親友を失った日、二人分を生きると誓った。それから40年──(Team Human - Ep. 370)
ダグラス・ラシュコフは科学者、活動家、アーティスト、哲学者、研究者たちと向き合い、同じ問いを投げかけている──「私たちが築き上げてきたこの世界の仕組みで、実際に得をしているのは誰なのか? そして、私たちはそれに対して何をすべきなのか?」
『Team Human(チームヒューマン)』は、テクノロジー、権力、意識、そして人間のために設計されているとは思えなくなりつつある世界で「人間であり続ける」とは何を意味するのか──これらをテーマにした週刊ポッドキャスト。
企業のスポンサーなし。ネットワーク局なし。何を語るかを決めるアルゴリズムもなし。ただ、現代における最も重要な問いの最前線で活動する人々との、誠実で妥協のない対話があるだけ。
『Team Human』のホスト、ダグラス・ラシュコフの発信を、日本の読者にお届けします。
本記事は、動画「How to Survive The Swirl of Grief and Modern Chaos(悲しみと現代の混沌の渦を生き抜く方法)」を基にし、日本語訳・編集しています。

1961年アメリカ生まれ。メディア理論家・作家・ドキュメンタリー作家。ニューヨーク市立大学クイーンズ校でメディア理論およびデジタル経済学の教授を務める。インターネット上で情報が爆発的に拡散する現象を表す「ヴァイラル・メディア」など、現代を象徴する概念の生みの親として知られる。2013年、『MIT Technology Review』誌で「世界で最も影響力のある知識人10人」の一人に選出された。
二人分を背負い続けて、僕は壊れていった
40年前、僕の親友スティーブンが車の事故で亡くなった。彼が運転していて、僕は助手席にいた。
救急車の中で、僕とほとんど同い年の救急隊員に聞いた。「人って、こういうことから立ち直れるものなんですか?」と。彼は自分の手には余るという顔をしてから、こう答えた。
「人は人生を続けていきます。生き続けるんですよ」
その瞬間、僕は決めた。生き続けよう、と。でも、自分のためだけじゃない。スティーブンのためにも。二人分の人生を生きよう。彼の人生の使命を、彼の魂を、自分の中に取り込もう、と。
それから20年間、僕は「アートを楽しむ自分」と「社会を良くしようと闘う自分」、その両方を抱えたまま生きて、書いてきた。世界のどこかに苦しんでいる人がいる限り、自分だけ芸術や文化に夢中になって楽しむことを、絶対に自分に許さなかったんだ。
意識してやっていたわけじゃない。ただ、何十年もそんなふうに生きているうちに、それが自分自身になっていた。賢くて、創造的で、でもいつも心のどこかで葛藤している人間に。
一つの心に、二人分は入らなかった
数年前、僕はマッシュルーム(幻覚作用のあるキノコ)を使ったセラピー儀式を受けた。横になっていると、キノコの菌糸(マイセリア)が、まるで生き物のように体の中を探っているのを感じた。お腹のあたりから触手のように伸びてきて、心臓まで届くと、ぎゅっと握りしめたまま離れなくなった。
痛かった。本当に痛くて、苦しかった。締めつけられるような感覚。「攻撃されているのか?」と思った瞬間、植物だけが持つあの静かな伝え方で、声が聞こえてきた。
「ああ、君、心に傷を抱えているんだね」
僕は、ああ結婚生活のことかなと思った。でも、もっと昔の話だった。
「いや、違う。君はもう、悲しみそのものに浸かりきっているんだ」
この違いが、決定的に大事だった。気づくと僕は、あの事故の現場に戻っていた。車の中で血を流していくスティーブンが見えた。そして、この痛みの正体がわかった。ただ彼の死を悼んでいたんじゃない。僕は、自分の心の中に彼の心まで詰め込んで、一緒に生かし続けようとしていた。だから、僕の心は壊れていたんだ。
涙があふれていた。事故のあとハイウェイの真ん中に立っていたとき以来、初めて泣いたんだと思う。泣いているうちに、涙がもう自分のものじゃなくなっていく感覚があった。
僕らみんなの下には、いつも涙の海がある。共有された、ほとんど無限の、トラウマと悲しみの井戸。そして僕らにできるのは、森のキノコが枯れ木を分解して土に還すように、悲しみを自分の中で“代謝”していくことだけなんだ。
だから僕は、彼を手放すことに「同意」した。すると、心臓の痛みが止まった。彼が去っていくのを感じた。手放さなくちゃいけなかった。彼にとっても、いいことじゃなかったんだ。
「永遠の命」を手にした人が、最初に失うもの
死への抵抗──それこそが、いまの僕らが抱える問題の多くを生み出している。
不老不死を本気で目指している、テック業界の起業家や大富豪たちがいる。寿命を限界まで延ばそう、いっそ死そのものをなくしてしまおう、と。でも考えてみてほしい。仮に寿命が1万年になったとして、それって本当に楽しいと思う? だって、その世界で唯一の死に方は、ばかげた事故くらいしかないんだ。
そうなったら、誰が外を出歩く? 誰が車に乗る? 永遠の命を手に入れた瞬間に、何をするにも「とんでもないリスク」になってしまうんだ。道を渡るだけで、残り9000年分の人生を一瞬で失うかもしれない。だったら、家にこもってじっと動かないでいたほうがいい──そう考えるよね。
この存在のかけがえのなさ、人生の短さ──それこそが、人生をこんなにも美しいものにしている要素の一つなんだ。僕ら一人ひとりがどれほど特別な存在か、それに気づくきっかけを与えてくれるものの一部なんだ。
苦しい世界だからこそ、微笑みを
以前、あるアーティストにこう聞いたことがある。「世界にこんなに苦しみや飢えがあふれているのに、こんなふうに楽しく芸術を作っていていいんでしょうか?」と。彼女はこう答えた。
「いいえ、むしろ逆。喜んで芸術を作ることこそ、私たちが果たすべき義務なんです」と。
でも、当時の僕には、その言葉の意味が本当にはわかっていなかった。頭ではわかっても、体で腹落ちしていなかった。
あの儀式の最中、先に逝った友人たちが、渦の中でぷかぷか浮かんでいるのが見えた。ある人は、「俺、なんで心配しなきゃいけないんだ?」とでも言いたげな顔をしていた。「そんなに悲劇ぶることないさ。ただただバカげてるだけだよ」とでも言うように。皮肉な微笑みを浮かべている人もいたし、おどけて笑っている人もいた。
みんなそれぞれが、渦の中で、痛みを抱えながらも喜びをもって、自分なりのやり方で涙を“代謝”していたんだ。
苦しみながら処理するんじゃない。至福に近い感覚のなかで、この“代謝”のやり方を見つけていた。
ハッピー・ブッダ(笑っている布袋像)を思い出してほしい。「この世のすべては痛みと苦しみだ」と気づいたあとで、なぜか彼は微笑みはじめる。それが、彼が歳を重ねてたどり着いた知恵なんだ。そして、まさにそれが核心なんだ。本当の意味で他者を思いやる気持ち──その慈悲の心こそが、悲しみや嘆きをして、まったく別のもの──「死を、生へと変えていく力」を持っているんだ。
渦の中で、僕らはひとりじゃない
僕らはみんな、この“渦の中”にいる。
それは痛々しくて、暴力的で、惨めで、不必要なまでに残酷だ。それは、僕ら自身のことなんだ。戦争で吹き飛ばされる赤ちゃんたち。国境で追い返される難民たち。社会という巨大な機械の歯車に挟まれて、すり潰されていく人たち。空に立ち込める、有毒な雲。僕らはみんな、この狂った、暴力的な渦の中にいる。
“スティーブン”が間違っていた、なんて言いたいわけじゃない。彼は、人間として可能な限り、自分の信念に忠実に生きた。ただ、“彼の道”は、僕の道じゃなかった──というだけのことなんだ。それなのに、僕は彼の生き方まで自分の中で続けようとしていた。自分の道と、彼の道、その両方を一人で生きようとしてしまった。それが、必要のない葛藤を生み出していた。
彼の心と使命を、握りしめたまま離さずにいたこと。それは、本当の痛みと向き合うのを先延ばしにする方法だったんだ。「彼を死なせないでおく」ための。でも──スティーブンは、もういないんだ。
社会のピラミッドをどんなに高く登っても、生きている限り、あなたはこの渦の中にいる。そう、息をしている限り、あなたは渦の中にいる。
僕らはみんな、みんな一緒にこの渦の中にいる。それこそが、「Team Human(チームヒューマン)」としての意識なんだ。
どんなに高度なテクノロジーも、どれだけの富をもってしても、この事実は否定できない。少なくとも、いつまでも逃げ続けることはできないんだ。
抗議活動で塔を引き倒すのも、芸術でその脆い土台を暴くのも、愛でそれを溶かすのも──僕らはみんな、それぞれのやり方で、それぞれの役割を果たしているんだ。だからこそ、僕らはこんなにもたくさん存在しているんだ。
とにかく──スティーブン、愛してるよ。渦の中で、また会おう。
ダグラス・ラシュコフ著『デジタル生存競争』
ある日、ラシュコフのもとに講演依頼が舞い込んだ。ビジネスクラスの空路、迎えのリムジンを乗り継いでたどり着いた先は、砂漠の奥地にひっそりと佇む超高級リゾート。依頼人は、総資産1500億円を超えるビリオネアたちだった…
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著者紹介

ダグラス・ラシュコフ(Douglas Rushkoff)
1961年生まれ。米国ニューヨーク州在住。 第1回「公共的な知的活動における貢献に対するニール・ポストマン賞」を受賞。『ネット社会を生きる10ヵ条』(原題:Program or be Programmed、ボイジャー刊)、『チームヒューマン』(原題:Team Human、ボイジャー刊)、『Throwing Rocks at the Google Bus』(グーグルバスに石を投げろ)など多数執筆。『「デジタル分散主義」の時代へ』という論考が翻訳されている。
