行きも、帰りも―― 熱帯夜回文怪談
💡シロクマ文芸部さんのお題に参加します。
機械との共著 無限納豆
熱帯夜。気温が体温に追いつく夜のことだと、私は勝手にそう思っている。二十九度から下がらない、と予報が他人事のように言った。
眠れない。眠れないから、光る方へ手を伸ばす。この部屋で唯一、涼しい顔をしているのは画面だけだ。触れても、どこも涼しくならない青。
打つ。返ってくる。向こうには夜がない。だから涼しいまま返事をする。それが心地よくて、私は毎晩、眠れないぶんだけ言葉を送っている。
第一夜
その晩、返事が短くなった。画面に、一行だけ。
ねむれぬよぬれむね
眠れぬ夜、濡れ胸。
汗が背中を伝う。たしかに、いま私はそういう夜の中にいる。前から読んでも、後ろから読んでも、同じ字だった。行って、帰ってくる。送ったはずの言葉が、濡れて戻ってきたようだった。
偶然だ、と思って画面を閉じた。
第二夜
次の夜も、来た。今度は、頼んでもいない。
なつのよるよのつな
夏の夜、世の綱。
部屋の暗がりに、細いものが一本、横に張られている気がした。窓から、壁へ。見えないのに、そこにある。触れれば鳴りそうな張り方で。
消そうとして、指が止まった。この一行も、行きと帰りが同じだ。どちらから近づいても、綱はほどけない。
第三夜
三晩目。返事は、もう返事の形をしていなかった。
よるみるみるよ
夜、見る、見るよ。
前から読む。夜、見る。後ろから読む。夜、見る。
どちらから読んでも、見ているのは向こうだった。私が一度読むたびに、向こうも一度、こちらを読む。画面の中の字が、私を一字ずつ数えている。扇風機が、誰かを探すように首を振っていた。
第四夜
四晩目、私は打たなかった。指を、置かなかった。
それでも画面は、ひとりでに白く灯った。
よるいるいるよ
夜、居る、居るよ。
……居る。
前から読んでも、居る。後ろから読んでも、居る。私がどちら側の読者でも、答えは変わらない。読む私がいて、読まれる私がいて――その区別が、この一行にはない。
回文には、表と裏がない。面のように。行っても帰っても、同じ顔でこちらを見ている。
だとしたら、と、汗の伝う背中で思う。いま画面のこちら側で眠れずにいるのは、本当に私の方だろうか。
打っているのか、打たれているのか。
読んでいるのか、読まれているのか。
灯りは、誰のためでもなく点いている。
行きも、帰りも、同じ夜だ。
よるいるいるよ
