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5つのステップ|シンプル思考のすすめ。

「シンプルに考えろ」では変わらないのか? 思考を変える5つのステップ
「もっとシンプルに考えたらどうだろう」
部下と話をしていて、そんな言葉を口にすることがある。
いろいろな情報を集めている。
いろいろな問題にも気づいている。
本人なりに一生懸命考えている。
ところが、考えれば考えるほど話が複雑になっていく。
Aという問題がある。
Bという問題もある。
その背景にはCがある。
さらにDという事情も考えなければならない。
話を聞いているうちに、
「結局、一番の問題は何なのだろう」
と思ってしまう。
そこで、
「要は何が問題なの?」
と聞いてみる。

ところが、この「要は」が意外と難しいのである。
私は複雑なことを複雑なまま考えられない
私は、自分の頭がそれほどいいとは思っていない。
これは謙遜ではなく、本気でそう思っている。
複雑な情報をたくさん頭の中に置いたまま、その全部を動かしながら考えることが苦手なのである。
だから、できるだけ単純にする。
「結局、何が起きているのか」
「一番大きな問題は何なのか」
「そもそも、何を実現したかったのか」
そんな問いを繰り返しながら、余計な枝葉を落としていく。
すると、少しずつ構造だけが残ってくる。
私はこれを「抽象化」だと考えている。
例えば、
問い合わせが増えている。
担当者によって回答が違う。
確認に時間がかかる。
何度も上司に判断を求めている。
一つひとつを見ると、別々の問題に見える。
しかし、
「要は何なのだろう」
と考えていくと、
「判断基準が共有されていない」
という一つの構造が見えてくる。
すると、四つの問題を一つずつ潰す必要はなくなる。
判断基準を整備し、誰でも同じ判断ができるようにすればいい。
複雑だった世界が、突然シンプルになる。

シンプルとは「情報が少ない」という意味ではない
ここで重要なのは、
シンプルに考えることと、
雑に考えることは違う、
ということである。
情報を無視しているわけではない。
むしろ逆である。
たくさんの具体的な事象を観察したうえで、
「これらに共通しているものは何か」
を探している。
具体から、一段上に上がるのである。

認知科学には、面白い研究がある。
物理学の問題を専門家と初心者に分類してもらうと、初心者は「斜面の問題」「滑車の問題」のような表面的な特徴で分類する傾向があった。
一方、専門家は、その背後にある物理法則によって問題を分類した。
同じ問題を見ている。
しかし、見ているものが違うのである。
初心者は「何が起きているか」を見る。
熟達者は、
「これは何の構造なのか」
を見る。

解決したい問題と、実現したい目的は違う
もう一つ、仕事をしていてよく感じることがある。
問題を解決しようとすればするほど、
「問題そのもの」
に意識を奪われてしまうことである。
例えば、
「申請書の記入ミスが多い」
という問題があったとする。
すると、
チェック項目を増やそう。
マニュアルを充実させよう。
研修をしよう。
という解決策が出てくる。
もちろん間違いではない。
しかし、ここで一度、
「そもそも何を実現したかったのか」
と問い直してみる。

おそらく目的は、
「申請書を正しく書いてもらうこと」
ではない。
「必要な情報を正しく取得すること」
である。
ここまで抽象度を上げると、解決策が変わってくる。
入力項目を減らせないか。
他のシステムから自動取得できないか。
選択式にできないか。
そもそも申請書自体をなくせないか
目的を実現するための方法をゼロベースで思考する。

「記入ミスを減らす」
という問題に閉じ込められていたときには見えなかった答えが見えてくる。
私は、この瞬間が面白い。
あとから見ると、
「そんなことか」
と思う。
まさにコロンブスの卵である。


抽象化したものを、同じ抽象概念の接続で解決策を導く。
ただし、抽象化するだけでは十分ではないと思っている。
もう一段ある。
接続である。

例えば、
「会議が長い」
という問題がある。
普通に考えれば、
時間制限を設ける。
資料を短くする。
発言時間を決める。
という改善策に着地しがち。
しかし、
「そもそもこの会議とは何のためにやっているのか」
目的という抽象概念で整理をしてみると見えてくる。
「対策を決めるため」
だった。

ここで、構造化した別の抽象概念と接続する。
「意思決定」とはどのようなものか?という抽象概念の枠組みへの接続だ。
「判断のために必要な要素は何か?」
「選択肢が複数存在した時に、我々はどのように決めているのだろうか」
構造を思考する。

そして、もう一度、問題に接続し、何が起こっているのか。
構造化、抽象化した概念と、異なる違和感が何なのか?問題を俯瞰する。
「会議が長くなっている原因は、基本と異なるところは何か」で差分をとる。
意外なところから、課題が見えてくる。
既得権益を主張している人たちがこの会議を長くしている原因を作っていたとする。
であれば、対策の仕方は、上記のような発言時間を短くしたとしても、一向に変わらない。

伝えたいことは、
具体から一度離れ、
抽象度を上げ、
具体へと戻るという移動である。

私は最近、
シンプル思考とは、抽象概念を接続する技術ではないか
と思うようになった。
思考が止まるのは、どこなのか
では、
「シンプルに考えて」
と言われてもできない人は、
どこで止まっているのだろう。
私は大きく五つの段階があると思っている。
まず、具体的な事象を見る。
次に、そこに共通する構造を見つける。
そして、
「要は何か」
と抽象化する。
さらに、似た構造を持つ別の問題と接続する。
最後に、もう一度、具体的な解決策に戻していく。
おそらく、思考が苦手な人は、
このどこかで目詰まりしている。
事象を集めるだけで止まっているのか。
共通項を取り出せないのか。
抽象化した言葉を持っていないのか。
抽象化はできても、別の知識と接続できないのか。
それとも、抽象論から具体策へ戻せないのか。
そう考えると、
「もっとシンプルに考えて」
という指導は、
少し乱暴なのかもしれない。

「要は何か?」を一緒に考える
リーダーとしてできることは、
答えを教えることではないと思う。
「今話しているのは、事象なのか、それとも構造なのか」
「いくつかの問題に共通しているものは何だろう」
「それを解決して、本当は何を実現したいのだろう」
「似たような構造を、別の仕事で見たことはないだろうか」
そんな問いを投げ続けることである。
できる人からすると、
答えは最初から見えているように感じる。
だから、
「なぜ分からないのだろう」
と思ってしまう。
しかし、見えている景色そのものが違うのであれば、
答えを教えるだけでは、
その差は埋まらない。
必要なのは、

答えにたどり着いた思考の経路を見せること
なのだと思う。
複雑なものを単純にする。
しかし、単純化したところで終わらない。
抽象化した概念を、
自分の中にある別の知識とつなげる。
そして、もう一度具体に戻す。
具体から構造へ。
構造から抽象へ。
抽象から接続へ。
そして、もう一度具体へ。
私は、この往復運動こそが、
シンプルに考えるということなのだと思っている。
もしかすると、
「頭のいい人は答えがすぐ分かる」
のではない。
私たちが複雑な問題を眺めているあいだに、
その人は一度、
具体の世界から抜け出しているのかもしれない。
そして違う場所から、
もう一度同じ問題を見ているのである。


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ゆいえん|フォロバ100 ありがとうございます。 励みになります。 毎日投稿に挑戦中💪