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「本気になれば稼げる」の、次の挑戦

今年の隠岐後鳥羽院和歌大賞の投稿を無事終えたことは、すでにご報告したとおりです。
また、昨年大会では漁火詠で入選し、今年10月の表彰式ツアーの参加権を頂きました。

有難いことに、読者の方々から
「10月の表彰式ツアーの参加費の目処はどうですか? 」
と気に懸けていただいたり、ご寄付を頂いたりすることもあります。

「はい! お陰さまで、あと○円です! 」
などと答えられると気持ちよいのですが……実際には週2勤務のアルバイトが7月・8月と閑散期ということもあり、なかなか、です。
せっかく頂いたご寄付も、まずは生活費のほうに回さざるを得ないことが多く、
ツアー参加費を貯める進捗を報告する記事のほうでも、達成率が上がったと思えばまた下がり、ともどかしい状態が続いています。

それでも
「応援しています」
「和歌さんには隠岐に行ってほしい」
というお気持ちはほんとうに有難く、

なんとか3度目のツアー参加を実現させ、付随する和歌の旅も充実させ、
その体験をレポートにしたりその後の和歌作品やエッセイなどに活かしたりして、お返ししたい、
と願っています。

(過去の旅のレポートはこちら


歌集を、出さなければ

最近よく思い出す出来事があります。
2019年から20年にかけてのことです。

がんで闘病中の同世代の歌友がいたのですが、
その容態が悪化した、
近くにいるほかの歌友たちが彼女の歌集を編もうと奔走している、
と知りました。

「私は、なぜ、明日もあさっても来年も10年後も確実に生きていられると想定して、生きているのだろう? 」
と気づくと同時に
「歌集を、出さなければ」
と思い立ちます。


そこからの経緯は、実際に私家版歌集を出版した際にも書きました

大賞を取れば歌集の出せる大会に、300首詠をまとめて応募した。
締め切りまで3ヶ月でしたが、力技で形にしました。
先の歌友の訃報はその最中に届きました。

その結果を待たず、賞金10万円のスピーチコンテストに応募。

その公正とは見えない結果を受け、
「いや、そんな色のついた歌集を出してしまっては、逆に後悔していたはずだ」と考え直し、
当時実家暮らしでしたが、短期間東京で出稼ぎすることにしました。


世界が私の歌集出版を後押ししないなら、
私が稼ぎ、私のお金で、誰にも文句を言わせない形で歌集を出してやるから。


私が、私のパトロンになる

スピーチコンテストの直後、盟友・吉田裕子さんに「数ヶ月、アトリエ(別宅)に住まわせていただけませんか? 」とお願いして快諾。
東京時代のガテンバイトの本社(現在のバイト先です)にも電話し、いつでも戻っておいでと言われ、すぐに片道航空券を予約しました。


裕子さんには住む場所を、
実家の祖母には米と野菜を、
その他、現在よりは少ない数ですが当時の読者の皆様からの応援を頂きつつ、

「しかし、それでは歌集は出せない。
 お金が必要なのだ。私が稼がなければ」

という感じでした。

たしか、当時はまだ寄付を募って生きる生き方にシフトしていなかったのだと思います。

「私が和歌をやるには、私が生活を支えないといけないんだ」

そんな感覚で生きていました。


そして、

もとの300首の歌稿をばっさばっさ切り捨て、推敲しながら、
またバイト先の年下の先輩方にいびられながら3ヶ月で必要金額を稼ぎ、

画家の親友に表紙の絵を描いていただく10万円をきっちり現金で渡して、
帰りの飛行機を取り、

「私でも、本気になれば稼げる」
「叶えたいことがあるなら、私が私のパトロンになればいいんだ」

という達成感とともに実家に戻ったのです。


つまり、

和歌をやっていて叶えたいことが出来たら、
和歌以外で働いてその資金を稼ぎ、自分の和歌活動を自分で支えればいいんだ。

そう、思ったのだと思う。


和歌に専心する選択

それからも、いろいろありました。

コロナを機に東京に出ることにし、
吉田裕子さんのアトリエ暮らしを経て、現在のアパートに引っ越し、一人暮らしを続けています。

4人家族の生活を寄付だけで回し、すべての仕事を無料でおこなっている吉田すぐるさんとの交流に、
私の生き方と通ずるものを感じ、私も寄付を募って生きるようになりました。
お金を稼ぐことに気を取られながら和歌をするのではなく、和歌に専心するほうが、限られたこの人生で世界に対して提供できる価値が大きい、
と確信したからです。
その生き方を進めるなかで、コテンラジオのクルー制度の思想にも共鳴し、先の確信を深めてゆきました。

そのシフトの最中には、生活のためというより楽しいからという理由で、アルバイトに入れるだけ入っていた時期もありました。
自分を認めてくれたボスの期待に応えたくて、また仕事自体が楽しくて、週6日入って、通勤時間に和歌・短歌仕事を回す生活……2年ぐらいで体を壊しました。
泣く泣く週2勤務に減らす決意をしたところ、前年の収入のせいでその年だけ住民税が跳ね上がり血反吐を吐くおもいをしたのも、良い思い出です(白目)

それでも、アルバイトをマックス週2に抑えた直後から、和歌仕事が増えました。
ご寄付の金額も頻度も少しずつ上がり、あたたかいご感想も以前に増して頂くようになりました。

「どうやら世界は、私が和歌以外の仕事をほぼ手放しても、生かしてくれるらしい。それどころか、それを望んでいるらしい」
という確信を強めながら、なんとかかんとか生活を回し、現在に至ります。


「本気になれば稼げる」の、先へ

10月のツアー代金になかなか到達しない、
目の前の生活のために、せっかく貯めたお金もどんどん消えてしまう、
という現状を前に、歌集を出したあのときのことを思い出します。

表彰式ツアーのために、一時的に現場を増やしたり、
短期的なアルバイトを掛け持ったりするのは、どうだろうか。
ほんとうに隠岐に行きたいなら、それがなにより優先すべきことなのなら、私はそれをしているはずなんじゃないか。

きっと、12万8千円プラスその他生活費を稼ぐことは、その気になればできる。
あのときも3ヶ月で、表紙代の10万円と印刷代と3ヶ月の(家賃以外の)生活費を稼ぐことはできたのだから。


ただ、

私は、もう一度、自分が自分のパトロンになることを望んでいるのだろうか。
「私が和歌をやるには、私が生活を支えないといけない」といまでも思っているのだろうか。そう信じ続けたいのだろうか。
なにがなんでも隠岐に行くことを最優先にしているのだろうか。


今回の気持ちは、「否」です。

私は、みんなの力で隠岐に行きたい。


これは、誰かに責任を求める話ではありません。
「助けてくれなかった」という恨みの話でもない。

その逆です。

26歳のとき、和歌に出会ってしまい、呼ばれるがままに夢中で取り組んで、ここまで来ました。
私が和歌を続けてきたからこそ、多くの方に出会い、支えられるという体験ができました。

お仕事や寄付という形だけではない。

記事を読んでくださること。
スキやコメントを下さること。
スペースやPodcastを聴いてくださること。

そうしたひとつひとつが、私の和歌の歩みを支えてくれています。


だからこそ、最近はこんなふうに考えるようになりました。

私ひとりが私の夢を支え、和歌以外の場所でお金を稼いで、夢を叶える。
少数の方がたくさんのお金を出して、私の和歌人生を成り立たせる。

そんな形でなくてもいいんじゃないか。
そうでない形が、いまならできるんじゃないか。

だって、歌集を出したときからもう5年、まったく違った生き方を私はもうしている。

寄付を募るということだって、最初は
「健康な社会人がそんな事を言うなんて、どう見られるだろう? 」
とビクビクする気持ちがありました。
いまでは堂々と
「私は和歌をやります。あなたは経済的に私を支えてください」
と日々言っています。


たくさんの方に少しずつ支えていただきながら、その期待を背負って、和歌を発信する。
和歌にゆかりの旅をする。
新しい学びを共有する。

ここにたくさんの方が関わるからこそ、循環の渦が大きくなる。
もちろん、そのなかには変わらず大きな金額で助けてくださる方もいる。
しかし、その善意に寄りかかる形ではなく、大勢でこの営みを成り立たせる。

そんな形の実現を、私は信じたい。


その象徴としての、和歌大賞表彰式ツアー代金、12万8千円。
(+送金手数料+生活費)


アルバイトを増やすという、過去に経験した確実なやり方の焼き直しではなく、
読者の皆様の善意や夢を背負って、このお金を集め、旅を実現したいんです。


期待を引き受けること

考えてみれば、誰かの期待を背負うということを嫌ってきた人生でした。

「私はそうするしかなくて和歌をやっているんだよ。なにかを背負うつもりはない。勝手な理想像を押し付けないでほしい」
「日本文化の保護? 和歌文化の理解促進?
 私はこの限られた人生でひたすら定家さんの和歌をめざしているだけなんですけど」
「影響されたいならどうぞ、されてください。勇気をもらった? それは良かったです。
 ただし、私に勝手な期待を押し付けないでくださいね。期待からの逆恨みは勘弁です」

ぐらい思っていた時期もあったかもしれない。


いまでも基本的には、言語化しがたいなにかに急き立てられやむにやまれずやっているだけで、
「なにかのために」和歌をやっているつもりは毛頭ありません。

ただ、

私のこの背中を見て、人がそれぞれ見たい夢を見たり、懸けたい期待を懸けたりするのは、ある程度自然なことなのかなと思う。
できれば、期待ではなく希望を懸けてほしいところだけど。

それらを引き受けて、お金を受け取って、隠岐に通ったり蓮華寺や常照皇寺に通ったりするここ数年、
「自分」という範囲が少し大きくなったように感じられるというか、なんというか、不思議な心地よさがあります。

「私ひとりでは、こんな生き方はできなかったな」
「私が稼ぐことを前提としていたら、こんな経験はできなかったな」
と、日々思う。

もとが期待を懸けられることを嫌うタイプなので、
ありもしない期待値を演出し、人からお金を巻き上げてポイ捨てするような商法には、どのみち無縁でしょう。
しかも私の心の師は光厳院なので、倫理的に考えてもその可能性はありません。
私自身安心して、自分を信頼して、皆様の夢や希望をこれまでより少し大きく引き受ける方向に舵を切れそうです。


この旅に、加わってほしい

和歌に向き合い、勉強し、詠むところは、ほかの誰にも替わってもらえません。
ただただ、私がするしかないし、します。しています。

しかし、私がそれに集中できる環境は、私ひとりで作ったものなんかじゃない。
大勢の方に支えられ、成り立たせてきました。
そして、これからも、私ひとりでやろうとする方向に決して誤らないよう、自分の心を見つめてゆきたい。


この文章を読んで「ちょっとおもしろそうだな」と思ってくださる方がいたら、とてもうれしいです。

そのお気持ちを、少し、形にしてほしい。
お金でも、言葉でも、スキやシェアでも。どんな形でも構いません。
あなたにも、この旅に参加していただけたら、たいへん心強く思います。

いつでもお待ちしております。


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この記事を書いた人

photo by ミカアンドロイド

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