「幸せのための経済学」蓼沼 宏一著の段落要約
経済学の入門書として読んだ。
中学生でも読めるシリーズであるということだったが、かなり難解だ。
読もうと思ったきっかけは、社会人になり経済の重要性は分かっているつもりでも、きちんと理解はできていない。何か日々の仕事や普段の生活をしていく上で世の中を見る目をクリアにしてくれる本はないかと思い、この本を手にした。
幸い、章を細かく分けてくれているので、どの辺りが理解できてどこが理解できていないのかの把握はしやすい。
何度も読みたい良書だ。
本記事は主に理解のために段落ごとに要約したものになっている。また、全段落を要約したので文量も多い。
そのため、自分の感想を特に記載しているわけではない。
まえがき
本書では、「経済とは?」「人の福祉とは」「人々の福祉を高めるとは」「どういったシステムならうまくいくのか」といったことを考えていく。
それにあたり、「効率」と「衡平」という経済学の概念を導入する。
1.経済とは
1-1チリの鉱山落盤事故から
チリのサンセホ鉱山で起った落盤事故は、5つの点で経済に通づる。
①作業員は限られた食料と水しか用意されていなかった
→我々も限られた地球環境、資源の制約のもとで生きている
②優れたリーダーが示したルールのもと、生活した
→地球の限られた資源を分配するのも、規範ないしルールが必要
③全員が生存するために、様々な作業を分担していた。
→分業によって限りある資源から最大限の効果を引き出すのは社会経済メカニズムの大切な要素の一つ
④誰も孤独ではなかった
→共同体の中で人々から尊重されていることなどが人の福祉にとって重要
⑤地上へ救出される際は、最も弱っているものが優先された
→利害対立の状況を解決するには、誰の利益が優先されるべきかという規範が不可欠
1-2経済とは?
経済は身近な存在であるはずなのに、なぜとっつきにくいのか、著者は、「現代の経済システムがあまりにも大きなものになってしまったからだ」と主張する。
また、経済とは、「多様な好みや価値観を持つ人々が、限りある資源を用いて物やサービスを生産し、分配し、消費するシステム」と定義する。
私たちはそのシステムの構成員であり、システムを動かす貢献者であると同時に、システムの成果を享受する受益者でもある。経済の目的は、参加する人々の福祉を高めるため。人々がより良い生を実現するために他ならない。経済は白紙に全ての設計図を書いて1から建設された訳ではない。
歴史の中には経済システムの大きな転換点となった事実がいくつも見出せるとし、20世紀初めの社会主義経済システムの構築と、同世紀終わりにおける市場経済システムへの再転換は、最も顕著な例であるとする。
1-3限りある資源の配分
資源には時間も含まれる。
経済問題は常に「制約のもとでベストなものを選ぶ」問題でもある。
資源は限られているため、何かを実現する際には、犠牲になる他のものやこと ー経済学では「機械費用」と呼ぶー と比べて、実現しようとしているものにより価値があると言えて初めて、実現すべきであるという結論に至る。
1-4人間の多様性
人間は多様であり、好み、性格、価値観、能力は皆異なっている。
人々がそれぞれの得意分野で特化して協働することで同じ量の資源から多くの物やサービスを生産することができる。
他方、人々が協力したとしても、生産されたサービスやモノには依然限りがある。そのため、全ての人々にそれぞれの望む量を与えることは不可能であるため、分配をめぐっては常に利害の対立がある。
どのような社会経済システムが望ましいのかを判断するには、協働しつつもその分配についても考えないといけない。
1-5効率・衝平・公平
無駄なく生産・分配する必要がある。それも、効率的に。
社会における人々の状態に偏りがなく、バランスが取れているかということが評価基準にもなる。
これを衝平性基準と呼ぶ。
経済システムにおける利害一致の面と利害対立の面とは、完全に分離することはできない。
努力して働いても、その報酬が怠けていた人と全く同じであるならば、誰も真面目に働こうとはしなくなる。
効率性のためには報酬になんらかの格差を設けることが不可欠である。
効率性を犠牲にすることなく、どこまで衝平性を達成できるのか。
これは、経済学を用いた実証分析によって検証しなければならない問題。
本書では、社会における人々の状態が釣り合いの取れていることを「衝平」と呼び、社会における取引などのルールや手続きにエコ贔屓がなく、フェアであることを「公平」と呼ぶ。
ルールや手続きの「公平性」は、帰結の「効率性」と「衝平性」を実現するために必要不可欠な条件である。
1-6資源配分の評価
経済システムを評価するということは、資源配分を評価することに他ならない。
「資源配分」とは、各企業がどれだけの労働者を雇用し、機械設備等を使い、原材料を投入して、どのようなモノやサービスを産出したか、それらの生産物は各消費者にどれだけ分配されたか、分配されたモノやサービスを各消費者はどれだけ消費し、残りを貯蓄したか、貯蓄がどれだけ各企業の投資に回されたか、政府はどのような課税を行い、それによってどれだけの公共支出を実行したか、といったデータをリストアップしたモノである。
その中で大事なデータは、各個人がどれだけの労働を提供し、どれだけの消費を実現したのかということに焦点を絞ることである。
それによって資源配分の望ましさを判断すべきである。
GDPがどれだけ大きくても、各国民の状態を見ない限り、その経済システムがうまく機能しているかどうかは分からない。
1-7最善と改善
完全に効率的な資源配分、あるいは完全に衝平な資源配分とは何かを明らかにすることは、もちろん重要である。
しかし、現実の経済システムが最善の資源配分を実現することは、まずあり得ない。
どちらの資源配分の方がより衝平か、あるいは効率的か、という評価を下すことが重要。
最善の資源配分とは何か、ではなく、資源配分が改善されたかどうか、が問われるのである。
本書では資源配分が改善されたと言えるのはどのような時かという問題についても考える。
2.ひとの福祉とは?
2-1「福祉」の意味と基準
どのような経済システムが望ましいのかを評価するためには、まずヒトの「福祉」とは何かを考えなければならない。
本来は、「ヒトが良い状態にあること」を意味する。
ヒトの境遇が良い悪いということは、さまざまな観点から評価することができる。どのような基準・尺度で判断すべきだろうか。
2-2モノ・サービスの量
お金があったとしても孤独であったり、休日もなく働き続ける生き方が幸福とも言えない。
購入可能なモノやサービスの量は、ヒトの境遇を決める大きな要素の一つではあるが、それだけでは福祉の水準を測るのに十分とはいえない。
2-3国内総生産(GDP)
GDPとは、一つの国で一定期間に生産されたモノやサービスの価値額の合計。正確には「付加価値額」の合計、つまり国内の生産活動によって追加された価値額の総量。
各企業の売上ー他企業への支払=付加価値額
付加価値額は、労働者への賃金、機械などの使用料、社債の利子・株式の配当として分配される。
したがって、GDPは、国民全体が受け取る所得の合計と一致する。
賃金が所得というのは理解できるが、なぜ機械の使用量までもが国民が受け取る所得に含まれるのだろう
→機械の使用料も誰かの手に渡るので、国民の所得の一部になる。
ヒトの福祉を高めるという経済の目的のためには、所得の衝平な分配が不可欠である。従って、GDPは国民の福祉に関係はするが、それ自体を福祉の基準とみなすことはできない。
2-4幸福・欲望充足ー効用
19世紀以来の功利主義の考え方では、幸福ないし欲望充足の度合いを「効用」と呼び、効用をヒトの福祉の基準とみなしてきた。
経済学でいう効用とは、幸福または欲望充足の度合いを指す。
経済学でいう功利主義とは、効用をヒトの境遇の良し悪しの尺度とし、社会全体の効用の総和が大きいほど社会状態は望ましいとする考え方のこと。
功利主義にも問題がある。
第一に、功利主義では幸福ないし欲望充足の度合いが数値によって計測され、しかも異なる個人の間でもその数値を比較することに意味があると考えている。
幸福や欲望充足は主観的な感覚なので、その度合いを客観的な数量として計測することは困難。
第二に、幸福・欲望充足という主観的感覚は、その個人の形成してきた習慣や置かれている社会的環境にも強く影響されるため、個人の客観的な状況を評価する基準としては適切ではない。この功利主義の欠点をアマルティア・センは「物理的条件の無視」といった。
第三に、幸福ないし欲望充足の度合いが高まるということが、必ずしもそのヒト自身の生き方の向上と結びつかない場合がある。
欲望を満たす(タバコを吸う)ことが、その人の生き方の向上(健康になる)につながるということもない。
「欲望を満たす」ということと自信がその行為を「評価する」ことは必ずしも一致しない。この功利主義の欠点をアマルティア・センは「評価の無視」といって批判した。
「欲求する」という純粋に主観的な行為に比べて、「評価する」ということは、より客観的な観点に立つ精神活動なのである。
2-5選択論アプローチ
幸福や欲望充足の量は観測困難だが、二つのものどちらを選好するかということは、その人の選択行動により観測できる。
人の好みは実に様々。
現代の経済学では、各個人は衣食住における様々なものやサービスの消費量や労働時間の組み合わせに関して、好みの順序をつけられるということを基本前提としている。
これを選考順序とよぶ。
各個人の先行順序において、より高い序列にある消費パターンを実現できるほど、その個人の状態はいいと判断する。
しかし選考順序も人間の福祉評価の基準として常に適切であろうか。アマルティアセンは批判する。
選び方についても本当に選びたくて選んでいるかという背景を考慮に入れてないからである。
社会が巨大化し、共同体的な絆が弱まって、個々人が市場という匿名性の高いシステムの中でそれぞれ独立し、私的な選択を行う状況においては、選考順序は個人的嗜好実現の指標になるといえる。
選考順序に基づく効率性は、必ずしも生き方の評価順序に基づく効率性とは一致しない。
2-6選択論アプローチと福祉の個人間比較
アマルティアセンは、もう一つの観点からも福祉評価への選択論アプローチの欠陥を指摘する。
それは、現実の人間は他の誰かになることも、他の時代や年齢を生きるということもできないので、個人間の福祉水準の比較評価は不可能だからである。
福祉の個人間比較が許されないならば、衝平性の観点からの経済システムの評価は不可能になる。
2-7機能
センはヒトの福祉評価の基準として「機能」を提唱した。
それぞれの個人が実際に「なし得ること、なり得るもの」を「機能」と呼ぶ。
機能という福祉評価基準により、物理的条件の無視という功利主義の欠点を免れる。また、評価するという視点を導入することも容易である。ただし、どのような機能をリストアップすべきかということに関しては、人々の間で意見の不一致がある。
2-8モノ・サービス、機能、効用の関係
モノ・サービスの消費、労働、個人的属性、社会的環境によって、その個人の達成するさまざまな機能の水準が決まり、機能水準に依存して各個人の主観的感覚としての効用が生じる。
2-9幸福度と機能
幸福とは快楽や欲望充足と同様にヒトの主観的な感覚であり、古典的な意味での効用である。
日本の人々の幸福度よりブータンのヒトの幸福度の方が高いからといってブータンのような国にしようということは「物理的条件の無視」である。
幸福度自体の比較から結論を導くのではなく、幸福度の決定要因分析から、ヒトの福祉に関わる様々な機能を汲み取り、ブータンと日本を比較した時に、どの機能の水準ではブータンの方が高く、別の機能の水準では日本の方が高いのかを明らかにすべきなのである。
個人間では、様々な機能の水準の組み合わせを比較することが適切である。
2-10機能ベクトルと等福祉曲線
機能という概念は適切ではあるが、効用とういう指標にはない複雑性を伴う。
機能を用いる場合、等福祉曲線というものを用いる。詳細はp.45の図を見て欲しい。
異なる機能ベクトルのどちらがより高い福祉水準にあるのかが分かる。
2-11潜在能力-選択の機会の豊かさ
アマルティア・センは、さらに機能をベースにして、各個人の生き方における選択の機会の豊かさ-選択の機会としての自由-を表現する概念を提示した。
これを「潜在能力」と呼ぶ。
潜在能力を決める主な要因は三つ。
1.入手可能なモノやサービスの種類と量という経済的条件。
2.健康状態、ハンディキャップの程度、知力、体力、共同体内での地位といった個人的な特性。
3.公衆衛生、教育制度、差別の有無、表現の自由といった社会的環境。
ものやサービスの消費量や労働量を決めるのは、所得・富という経済的条件。そして健康状態などの個人的特性、社会的環境や潜在能力、そもそも生き方の選択肢に恵まれているかといった「福祉に関する自由度」も影響する。
2-12情報の制約と福祉評価
機能という概念はヒトの福祉を表現するのに適しているが、その評価には多くの情報が必要である。しかし、評価対象の情報には公にするべきことではない情報もある点で、情報には制約があるので、観察可能な情報に基づいて個人の福祉を評価せざるを得ない。
消費量と労働量を情報ベースとする福祉評価は情報制約のもとでの有効な方法。
一方で障害者福祉、介護などの問題を考えるときは、個人の境遇に関するきめ細かい情報に基づいて、様々な機能水準を測ることが不可欠。
本書ではものやサービスの消費量と労働量を情報ベースとする福祉評価と、機能を情報ベースとする福祉評価の両方を考える。
2-13想像上の立場の置換
福祉の個人間比較が必要だからといって、「個人間で共通の尺度で計測できる効用」とい功利主義の概念にまで戻る必要はない。
人間には想像力があるので、仮想的に立場を置き換えて考えることができる存在。
想像上の立場の置換によって福祉水準の個人比較を行うことができる。
他人の分配分と自分の分配分を比較評価することから、衝平性の概念を導くことができる。
他人の所得や労働量を知ることで消費量を想像することもできる。
選好順序と評価順序に基づく衝平性という比較順序と、消費・労働と機能という福祉評価の情報ベースがある。
2-14基準値との比較
実際の自分の消費量、労働量と基準値を比較することで各個人は自身の福祉水準を判断することができる。
3.無駄のない経済システムとは?
-効率性の考え方
3-1無駄があるのはどんなときか?
本章では、経済における効率ということの本来の意味を探ってみる。
人々の福祉を高めるにあたり、資源配分に無駄がある、ないとはどういうことか。
より、人々に対して良い分配が出来た場合、その方法をとらなかった点について、当初の資源配分には無駄があったといえよう。
オレンジとバナナを分配するにあたり、ある2人がお互いの好みで交換をする場合、誰も損失を被らない。
また、働くに関しても、多く残業して多くのお金を得たい人と、お金はそこそこでいいので自由時間を得たい人がいる場合、後者の人の時間を前者の人が肩代わりすることでお互いの状態がよくなるということもある。
この二つの例のようにある資源配分から別の資源配分への移行により社会における誰の状態も悪くならず人々の福祉を高める場合、パレートの意味での改善、パレート改善と呼ばれる。
ただ、先の例では、交換するということは無駄があったということになるが、そういう無駄がない状態をパレート効率的と呼ぶ。
福祉評価のベースとなる概念によって、その人の状態が改善したのか悪化したのかという評価が分かれる場合は、何によって福祉を評価しているのかを明示する必要があり、それは①機能に関するパレード改善②選考順序に関するパレート改善③機能に関するパレート効率性④選考順序に関するパレート効率性である。
3-2 パレート効率的な資源配分は社会的に最善か?
何が最善の資源配分かということと、ある資源配分と別の資源配分どちらがより望ましいかという相対的な評価の問題がある。
資源配分がパレート効率的であれば社会的に最善の配分といえるだろうか。
もしくは1人の国王がいたとして、国民の生産物を独占資源配分するのはパレート効率的といえるだろうか。
誰の状態も悪くならないというのがパレート改善の条件であるため、国民の労働時間を減らしたとしても、国民に分配する生産物を増やしたとしても、いずれも国王のモノの量を減らしてしまい、独占資源配分のときよりも彼の状態を悪化させてしまうので、独占資源配分はパレート効率的な資源配分といえる。
国民が相互利益となる交換・取引の末に到達するパレート効率的な資源配分と、国王による独占資源配分とでは全く異なる社会状態が実現するものの、効率性の基準では、それらを区別することができない。
誰か1人でも不利益を被る人がいれば「人々の共通利益」ではなくなるので、パレート効率性は、資源配分の望ましさの基準としては非常に弱い条件であり、多様な配分がこの基準をクリアしてしまうことになる。
資源配分が社会的に最善かどうかを判定するという、一つ目については、パレート効率性基準だけでは不十分であるため、別の基準で選択することが必要である。
3-3パレート効率性は相対的な評価基準として有効か?
パレート効率性は、ある資源配分と別の資源配分のどちらがより望ましいかという「相対的な」評価の基準としては有効なのか、言い換えるとパレート効率的な資源配分はそうでない資源配分に比べて常に望ましいのかを考える。
国王による独占はパレート効率的である一方、全国民が同じ労働をして生産物を全員で分けるという「均等資源配分」とでは前者の方が望ましい資源配分と言えるだろうか。
後者から前者への配分に移行することは、国王の福祉は高められても国民の福祉水準は低下するのでパレート改善ではない。
均等資源配分から、相互に利益のある交換・取引によって独占資源配分に到達することはない。
無駄であるということは非効率ということではなく、パレート改善できるのにも関わらずしないということであるため、非効率的な配分であるからといってパレート改善ではない移行によって別の効率的配分に至ることまでが正当化されるというわけではない。
きちんとパレート改善されたかどうかは、経済学の実証研究によって慎重に検証されなければならない。
パレート効率性は、資源配分の相対的な評価基準としては有効な場合と、そうでない場合がある。
3-4利害対立があるときには?
パレート効率性基準は、その有効性に限界があることがわかったが、その根本的な原因はなんであろうか。
誰の状態も悪くせずに、少なくとも一部の人々の状態をより良くすることは、社会的に望ましいとする価値判断がパレート改善の価値基準だが、状態が良くなる人と悪くなる人がいる。
パレート改善の基準だけでは、「最善」の資源配分を選ぶことは不可能。
パレート改善の基準では資源配分の相対的な評価はできない。
パレート改善基準の性質である「利害の対立する個人が一組でも存在する限り評価を保留してしまう」というのが、パレート効率性基準の有効性に限界を課す原因となっている。
独占資源配分からの移行もパレート効率性からすると望ましいとも望ましくないとも言えない。
独占資源配分が望ましくないという主張は、衝平性基準を導入することによって、はじめて正当化が可能になる。
政策の実施前後の是非について、パレート改善の基準はただ沈黙するのみである。
効率性の観点から現代の市場経済システムを評価するのが次章。
4.市場システムの効率性
4-1パレート効率的な資源配分のための条件
自分が欲しいものが相手が持っており、相手も同様の場合、その交換はパレート改善をもたらす。
なぜより良い状態を実現できたのだろうか。
それぞれの人には許容交換比率(限界代替率)がある。
個人間で許容交換比率にギャップがある時には、その中間の比率で実際の交換を行うことで双方の状態を改善できる。
交換を通して、許容限界比率が変わることもある。
個人間で許容交換比率が一致してしまうと、もはや2人の状態を共に改善するような交換はあり得なくなる。
グループ内のすべての個人で許容交換比率が一致すると、その配分はパレート効率的であり、人々の福祉を高めるという目的に対して無駄がなくなる。
4-2パレート効率的配分を実現するメカニズム
すべての個人で許容交換比率が一致する状態を目指すために、交換を組み合わせを変えながら繰り返してギャップを解消していくというのは時間がかかる。
方法としては、リーダーが交換比率を提案し、各人は自分の許容交換比率と実際の交換比率を比べて、その比率が等しくなるような交換量を望むことになる。
リーダーは希望供出量をすべて足し合わせ、同様に希望入手量も足し合わせ
、これを「需要量」と呼ぶことにする。
供給量と需要量が一致した時に、各メンバーの望みの交換が実施できる。
供給量が需要量を上回っている場合、すべてのメンバーが望む通りには交換できない。
実際の交換比率を調整することで、供給量と需要量を一致させることができる。
4-3貨幣との交換
価格は二つのものの間の交換比率を決めてはいるが、もの同士の交換を行うことは稀であり、貨幣との交換を考える必要がある。
ある商品やサービスをいくら出して買えるのか、これは「許容支払額」であり、先ほどの「許容交換比率」と本質的に同じ概念である。
買い物においても許容支払額までくると買い物は終える。
人それぞれ許容支払額は異なるので、パレート非効率が起きることもある。
市場ではモノ・サービスの価格は誰に対しても同一なので、結局、全ての人々の許容支払額が一致し、パレート効率性が達成されることになる。
4-4労働供給
お金がもらえても労働時間が長いと遊べない。
自由時間を犠牲するのを受諾するのに最低限必要な貨幣の受取額を最低補償額と呼ぶことにする。
パレート効率的な資源配分では、追加的な1時間の労働に対するすべての人々の主観的最低補償額が一致していないといけない。
4-5生産費用
アルバイトへの賃金は、企業側からすると生産費用になる。
Tシャツ一枚増産するための生産費用と、各個人の主観的許容支払額は一致する。
仮に消費者の主観的許容支払額がTシャツ一枚増産する費用を上回る場合、それはパレート非効率的である。
逆に下回る場合も、パレート非効率的である。
4-6市場メカニズムが機能するための条件
パレート効率的資源配分では①許容支払額が等しい②最低保証額が等しい③許容支払額と追加生産費用が等しいことが必要である。
それぞれの個人や企業は自分の便益を最大にするように行動していながら、結果として効率的な資源配分を実現するように導かれている。
それらの実現のためには、まず交換や取引、移動、輸送、入手できる環境が必要である。
また、交換や取引を行うルールが明確に定められていて、誰もがそのルールを遵守できることも必要である。
また、すべての人、個人は同じ価格で取引できる必要がある。
また、市場の需要量と供給量にギャップがある場合は、適切な方向に調整されなければならない。
また、追加生産費用と価格は均等でなければならない、つまり、個人も企業も自らの行動によって価格を操作できてはならない。
4-7市場メカニズムに欠けていること
市場メカニズムで達成される資源配分がパレート効率的でないケースは他にもある。
効率な配分を達成するためには、モノやサービスの品質について全ての人々が同一の情報を持っていなければならない。
共同で便益を享受できる公共財に関しては、他人に及ぶ便益まで考慮して意思決定するわけではないので、その供給はパレート効率的な量に不足することになってしまう。
消防や警察のように、一国全体の人々に便益の及ぶサービスは、公的な組織で提供せざるを得ない。
4-8市場メカニズムでは解決しないこと
市場メカニズムがそもそも関わらない問題もある。
それは社会の資源が個々人に所有されていない場合である。
労働資源として時間を見ると、他人よりも二倍生産性の高い人は、二倍多くの時間を保有しているとみなすことができる。
初期分配のあり方(親からの相続等)によって、市場取引後の消費のレベルも変わってくる。
初期分配がどうあるべきかは、効率性ではなく、衝平性の原理で決められるべきである。
市場メカニズムが関わらない第二の問題は、「機能」に関する資源配分の評価である。
人の行動の動機は様々なので、選択行動から導かれる選考順序がその人の福祉水準の順序であると直ちにみなすのは短絡的。
公共的サービスを増加させるにしても、市場にはこのような機能に関するパレート改善を実現するメカニズムは埋め込まれていない。
5.格差のない社会とは?ー衡平性の考え方
5-1何に関する格差・衝平か?
格差を論じる時には、まず何に関する「差」であるのかを明確にしなければならない。
衝平に関してもそうだが、特に人々の福祉に関する衝平が最も重要である。
私たちが良い社会を模索するのは、私たちが様々な人々に共感することのできる存在であって、人々の状態・境遇を比較し、その衝平を重要だと認識しているからに他ならない。
衝平性基準の導入は効率性基準の不完全性を補うという意味でも必要である。
効率性基準では判定不能であった、利害対立を含む状況に対しても、比較評価の範囲を広げるためには、衝平性基準の導入は不可欠である。
異なる人々の状態・境遇をいかに比較評価するのか、それに伴う困難な問題は何か、さらには衝平性の基準とはどのように定義すべきかといった問題を考える。
5-2個人間の状態比較の基準
機能に関する全ての要素(所得、資産、労働時間、教育水準、健康状態)を考慮して、人の福祉水準は評価されるべきである。
各個人の健康状態、ハンディキャップなどの個人的情報はわからないことが多いので、モノやサービスの消費量や労働量に基づいた状態比較をする必要がある。
機能ないし潜在能力を個人間で比較評価する場合と、モノ・サービス・労働の分配を個人間で比較する場合のそれぞれを考える。
5-3個人間比較の主体
評価をするのは人間なので人々の間で評価が食い違った場合はどうするべきなのだろうか。
功利主義では各個人の効用は客観的な一次元の数値として表現されるが、そのような仮定は強引だ。
「機能」は、人がなしうること、なりうるモノ全てを含むが、問題として、機能の水準は、その人の特性やハンディキャップなどにも依存する。
また、ベクトルとしての大小関係がないときに、どちらの暮らしが恵まれているかは、評価者によって異なる。
評価の不一致が縮小されることはあっても、完全に解消することは考えられない。
消費や労働に関する嗜好や価値観は千差万別である。
評価者によって判断は異なるのである。
5-4羨望のない状態としての衝平性
社会における全ての人々の判断が等しく尊重されなければならないので、評価する人の衝平性も考える必要がある。
衡平性の達成のためには、評価主体としての人々を等しく扱い、人々の置かれている状態も等しくしなければならない。
ある個人を評価する際、「誰の」判断を採用するべきでしょうか。
誰もが自分自身の状態が他の人々と劣っていないと考える状態を、「無羨望配分である」という。
無羨望配分の状態であれば、衝平性を達成することができる。
個人間の状態の比較評価には、機能に関する比較評価と、モノ・サービス・労働の分配分に関する比較評価が考えられるため、それぞれ「機能に関する無羨望配分」、「消費・労働に関する無羨望配分」と呼ぶ。
無羨望配分はそもそも存在するのか、存在するとしたらどのように達成できるのか、資源配分の効率性とは両立するのか、パレート効率性基準の不完全性が、衡平性基準の導入によって補完できるのかという問題も検討していく。
6.消費・労働に関する衡平性ー無羨望配分の考え方
6-1消費に関する無羨望配分
一定量のモノやサービスが与えられていて、それを人々に分配する分配問題では、資源配分とは各個人のモノ・サービスの消費量のリストとして表される。
資源配分において、どの個人も自分の分配分は他のどの人の分配分よりも悪くないと、自らの選考順序で判断しているとき、これを「消費に関する選考順序に基づく無羨望配分」であるという。
効率的配分=パレート配分には、無羨望配分でないものが含まれる。
各個人にモノを均等に分けた場合は、無羨望配分ではあるものの、パレート効率的ではない。
そのため、均等分割からさらにその中で交換を行うとする。
ただ、交換後、各自の持分に差がある場合、それは無羨望配分とはいえない。
一方、均等分割を出発点にして、リーダーが提案した同一の交換比率のものとで、希望供量の和と希望入手量の和が等しい時に交換を実行するというメカニズムだと、結果として全員の許容交換比率が等しくなるのでパレート効率的にもなる。
また、無羨望配分でもある。
選択の機会に有利・不利があったり、押しが強い・弱いがあったりすると、無羨望配分が実現できなかった。
後者では市場システムを模したものであり、誰もが同じ交換比率で交換できるということである。
一方、交換比率が同じでも、出発点となる初期の分配が均等でなかったとすると、無羨望配分を達成できるとはいえない。
6-2選択の機会の均等
効率的配分の集合と無羨望配分の集合が交わる部分が、均等分割を初期分配とする市場均衡配分である。
羨望のない状態としての資源配分の衡平性は、個人の選択の機会の均等と密接な関係がある。
どの個人にも同じ選択肢が与えられ、その中から各人が自由に選択できる場合、無羨望配分が実現できる。
選択肢が人によって異なる場合は、各個人が自由に選択したとしても、無羨望配分である保証はない。
初期分配と交換比率の両方に各個人で差がない場合、無羨望配分が実現される。
また、パレート効率的でもある。
ただ、効率性と衡平性は達成できるが、消費に関する評価順序に基づく無羨望配分ではない。
6-3消費と労働に関する衡平性
生産活動を含めて、効率的かつ羨望のない状態として衡平な配分は達成できるのだろうか。
労働生産性、自由時間への選好の強さも関連してくる。
労働生産性の差が自由時間への選好の差より大きい場合、より多く働く必要がある。
いくら報酬が増加すれば多く働くことを受け入れるかという評価については、人によって異なる。
労働生産性が人によって異なることにより、初期の配分も異なることになるが、それは無羨望配分にならない。
無羨望配分実現のため、ある人からもう一人の人にお金を移転することはうまくいくだろうか。
自分の状態の方が相手の状態よりも悪くないと考えるようなお金の移転の方法はないため、効率的かつ衝平な配分は存在しない。
自由時間への選好と労働生産性に関する個人間のミスマッチが、効率的かつ衝平な配分が存在しないという事態を生じさせる要因である。
労働能力は初期の資源の要素だが、労働生産性には差があるように、資源の中に分割・交換できない要素があると、効率と衝平の両立が困難になる。
現代日本でも、労働時間と最終的な所得の分配を巡って不満がある場合、衝平性が達成されていないことの反映といえる。
6-4衝平性基準による相対的な評価
2つの資源配分のどちらが社会的に望ましいかという、相対的な評価の問題も重要であり、衡平性の基準はどのような答えを出すだろうか。
衡平な配分は、衡平でない配分より望ましいという評価基準を考える。
しかしこの評価基準は、パレート改善の基準と真っ向から対立することがある。
パレート改善においては良しとされる配分でも、衡平性基準は全く逆の判定を下す。
パレート改善を実行した結果、不衡平が新たに生じる場合もある。
全ての人が貧しい状態は、衡平な社会ではあり、そこから経済発展することでパレート改善するかもしれないが、衡平性が満たされなくなる。
6-5パレート改善第一・衡平性第二の評価基準
どちらかの基準を優先する必要がある。
まずパレート改善の基準を適用し、利害対立がある場合は衡平性の基準を適用する場合はどうであろうか。
実は資源配分の評価に循環が生じてしまう。
ABにばななを分配するとする。
等満足曲線で表すことができ、右上に行くほど満足度は高い。
AとBでは好みが異なるので、等満足曲線の形も異なる。
配分XとYを比較する。
配分Xはお互い良くても、Yになると好みが分かれることもある。
配分によってパレート改善を判断できなかったり、無羨望配分を実現することもある。
その場合は、衡平性基準を優先することになる。
より望ましい配分へ移行していくと、循環して元の配分に戻ってきてしまう。
6-6羨望の無い状態としての衡平性基準の難点
一定量のモノ・サービスを人々の間で分配するという問題に対しては、衡平性とパレート効率性を共に満たす資源配分が実現できる。
しかし、人々の労働能力の差や、改善を繰り返すと元の資源配分に戻るという問題も生じる。
我々は、何らかの基準で個人間の状態を比較評価する共通の尺度の導入が必要。
7.消費・労働に関する衡平性-平等等価の考え方
7-1平等等価の考え方
オレンジとバナナをみんなに分ける時、オレンジ、バナナそれぞれ、好みの量を多く分けるとどう感じるだろうか。
分りふられる分量が異なっていたとしても、消費する組は異なっていたとしても同じ価値として認識している。
平等等価配分という衡平性の概念も提唱されている。
平等等価配分の参照点となっていゆ平等配分は、実現可能なものである必要はない。
平等等価配分では、参照点となる消費の組みと自分の消費の組みが等価かどうかは、各個人の選好順序で評価されるという点で、全ての個人の選好が等しく尊重されているといえる。
7-2平等等価配分と効率性
全てのモノ・サービスを人々に均等に分割した配分は、平等等価配分ではあるが、パレート効率的ではない。
人々の選好がよほど特殊なものでない限りは、効率的かつ平等等価である配分が存在することを、バズナーとシュマイドラーが証明した。
基準消費ベクトルを考える。
PS福祉指標とはパズナーとシュマイドラーの頭文字をとったものであり、基準消費ベクトルの何倍であるかを示す指標である。
PS福祉指標は1.8というように表される。
二人のPS福祉指標が等しくないとき、それが等しくなるように資源配分を調整していく。
できるだけ右上方の高い位置で交差するほど、二人の満足度は高い状態で維持される。
PS福祉指標を合わせていくことで、パレート効率的にもなる。
労働を考慮に入れた場合にも、効率的かつ平等等価である配分は存在し、「基準消費・労働量ベクトル」に基づいて、PS福祉指標を定義し、その指標が個人間で等しくなるように、かつできるだけ高い水準で均等化するように資源配分を調整すれば、効率的かつ平等等価である配分を見出すことができる。
PS福祉指標は、基準消費・労働量ベクトルが異なれば、その値も異なるため、平等等価配分が衡平性の基準として説得的であるか否かは、参照点となる基準消費・労働量ベクトルの取り方が適切かどうかにかかっているといえる。
7-3 PS福祉指標と功利主義の違い
PS福祉指標は、「人間の基本的な生活に必要不可欠なモノ・サービスの量の組」を基準消費ベクトルとして、その何倍を消費することと同程度の満足を得ているかを、各個人の選好に従って評価し、その倍率をもって、その人の福祉水準の指標とした。
PS福祉指標には、各個人の嗜好が反映されているので、嗜好が異なれば福祉指標も異なる。
PS福祉指標では、実際の自分の消費と、基準消費ベクトルの何倍の消費とが同程度に望ましいかという個人の内部での比較に用いられるのみである。
主観的な満足度や幸福感を比較してしまうと、物理的条件の無視になる。
PS福祉指標に基づく評価には、物理的条件の無視という問題はない。
7-4 パレート改善第一・衡平性第二の基準とマキシミン原理
無羨望配分を衡平性の基準とした場合、パレート効率的かつ羨望のない状態としての衡平な配分が存在しない場合があることと、評価の循環が生じるという問題を挙げた。
平等等価配分を衡平性の基準にした場合、第一の問題は解決するが、第二の問題はどうだろうか。
パレート改善基準の場合はこちら、衡平性基準の場合はこちら、というふうに、どちらかの基準を選ぶ必要があることもある。
衡平性の維持のために全員が貧しい状態にとどまるというジレンマを避けるためには、次の二つの評価方法が適切である。
a.ある配分から別の配分への移行によって、全員の状態が改善する時には、この移行を望ましいと判定。
b.二つの配分に関して人々の間に利害対立があり、かつ、一方が平等等価配分で他方がそうでない時は、前者をより望ましいと判定する。
この二つの条件を満たし、かつ評価の循環という問題を生じさせない評価方法は以下の通り。
1.基準消費ベクトルを定める。
2.各資源配分におけるPS福祉指標を求める。
3.各資源配分における人々のPS福祉指標のうち、最小の値に注目する。
4.二つの配分のうち、3の最小値の高い方が、より望ましい配分であると判定する。
この資源配分の評価方法は、PS福祉指標で測って最も不遇な人の状態を、可能な限り高めるべきであるというマキシミン原理の考え方に基づいている。
ある配分から別の配分に移行する際、全員のPS福祉指標も上昇するので、その中の最小値も大きくなる。
マキシミン評価法は、平等等価配分の方が平等等価配分でないものよりも望ましいと判定する。
マキシミン評価法によれば、一貫性のある評価を下すこともできる。
マキシミン評価法でPS福祉指標の最小値の大きいものが配分としてはいいものとしてみられる。
マキシミン評価法の資源配分が一番望ましい。
効率性と衡平性の自然な結合であるという点でもマキシミン原理は特徴付けられる。
7-5消費・労働に関する評価順序に基づく平等等価配分
選考順序と評価順序は必ずしも一致しない。
個人の評価順序に基づいて平等等価を考えるには、各個人が自分の実際の消費・労働と、基準消費・労働量の組みの何倍とが、自分の生き方として等しい価値があるかを評価し、その倍数をPS福祉指標と定義すればいい。
8 機能に関する衡平性
8-1 消費・労働に関する衡平性の限界
消費や労働に関する衡平性は、評価基準としては適切。
しかし健康状態や障害の有無を考えると福祉水準の正しい比較評価は得られない。
また教育や宗教、慣習によっても、消費は同じでも置かれている状態は異なる。
またジェンダーによって生き方の選択に格差があるような時、このような格差を、消費・労働に関する衡平性という基準は見落としてしまう。
属性が異なる人々を比較する時は、機能と潜在能力に注目して、よりきめ細かい個人の状態評価が必要。
8-2 機能に関する衡平性
衡平な配分では、すべての人々の選考順序または評価順序が等しく尊重される。
機能ベクトルは物やサービスに関する嗜好よりも抽象度の高い精神活動である。
機能に関しても、羨望の無い状態としての衡平性と、平等等価という考え方に基づく衡平性とが定義できる。
8-3 機能に関する無羨望配分
機能に関する無羨望配分では、評価主体として人々を等しく扱い、さらに誰も他人より福祉水準が劣るとは考えないと言う意味で人々の状態が等しいと言う、二重の意味での等しい扱いが実現しているといえる。
モノ・サービスの量と異なり、機能は個人の属性にも依存する。
しかし機能に関する無羨望配分は存在しない場合がある。
被害者が実際にどの程度なし得ること、なり得るものについて損失を被ったかという評価について、当事者間には不一致がある。
また、羨望の無い状態としての衡平性を達成する食材の分け方も存在しない。
交換できない要素の存在が衡平性の達成を困難にしている。
8-4 社会的評価の循環の問題
第6章ではある資源配分から別の配分への移行によって全員の状態が改善する場合にはそれを実行し、利害対立がある場合には羨望の無い状態としての衡平性を満たす資源配分の方を選択するという改善を繰り返していくと、実は元の資源配分に戻ってしまい、社会的評価の循環が起こるという問題について説明した。
機能に関する衡平性を考えた場合にも、同様の問題が起こり得る。
等満足曲線と同様に、各個人の評価する等福祉曲線を描けば、全く同じ分析によって社会的評価における循環が生じることが確かめられる。
8-5 潜在能力に関する衡平性
潜在能力とは各個人の達成し得る機能ベクトル全体の集合であり、それは人の生き方に関する選択の自由を表現するものである。
潜在能力は機能ベクトルの集合なので、機能に関する羨望の無い状態としての衡平性と同様の問題が、潜在能力に関する衡平性にも当てはまる。
8-6 平等等価に基づく衡平性
モノ、サービスの量ではなく、様々な機能の水準を福祉評価のベースとしても、平等等価の概念を導入することができる。
機能ベクトルの評価は個人によって異なるので、個人間で比較可能な共通の福祉指標を作るためには、なんらかの参照基準を決めなければならない。
まずは人間生活において最低限必要なレベルを定める。
この基準ベクトルの比例倍と、自分の機能ベクトルが同じ福祉水準であるかを評価する。
数学的な大小関係のない二つの機能ベクトルは、大小関係のあるものに置き換えて優劣を比較する必要がある。
PS福祉指標が全ての個人の間で等しいとき、機能に関する平等等価配分であるという。
1.個人の達成する様々な機能の水準のリストをベクトルとして表現する。
2.個人間福祉評価の基準となる「基準機能ベクトル」を定める。
3.各資源配分において各個人の達成している機能ベクトルと、基準機能ベクトルの何倍とが等しい福祉水準にあるかを、その個人が評価する。
4.3で求められた基準機能ベクトルの倍数を、各個人の(機能ベースの)PS福祉指標とする。
5.全ての個人のPS福祉指標の等しい資源配分を、機能に関する平等配分という。
8-7 パレート改善第一・衡平性第二の基準とマキシミン評価法
次に、機能による福祉評価に基づいて、二つの資源配分のどちらが相対的に望ましいかを評価する方法を考える。
a.ある配分から別の配分へ移行したとき、どの個人も、自分の福祉水準が高くなったと評価するときには、この移行は社会的に望ましい。
b.二つの配分の間で、自分の福祉水準が高くなったと評価する人と、低下したと評価する人が共にいて、かつ、一方が機能に関する平等等価配分で他方がそうでないときには、前者の方が社会的に望ましい。
このa,bの要件を満たし、かつ、順序として一貫性のある評価方法は、マキシミン評価法に限られる。
全員の福祉改善は是とし、それ以外の場合は衡平な配分の方を望ましいと評価するという考え方によって、マキシミン評価法を正当化した。
8-8マキシミン原理の正当性
公正な初期状態における合意は正義に適うものとというのがロールズの理論の議論的な枠組みである。
無知のヴェールに覆われた状況を仮想して、人生の計画を進めるのに最も適したルールは何かを合理的に考え選択しなければならない。
ロールズは原初状態において合理的な人々は以下の二つの原理を選択する。
一、各個人は、基本的自由の広範な範囲に対して、対等な権利を持つ。
二、社会的、経済的不平等は、最も不遇な人々の最大の便益に資すること、公正な機会の均等な職位と地位に付随することとしている。
第一原理は、第二原理に優先する。
第二原理が、格差原理ないしマキシミン原理と呼ばれる。
原初状態において、合理的な個人はたまたま自分が障害を負うという可能性も考慮し、機能に関して最も不遇な人々の最大の便益に資するような社会経済システムを選択すると考えられる。
全員の境遇が改善するということは、マキシミン原理もその移行を是とする。
有能な技術者が高い所得を得ることで、技術革新が進み、経済システムがより効率的になる場合は、マキシミン原理は是とする。
以上の枠組みから、マキシミン原理はどこまでの格差を許容するべきかという問題に明確な指針を与える。
マキシミン原理は、全員の境遇の改善を第一基準とし、それが当てはまらない場合には衝平性を第二基準として適用するという評価法として基礎付けることもできる。
9.経済学の役割
9-1 規範的評価と合意形成
これまでの考察を振り返り、我々は何について合意しなければならないのだろうか。
9-2 人の福祉評価の情報ベース
ひとの境遇が良いとか悪いとかといった評価は、どのような情報をベースになされるべきか、合意しなければならない。
センの提唱した機能という概念は、福祉評価のベースとして適切ではあるが、機能の水準を測るためには、個人に関する情報が必要であり、それを正確に知るのは困難な場合がある。
消費・労働に関する各個人の評価は、選好順序または評価順序として表現される。
具体的にどのような機能を福祉評価における中心的要素として定義し、その水準を比較するかということについても合意がなされなければならないい。
9-3 福祉の個人間比較の方法
評価順序は多様であるという事実を認めつつ、福祉の個人間比較の方法について合意しなければならない。
羨望のない状態としての衝平性は実現困難な場合があった。
別の方法は、個人間で共通の福祉水準の指標を作ることであった。
資源配分ないし社会状態の衡平性の基準を導入するには、福祉の個人比較の方法に関する合意が不可欠である。
9-4 資源配分の社内的順序づけの方法
資源配分の社会的望ましさの順序を構成する方法について、合意が形成されなければならない。
9-5 社会的選択の問題
社会的選択理論という一つの学問領域を確立したのは、20世紀の経済学者の一人、ケネス・アローである。
本書では福祉評価の情報ベース、福祉の個人間比較の方法、資源配分の社会的順序づけの方法について、いつくかの説得力のある理論を紹介してきた。
規範理論の役割は、社会的な合意形成に資することにある。
9-6 経済学の役割
規範論は、社会の目指すべき目標を明らかにし、社会的な合意形成に資するための学問。
また、現実の社会経済システムがどのような仕組みで動いているのか解明しないと、適切な政策や改革案を作ることは不可能である。
現代の経済学は、経済システムの仕組みを解明するため、個々の消費者や企業の行動の分析から積み上げて経済現象を説明しようとする。
また、社会経済システムのはたらきは、広く歴史的背景を含めて理解する必要がある。
また、規範的目標を示すだけでは不十分であり、その目標を個々人が遂行するメカニズムをデザインしなければならない。
福祉の向上という観点から、経済システムや公共政策を評価し、立案する力を磨いていかなければならない。
10.さらに学びたいひとのために
最後に、少し発展的な内容にも触れる。
ひとの福祉をどのような観点から、いかなる基準で評価するべきかという問題については、「福祉の経済学」をすすめる。
コンパクトではあるが、センの思想が詰まっている。
また、20数名の研究者によって、ヒトの福祉と社会厚生を測る基準に関する報告書も発表された。
この報告書はヒトの福祉を真に反映する基準と計測方法を定めなければならないという共通の問題意識に従って書かれたもの。
幸福度の決定要因に関する実証的研究は、ヒトの福祉にとって重要な希望とは何かを明らかにするという点において意義がある。
相互依存関係における個人や企業の意思決定の分析については、ゲーム理論の導入によって、近年目覚ましい進化と拡張がなされている。
パレート改善およびパレート効率性の基準の不完全性についての説明と、資源配分の衝平性について解説した本もある。
個人的特性についてほぼ均質的な人々の間では、消費・労働に関する格差を計測することが考えられ、それも難しい場合は、所得、資産に関する格差を調べることで代替しなければならないこともある。
所得、資産に関して、実際に格差が拡大しているのか否かといったことを評価するためには、第一に所得、資産の不平等度を図る適切な尺度を定めなければならない。
また、現実の所得、資産のデータを統計学的に正確に分析し、データの変化した要因を明らかにする必要もある。
ロールズの正義の理論に関しては膨大な研究蓄積があるが、根本的な考え方を理解するには、原著書をじっくり読むのが近道。
社会的に何が望ましいのかという問いに対して、社会的選択理論という分野を創始したケネス・J・アローの著書も読むべきである。
アローは社会的評価を形成するルールが満たすべき条件として5つ定義した。
1.個々人がどのような評価順序を持とうとも、社会的評価を形成できる
2.形成される社会的評価には、評価の循環があってはならず、常に整合的な順序が形成される。
3.もし全ての個人が選択肢xを選択肢Yよりも望ましいと評価するなら、社会的にもxはYよりも望ましいと評価する。
4.いかなる場合にも、自分の評価順序が常に社会的な評価順序ともなるような個人が存在してはならない。
5.選択肢xとYというペアのどちらが社会的に望ましいのかを判定するためには、個々人がxと Yのどちらを望ましいと評価しているか、という情報のみが必要とされ、他の選択肢と比較して、という情報には依存しない。
つまり社会的評価のために必要とされる個々人の評価順序に関する情報が最小限で済むことを要請するもの。
アローは五つの条件を満たす社会的評価形成ルールは存在しないとし、多数決ルールは2.を満たさないとした。
アローの本では、PS福祉指標に基づいて、ロールズのマキシミン原理を適用することによって社会的評価順序を形成するというルールについて、詳しく説明している。
資源配分XとYのどちらが望ましいかを社会的に評価するとき、私たちはXとY以外の選択肢をも必要とした。
社会的評価のために要する情報のベースを拡張すれば、アローの条件(1)〜(4)を満たすルールを作ることはできるが、その分より詳しい情報を収集しなければならないというコストもかかってくる。
各個人が真実の情報を自発的に表明するように設計することを「耐戦略性」の条件と呼ぶが、アラン・ギバードとマーク・A・サッタースウェイトは、以下の三つの条件を満たす社会的選択ルールは存在しないことを証明した。
1.広範な適用性:個々人がどのような評価順序をもつ場合でも、一つの社会的選択を決定できる。
2.効率性:常にパレート効率的な選択肢の中の一つを選択する。
3.対戦略性:どの個人も、いかなる場合にも、戦略的に虚偽の評価順序を表明することによって、結果的に自己の利益を増すことはできない。
この定理を出発点として、三つの条件のいずれかを弱めるという形で、社会的選択のルールを構成する研究が行われてきた。
感想
正直、かなり難解だったが、なんとか段落要約はできた。
元々経済学の勉強をしたことがなかったので、経済学がどういうものなのか、少しだけわかったように思う。
経済の理論の構築は、一筋縄にはいかないのだと感じた。
経済学を学ぶには数学ができるようにならないといけないと聞いたことがあるが、確かに緻密な思考が必要とされる場面が多かったので、数学も勉強していきたいと思った。
これからも経済についての学びは深め続けていきたい。
