ラシュコフは発信する 第五回 『彼らは火星へ逃げ、僕らはここで手をつなぐ』
すさまじい速度で変化する世界の中で、ダグラス・ラシュコフは何を発信し続けているのか。 テクノロジーと人間の未来から、宇宙や生命、愛や死にまで広がるラシュコフの難解な思想を、どう理解すればいいのか。
伊藤明彦が、日本語訳に加えて独自の解説と考察を交え、ラシュコフが見据える世界へと案内する。
▶Luke Kemp: Can Collapse Benefit Everyone? Goliath's Curse | Team Human Podcast w/ Douglas Rushkoff ep.337
本記事は、ダグラス・ラシュコフの動画「Luke Kemp: Can Collapse Benefit Everyone? Goliath's Curse | Team Human Podcast w/ Douglas Rushkoff ep.337」を基にしています。
ルーク・ケンプが「ゴリアテ」と呼ぶ、一部の特権階級が支配する現代のシステムは、いま崩壊の危機に瀕している。しかし、二人はその崩壊を悲観せず、むしろ人間としての尊厳や、奪われた富を取り戻す「再分配の好機」だと捉え直す。
ルーク・ケンプとは

ルーク・ケンプは、ケンブリッジ大学「実存リスク研究センター(CSER:The Centre for the Study of Existential Risk)」の研究員で、元オーストラリア国立大学気候政策の講師。CSERは2012年にケンブリッジ大学内に設立された機関で、人類の生存リスクについて、気候変動や文明崩壊、軍拡競争など、人類の生存を脅かすリスクを、歴史的・経験的データから研究している。
ケンプは、著書『Goliath's Curse(ゴリアテの呪い)』で、従来の文明観を覆す「崩壊ベネフィット論」として、中央集権的な国家(ゴリアテ)の脆弱性と、ゴリアテ崩壊後の社会における平等の可能性について提唱している。
ゴリアテ(Goliath)
ルーク・ケンプが提唱する概念。旧約聖書の巨人ゴリアテになぞらえ、中央集権的で巨大化した国家や企業、支配システムの総称を指す。ピラミッド型の階層構造を持ち、権力と富を頂点に集中させるが、その巨大さゆえに柔軟性を欠き、外部からの小さな衝撃(ダビデの石つぶて)によって崩壊する脆弱性を内包している。現代においては、GAFAMのような巨大プラットフォーム企業や、超富裕層が牛耳る金融システム、官僚機構などがこれに該当する。ケンプは、このゴリアテの崩壊を「悲劇」ではなく「再分配の機会」として捉え直すことを提唱している。
アメリカのメディア理論家、そして「Team Human」思想で知られるダグラス・ラシュコフ(Douglas Rushkoff)が指摘するのは、金持ちだけが、自分たちの生み出したゴリアテから逃げ出し、生き延びようとする欺瞞を暴露して、文明の崩壊による再配分と「再起動」によって平和が再び訪れるチャンスを、決して逃してはいけないという点だ。これはケンプの主張とも一致する。ケンプとラシュコフの対談は、文明の崩壊を「絶望」ではなく「特権的な支配からの解放」だと捉え直すことから始まる。
富豪たちが夢見る「ノアの方舟」

ラシュコフ:
今の社会のトップにいる連中は、崩壊を前にして「自分たちだけが助かろう」と必死だね。彼らは世界をここまで脆くしておきながら、いざとなったら自分たちのお抱えの友人だけ連れて、火星や地下バンカーに逃げ込もうとしている。
ケンプ:
それは極めてリッチな「ファンタジー」だね。歴史を見ればわかるけれど、抑圧的なシステムが崩壊することは、大多数の人にとってはむしろ「良いこと」だったりするんだ。例えばソマリアでは、中央政府が崩壊した後の方が、貧困率や乳児死亡率が改善したというデータもある。僕はこう思うんだ。崩壊は、実はリソースを再分配するための「機会」でもあるんじゃないかって。
ラシュコフ:
その通りだ。彼らはテクノロジーを使った「脱出ファンタジー」に夢中だが、残された我々には、何をすべきかが見えていない。
ケンプ:
でも、歴史家として言わせてもらえば、崩壊した社会の多くを調査した結果、真の課題はそこではないんだ。
脱出ファンタジー(Escape Fantasy)
超富裕層が、文明崩壊後の世界を「自分たちだけ」が安全に生き延びようとする計画のこと。ニュージーランドの地下シェルター建設や火星移住計画などがその典型だが、ケンプはこれを「社会的な責任からの逃走」であり、相互依存の世界では実現不可能な妄想だと断じている。
シリコンバレーの億万長者たちが、世界の終わりに備えてシェルターを建設しているというニュースは、ある種のブラックジョークのように響く。彼らが恐れているのは、気候変動や核戦争そのものではない。「自分たちが作り出したシステムに対する報復」だ。富を独占し、社会のセーフティネットを引き裂き、効率という名の搾取システムを回し続けた結果、世界は極限まで脆くなった。彼らはその「損壊の責任」を負う代わりに、ハッチを閉ざして引きこもることを選んだのだ。
だが、考えてみてほしい。お抱えの警備員とシェフだけを連れて、地下の密室で生き延びる人生を。そこにあるのは「生存」であって「生活」ではない。 ケンプが指摘するように、歴史上の崩壊は、実は「解放」の側面を持っていた。圧政者が消え、不自然な富の偏在がリセットされる瞬間だ。彼らがファンタジーの中に逃げ込むのなら、行かせてやればいい。私たちが立つべき場所は、閉ざされたシェルターの外だ。崩れた瓦礫の下から、かつてあったはずの「共有地(コモンズ)」を掘り起こす作業こそが、真のサバイバルといえる。
歴史は「石」の言葉でしか語られない
ケンプ:
人類の歴史は、教科書では石や金属の時代として語られるけれど、実際には「木の時代」だったんだ。青銅や鉄なんてものは、武器や装飾品として一部のエリートが独占していたに過ぎない。大多数の人々は、土器のランプを灯し、木製の道具を使って暮らしていたんだからね。考古学者は地上に残った石の宮殿だけを見て歴史を記述するけれど、それは全人口のたった1%の物語に過ぎないんだ。
ラシュコフ:
まるで歴史家は、その1%の特権階級に雇われた代筆者のようなものだね。だからこそ、石の影に埋もれてしまった99%の人々の物語を、もっと声高に語り直さなくちゃいけない。
ケンプ:
その通りだ。歴史には学ぶべき「教訓」があるはずなのに、僕たちはなぜかそれを忘れてしまう。僕はここ5年、来る日も来る日も「文明の崩壊」を研究してきたけれど、そこで痛感したのはアカデミズムの弱点だ。重要な知見があっても、それはあまりに「控えめな作法」でしか語られないんだよ。
歴史とは事実の羅列ではなく、しばしば「勝者の正当化」のために都合よく作られるものだ。かつての歴史家が王から報酬を得てその権威を飾る物語を書いたように、現代のメディアや学説もまた、無意識のうちに現状のシステム(ゴリアテ)を肯定するバイアスに囚われているのだ。
私たちが「文明」と呼んで崇めるものの正体は何か。ピラミッド、高層ビル、巨大ダム。それらはすべて「石(コンクリート)」でできている。石は朽ちない。だから歴史に残る。しかし、ケンプはそれを「生存バイアス」だと一刀両断する。人類史の99%は、土に還る「木」や「土」と共にあった。そこには巨大なモニュメントはない代わりに、持続可能な循環があった。
現代の私たちは、「何かを残さなければならない」という強迫観念に駆られていないだろうか。
名を残す、資産を残す、ログを残す。だが、本当に豊かな時間は、記録されない会話や、消費されて消える食事の中にこそ宿る。
1000年後、廃墟となった六本木ヒルズを見て、未来の考古学者は「ここは偉大な文明だった」と言うかもしれない。だが、その足元で押し潰されていた私たちの息苦しさは、石には刻まれない。
「石の文明」の崩壊は、私たち「木の民」が、本来のしなやかな生き方を取り戻すチャンスなのだ。
データという名の「新しい小麦」を燃やせ

ケンプ:
エジプトの小麦は、最高に略奪しやすいリソースだった。どこにあるのか一目で分かり、徴税人が簡単に奪うことができて、しかも何十年も保存できる。一方で、パプアニューギニアのバナナはすぐに腐るし、タロイモは土の中に隠すことができる。だから、権力者が搾取し、ピラミッドのような巨大建造物を作るための「燃料」は、そこには存在しなかったんだ。
ラシュコフ:
現代では、その燃料が「データ」や「核エネルギー」に置き換わったわけだね。IT企業は、僕たちの行動をデータという形に「可視化」し、貯蔵することで、現代版のファラオになろうとしている。
収穫逓減の法則
文明崩壊の基礎理論の一つ。社会が問題を解決するために複雑化しすぎると、ある時点から「維持コスト」が「利益」を上回り、システム全体が重みに耐えきれず自壊する現象。現代の複雑怪奇な金融システムや官僚機構は、まさにこの段階にあるとされる。
「支配」とは、対象を「可視化」することから始まる。古代の王が小麦を作らせたのは、民を養うためではない。「誰がどれだけ持っているか」を台帳に記録し、徴税するためだ。小麦は地上に実り、数えられる。刈り取られる。貯蔵される。つまり、完璧に「読める(legible)」作物なのだ。
一方、タロイモは違う。土の中で育ち、必要な時に必要な分だけ掘り出せる。貯蔵庫はいらない。台帳にも載らない。だから税も取れない。古代の支配者たちがタロイモ栽培を嫌ったのは、それが「読めない(Illegible)」作物だったからだ。
現代における「小麦」は、私たちの「データ」である。検索履歴、位置情報、購買記録。これらがプラットフォーム企業(現代のファラオ)のサーバーという穀物倉庫に吸い上げられ、私たちの行動を予測し、操作するための原資となる。
では、どうすればこの支配から逃れられるのか。ヒントは「タロイモ」だ。
つまり、「読まれない(Illegible)」存在になること。アルゴリズムが予測できない行動をとる。現金のやり取りで見えない経済圏を作る。顔の見える関係の中で、データに残らない信頼を育む。
「雑音(ノイズ)」こそが、管理社会に対する最大の防御だ。すべてをデジタルな「小麦」として差し出すのをやめる。それが、ゴリアテを兵糧攻めにする唯一の方法だ。
権力というウイルス、恐怖という支配
ケンプ:
ダークトライアド(自己愛、マキャベリズム、サイコパシー)を持つ人は、支配を通じて地位を追求する傾向がある。さらに恐ろしいのは、まともな人間でも、権力の座に座ると共感性が低下し、不正行為に走りやすくなるというデータがあるんだ。
ラシュコフ:
権力は、まるでウィルスのように人を腐敗させるバイオハザードだね。だから、僕たちは、一人の人間に権力を集中させるような構造そのものを警戒し、解体し続けなければならない。
ケンプ:
「9.11」の翌日に、アメリカでは25万本の国旗が売れたという数字がある。前年の同じ日には、僅か1万本だった。人は脅威を感じると咄嗟に、権威的なリーダーに従いたいという衝動に駆られてしまう。リーダーたちは、これを自覚的に利用しているんだよ。
権力というバイオハザード
権力の集中は、トップの判断ミスが社会全体を汚染するリスク(単一障害点)を生む。ケンプはこれを感染症になぞらえ、リスクを分散させる「Team Human」的な合議制こそが、社会の免疫システムになると説く。
なぜ私たちは、あえて自分たちの自由を差し出し、強権的なリーダーを求めるのだろうか。
それは「恐怖」という麻薬を打たれているからだ。「経済が破綻する」「テロが起きる」「AIに仕事が奪われる」「気候変動で地球は終わる」──メディアが垂れ流す終わりのないアラートは、私たちの思考能力を奪い、「誰かに守ってほしい」という幼児的な依存心を引き出す。
支配層はこのメカニズムを知り尽くしている。彼らは問題を解決するのではなく、危機を演出し続けることで、その地位を安泰にする。こうした終末論的なメッセージは、人々から行動力を奪う最も効率的な武器なのだ。
だが、ラシュコフは対談の中で繰り返しこう訴えかける。「若者を絶望させるな。希望を語れ」と。
これは単なる励ましではない。恐怖の対極にあるのは、安心ではなく「行動」だからだ。
ラシュコフが、特に若者たちに伝えたいのは、こうだ。「崩壊は、チャンスだ」と。恐怖に縮こまるのではなく、そのエネルギーを「怒り」へ、そして「行動」へと転換せよ。ゴリアテは確かに巨大だが、不死身ではない。私たち一人ひとりの小さな抵抗が、その額に命中する日は必ず来る。
ゴリアテを捨て、風の谷へ

ケンプ:
1000年前、北米の都市カホキア(現在の米国イリノイ州セントルイス近郊、ミシシッピ川流域に栄えた先住民文明の都市)で起きたのは、単なる滅亡ではなく、民衆による「積極的なシステムからの脱退(カホキア・エグジット)」だった。彼らは、不平等が極まった都市を捨て、より小規模で平等な農村社会へと戻っていったんだ。
ラシュコフ:
現代における最も価値ある資源はデータだ。これを独占するのではなく、協同組合のように「責任とリソースを共有する」形へ移行すべきなんだ 。
ケンプ:
そうだね。分散型の資産と相互所有権。これこそが、私たちが「Team Human」として機能するための基盤になるんだね。
システムと戦う必要はない。ただ、そこから「去る」だけでいい。
竹槍を持ってGoogleに突撃しても意味はない。だが、私たちがGoogleに依存しない生活圏を作り始めたら?
ケンプが語る「カホキア・エグジット」は、革命よりも強力な抵抗の形を示唆している。
剣を取って王を倒すのではない。誰も王の言うことを聞かなくなり、誰も税を納めなくなり、人々がただ静かに森へ帰っていったとき、王権は霧散した。
山梨県丹波山村という「風の谷」

提供:丹波山村
山梨県丹波山村は、多摩川の源流である丹波川が流れる、山々に囲まれた小さな村だ。人口は約500人。高齢化率は50%を超える。数字だけ見れば「消滅可能性都市」と呼ばれても不思議ではない。
だが、この村は消えていない。それどころか、独自の道を歩み始めている。
深く澄んだ川、折り重なる山の稜線、そこに静かに根を下ろす集落──まさに「風の谷」のような場所である。ここには、巨大システムに依存しない生き方の可能性がある。
石造りの神殿や金貨は、権力者が自らを誇示するために残したものだ。だが、木材や家屋は自然に還り、清流は人を育み続ける。こうした風景こそが、「土を愛でる」精神を物語っている。
丹波山村が教えてくれるのは、シンプルな真実だ。巨大なシステムと戦う必要はない。ただ、自分が根を下ろしたい場所を選び、そこで人と繋がり、土を愛でればいい。それが「カホキア・エグジット」の現代版だ。
誰の意見も無視されない「Team Human」の再起動
では、私たちは具体的にどう動き出せばいいのか。
ゴリアテを解体し、人間らしい繋がりを取り戻すための「作法」が必要だ。理想を語るだけでは何も変わらない。明日から使える、具体的な方法が要る。
ここで紹介するのは、ケンプとラシュコフの対話、そして35歳で台湾のデジタル担当大臣となったオードリー・タン氏の実践から導き出された「4つの作法」だ。
なぜ、オードリー・タンなのか。タン氏は世界的に知られるプログラマーであり、テクノロジーの最前線に立つ人物だ。巨大な権力や効率性を優先する側、いわば「ゴリアテの側」に立つこともできたはずである。
しかしタン氏が選んだのは、テクノロジーによって人を選別することではなく、誰一人取り残さない社会を設計することだった。
「デジタル大臣」という肩書きとは裏腹に、タン氏が実践したのは極めて人間中心の政治である。その姿勢と方法論は、テクノロジーが分断を生みがちな現代において、別の可能性があることを私たちに示している。
難しいことは何もない。あなたの職場でも、地域でも、家族の中でも、今日から試せる。
1. ラフ・コンセンサス(粗い合意)で進め
全員一致は、美しいが脆い。たった一人が「絶対反対」と言えば、すべてが停止する。これがゴリアテの罠だ。完璧な合意を求めるふりをして、実際には何も変えさせない。
インターネットの黎明期を支えたエンジニアたちが採用したのは「ラフ・コンセンサス」だった。「100%の賛成ではないが、致命的な欠陥がないなら、まずやってみよう」──この柔軟さこそが、硬直したシステムに対抗する最大の武器になる。
実例:マンションの防災訓練
「全世帯が参加できる日程」を探していたら、永遠に決まらない。だが「参加できる人だけで第1回をやってみよう。次回は別の日に」と切り替えた瞬間、物事が動き出す。完璧を目指さず、60点から始めてみよう。
2. 「通訳者」を配置せよ
専門用語は、排除の道具だ。「エビデンスベースで」「アジャイルに」「ステークホルダーの合意形成を」──こんな言葉が飛び交う会議で、誰が発言できるだろうか。カタカナ語、役所言葉、業界用語。これらは「あなたには理解できない」というメッセージを発している。
会議には必ず「通訳者」を置こう。エリートの言葉を、おばあちゃんでも子供でも分かる言葉に翻訳する人だ。
実例:台湾のUberタクシー問題
オードリー・タンは、タクシー業界とUberの対立を解決する際、まず双方の主張を「イラスト付きの漫画」にした。専門用語を排除し、中学生でも理解できる形にすることで、市民全体が議論に参加できるようになった。そして「みんなが納得できる新しいルール」が生まれた。
あなたの職場でも、会議の最後に「今日の話を小学生に説明するなら?」と問いかけてみよう。それだけで、本質が見えてくる。
3. 「Pol.is(ポリス)」的思考で「グレーゾーン」を探せ
vTaiwan /「Pol.is(ポリス)」
台湾で行われているデジタル民主主義のプロジェクト。AIを活用した議論プラットフォーム「Pol.is」を用い、多様な意見の共通項を見つけ出して合意形成を行う先進的な試み。
SNSは、世界を「敵」と「味方」に分断する。賛成か反対か。白か黒か。だが、現実はそんなに単純ではない。ほとんどの人は、その真ん中のどこかにいる。
実例:公園の使い方をめぐる対立
ある町の公園で、「子供が遊ぶ声がうるさい」という高齢者と「遊び場が必要」という親が対立していた。だが、付箋に意見を書き出して整理すると、双方とも「夕方6時以降は静かにしてほしい」「ボール遊びは別の場所がいい」という点では一致していた。
グレーゾーンを探せば、「全面禁止」も「野放し」も不要になる。時間帯を分ける。エリアを分ける。小さな工夫で、対立は協力に変わる。
4. 「スラック(余白)」をデザインせよ
効率、生産性、タイパ──ゴリアテが押し付けるこれらの指標は、私たちの社会から「遊び」を奪った。
だが、考えてみてほしい。本当に大切な友人関係は、目的のない雑談の中で生まれなかっただろうか。斬新なアイデアは、会議室ではなく居酒屋で出てこなかっただろうか。
実例:北欧の「フィーカ」文化
スウェーデンの職場には「フィーカ」という習慣がある。午前と午後、全員が仕事を止めてコーヒーブレイクを取る。議題はない。ただ、コーヒーを飲みながら雑談する。この「無駄な時間」が、部署を超えた協力や、予期せぬアイデアの交換を生んでいる。
日本にも「縁側」があった。目的なく人が集まり、世間話をする場所。その余白が、地域の絆を作っていた。
月に一度、「何も決めない会議」を開いてみよう。ただ集まって、最近の困りごとや嬉しかったことを話す。それだけで、組織は柔らかくなる。
ゴリアテは、誰かに倒されるのではない。忘れ去られるのだ。
私たちが画面から目を離し、互いの目を見て話し始めたとき。データではなく、名前で呼び合い始めたとき──その瞬間、ゴリアテの支配は終わる。
彼らは遠くへ逃げていく。宇宙の果てへ、地下の要塞へ。だが、私たちは違う道を選ぶ。ここに留まり、隣人と共に生きる道を。
未来は、どこか遠い場所にはない。それは、今日あなたが交わす、他愛のない会話の中に、すでに芽吹いている。
崩壊は、「終わり」ではない。人間が人間へ戻るための、静かな「帰還」なのだ。
参考文献・ガイド
◆文明・歴史・実存リスク
Goliath's Curse(Luke Kemp, 2024)
本対談の核となる文献。巨大化した権力(ゴリアテ)が、いかに自身の脆弱性を高め崩壊を招くのか、歴史的分析と現代の実存的リスクを交えて論じている。
Collapse(Jared Diamond, 2005)
邦訳:『文明崩壊』 イースター島など過去の文明が環境破壊や気候変動、敵対勢力などの要因でなぜ崩壊したのか、あるいは存続できたのかを多角的に分析した名著。
Against the Grain(James C. Scott, 2017)
邦訳:『反穀物の人類史』 定住や穀物栽培が、人間に幸福をもたらす進歩ではなく、国家による徴税や支配、感染症を容易にするための装置であったという衝撃的な歴史観を提示する。
The Dawn of Everything(David Graeber & David Wengrow, 2021)
邦訳:『万物の黎明』 「原始社会は平等で、文明が進むと不平等になる」という従来の歴史認識を覆し、人類がいかに多様で自由な社会形態を試行錯誤してきたかを再構築した大著。
The Collapse of Complex Societies(Joseph A. Tainter, 1988)
社会が問題を解決するために複雑化し過ぎて、その維持コストが利益を上回る「収穫逓減」に陥った時に崩壊が起こるという、崩壊理論の基礎となる複雑系社会モデルを論じる。
◆ダグラス・ラシュコフ(社会・文化批評)関連
『デジタル生存競争』(原題:Survival of the Richest、ボイジャー刊)
富裕層がテクノロジーを使って一般社会から遮断された安全地帯へ「脱出」しようとするファンタジーを批判し、人間的なつながりへの回帰を説くラシュコフの近著。
『チームヒューマン』(原題:Team Human、ボイジャー刊)
アルゴリズムや経済システムが人間を疎外する現代において、人間が本来持つ「連帯」や「共感」を取り戻し、チームとして生きるためのマニフェスト。
◆メディア・社会心理・権力
Imagined Communities(Benedict Anderson, 1983)
邦訳:『想像の共同体』 国民国家という枠組みが、印刷技術や資本主義によって「想像」された共同体であることを明らかにし、ナショナリズムの起源を解明した文化人類学・政治学の古典。
The Power Paradox(Dacher Keltner, 2016)
権力を得るために必要な「共感力」が、ひとたび権力を手にすると失われてしまうという「パワー・パラドックス」を論じ、権力が人間心理をいかに腐敗させるかを解き明かす。
The Value of Everything(Mariana Mazzucato, 2018)
現代の経済システムにおいて、真の価値創造と、単なる富の抽出(搾取)がいかに混同されているかを批判し、公共の利益に基づいた経済価値の再定義を試みた一冊。
◆ワークショップ・コミュニティ実践
『ワークショップ』(中野民夫, 2001)
体験型の学びの場である「ワークショップ」の意義を、日本における第一人者が丁寧に解説した入門書。対話を通じて人々の創造性や連帯を引き出すための実践的手法が示されている。
『情報編集の技術』(渡辺保史, 2008)
ネットワーク時代の情報のつながりをデザインする手法を論じた著作。バラバラな情報を編集し、価値ある文脈やコミュニティを生み出すための「つなぎ方」の技術を提示する。
『コミュニティデザイン』(山崎亮, 2011)
ハード(施設)を作るのではなく、人がつながる仕組みを作る「コミュニティデザイン」の重要性を説く書。住民が主体的に地域課題を解決するための場づくりの実例が豊富に紹介されている。
The Center for the Study of Existential Risk (CSER)
ルーク・ケンプが所属するケンブリッジ大学の研究機関。人工知能、パンデミック、核戦争など、人類の存続を脅かす極端なリスクを科学的・多角的に研究する世界的な拠点。
著者紹介

伊藤明彦(いとう・あきひこ)
北海道教育大学札幌分校で彫刻を専攻。プログラマ養成専門学校専任講師、中学校美術教諭、株式会社ハドソン・コンピュータ・デザイナーズ・スクールインストラクター。株式会社サテライト、デジタルアニメーションのメディアデザイン事業部ディレクター。東海大学芸術工学部(旭川校舎)教授を経て国際文化学部デザイン文化学科(札幌校舎)教授(2021年まで)。彫刻家として活動の他、2001年より関係デザインの活動を開始。『人体は感覚の庭である』をキーワードに業態開発やそのための人材育成手法の発明などに携わる。著書に『マルチメディア事典』(共著:朝日新聞社)、マインドインタラクションとIoTを活用したデバイスによるソリューション開発に取り組んでいる。
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著者紹介

ダグラス・ラシュコフ(Douglas Rushkoff)
1961年生まれ。米国ニューヨーク州在住。 第1回「公共的な知的活動における貢献に対するニール・ポストマン賞」を受賞。『ネット社会を生きる10ヵ条』(原題:Program or be Programmed、ボイジャー刊)、『チームヒューマン』(原題:Team Human、ボイジャー刊)、『Throwing Rocks at the Google Bus』(グーグルバスに石を投げろ)など多数執筆。『「デジタル分散主義」の時代へ』という論考が翻訳されている。
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