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愛してる人の話

もうちょっと落ち着きなさい

昔から言われてた言葉。

「生き急ぎすぎている」

20歳の頃から言われて5年経った。

幼少期から人の感情や言葉が繊細に自分に伝わってきて、簡単に言うと人が怖くて目が怖い。

やりたいこととか面白いと思うことはあった。でもそれを押し込めてまで人に合わせていた。

小学生、中学生、高校生。

学生時代は特に広く友達付き合いはせずに狭い世界でなるべくストレスをなく生きた。

それでも教室の世界がとても嫌いで、毎日生きるのが苦痛だった。

お父さんに車で毎日送ってもらう日々。

今日は学校に行けません。体調悪くないけど無理です。母は月に1.2回許してくれて、一緒にランチをした。

本当に学校が嫌いでたまらなかった。

人付き合いがとにかく苦手で苦痛。

でも学校に行けていたのはお父さんが毎日学校に車で送ってくれていたおかげだ。それも両親が自営業で時間の融通が効いたからだ。

お父さんが銀行員から脱サラしてなんの知識もないまま会社を立ち上げて独立した。

そのきっかけは「仕事が嫌?そんなんやめてしまえばいい。一緒に働くよ」そんなお母さんの言葉だったらしい。

兄と私が小学生になる手前の話だと思う。

お母さんは超お嬢様育ちの専業主婦。

だけど、いい仕事についてたお父さんにすぐ独立を許可して何ふり構わずともに全力で家族のために働いていた。

お母さん曰く、生きていくために必死すぎてよく覚えてないそうだ。

お父さんはきっとその言葉にとても救われたんだと思う。なんのコンサルを入れるわけでもなく、父と母は二人三脚でとにかく2人の子供を育てるべく事業を全力で動かす。

お父さんの社会経験と、お母さんの突飛脚もないアイディアの2人だからこそバランスよく成り立ちそれぞれの事業を成功させていった。

最初はジュニアモデル事務所。撮影会とかDVDとかタレント育成とかそういうことをしてたらしい。私は小さすぎてあんまり覚えてない。

そして、大阪日本橋でアニソンカフェの設立。

元々あったモデル事務所で働いてた人がアニソンカフェなんてあったら面白いですね〜の一言で実現したらしい。

当日はコンセプトカフェはなく、メイド喫茶が流行りだした頃だった。そこに、カラオケを導入してメイドさんが歌を歌うことをコンセプトにした。それが画期的な発明だったそうで数年間はお店が繁盛していた。

その当時、小学生の鈴木Mob.は毎日アニソンやアニメに触れ合い、テレビの取材では水木一郎さんとお会いしたり、濃い小学生時代を過ごした。だから私は生粋のアニメオタクになってしまった。実はサラブレッドなのである。

学校は本当に嫌いだったけど、週末はこのアニソンカフェに遊びに行けるのが楽しみでお兄ちゃんと日本橋をずっと探索して遊んでいた。

アニメを見たりお絵描きしたり歌を歌ったり、自分が生きる場所になっていた。

だけど平日はお父さんとお母さんも帰りが遅くて、お兄ちゃんも遊びに出て、私は1人とても寂しかったのを覚えている。

それを癒してくれたのは、猫の存在だった。

お父さんと共に帰宅した謎の迷い猫。突然知り合いから子猫2匹を譲りうけたことだってあった。峠を走ってると野良猫が勝手に車に乗ってきたからそのまま連れて帰ってきてこの子飼えないかと相談されて引き取ったり。

気づいたら色んな猫が家にいた。

家で1人宿題をしてる中、猫たちが覗きにきてくれていたり、地震があると猫たちと怯えた。

そこから猫カフェをはじめた両親。
(一緒に過ごしてた猫たちは家でまったり幸せにしてます)

知らぬうちにしらたま屋さんを始めたり、私たち兄弟を食わせるためにずっと休みなく毎日働いては新しい事業をしていた。

そんな両親の姿をずっと見ていた。

時には本当に寂しくてもっと一緒にいたいと思うこともあった。

だけど今考えてみたら、これだけの私たちのために努力して身を削ってくれていたのだと心の底から感謝の気持ちでいっぱいだ。学校も中高大で私立に入れてもらったりお金のかかる子供だったと思う。

私がにっぽんワチャチャでアイドルをやると言い始めた5年前。

当日は大学2年生。

私が人間付き合いや集団行動が苦手だと知っていた両親はわたしのために反対した。

だけど私がやると決めると理解してくれた。

それから一年。

大学を休学して東京にでて本気で活動すると伝えた時、

お母さんは「あんたの人生やねんから、後悔なくやりな。休学費くらい稼いだるわ」

すぐに東京に行かせてくれた。

だけど東京に行っても結果がでない。

わがまま言って東京にでたもんだから愚痴なんて吐かないけど、親はきっと分かるんだ。たまに帰る大阪でとっても甘やかされた。

食品の仕送りをしてくれて、東京で大きなライブがあると遊びに来てくれるようになった。

その後アイドル業と並行して、大学を復学して東京から神戸の大学に通い、なんとか大学を卒業した後は、

両親は肩の荷が降りたらしく"初めて"お店を休むようになった。

それまで全く休んだ姿を見たことがなかった、それくらい毎日数十年間働いていた。

両親がずっと休みなく働いているのをみていた。少なくとも23年間。

かっこよかった。

弱音吐かずに働いた後は夜ご飯作ってくれて、学校行くのが嫌な私を毎日送り届けたり、不登校にならないように調節してくれたり。

働くの楽しいよ!口を揃えて私たち兄弟にそう伝えた。理不尽なことも大変なこともあったろうに愚痴も吐かずそう言っていた。

お父さん、お母さん、私は夢ができてたんだ。

ずっと弱気だった逃げてきた人生に

「日本武道館に立ちたい、だから東京にでて勝負したい。」

学校すらまともに1人で行けない子だったのに、そんな言葉をすぐに受け入れて応援してくれた。

集団生活なんてもちろん一人暮らしできるような子じゃなかった。だけどなぜか信じてずっと応援してれた。

もうちょっと落ち着きなさい、生き急ぎすぎ。

そんなことを言われて初めて気付いた。

うちの父と母はもっとすごいんだぞ。

色んな人にいろんなこと言われても、負けずに毎日ずっと行動して成功してたんだぞ。

きっと周りは落ち着きなさい、生き急ぎすぎだとこの夫婦にもいっただろう。

だけど今は娘がその遺伝子を受け継いで、

夢であった日本武道館に立つ。
それまでの苦悩はとてつもなかった。

だけど、

両親は全力で応援してくれてる。

不運なことに色々あって最後までビラ配りできなくなった時、お母さんにビラ配りを私の衣装で!なんてお願いを30秒でOKしてくれた。

お父さんは無限にチケットをファンの人に招待してくれるらしい。

毎日全力疾走が当たり前だった両親の子ですね、わたしは。

やれることは全部やる。

何を言われたって、何をされたって、

ずっと戦い続けるのみです。

数十年間、私を育ててくれた父と母にありがとうと伝える日でもあります。日本武道館にそんなパパとママにありがとうと言いたいです。

鈴木Mob.という娘は、とんでもない行動人間になってしまったよ。でもそれは仕方ないよね。

かっこいい父と母の背中をみてきてしまったので。

鈴木Mob.



仕事で出れなかった卒業式、後日両親が一緒に大学に行ってくれた

3/31武道館チケット
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