧に見守れてるわけでもないし、毎回冷静でいられるわけでもない。
娘の後ろ姿を見ながら、「ちゃんと育ってる」と実感できた朝だった。同じように子供の成長と心配を抱えてる人に、少しでも共感してもらえたら嬉しい。
