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短編小説|悪意なき劇場


 俺の黒歴史を告白しよう。

 黒歴史と呼ぶには大仰かもしれない。大学生時代に、世界中を旅して周るYouTuberと知り合いになり、彼の撮影を手伝っていた。ただ、それだけのことだ。

 『落としものの財布は、どれほどの確率で持ち主に戻ってくるか』

 他愛のない検証動画である。しかし彼はその検証を各国で行い、そしてその動画の再生回数による稼ぎで旅資金を生み出していた。そして戻ってくる確率の最も高いのが、ここ日本なのである。

 amazingだと、彼は興奮した眼差しで語っていた。その彼が、どうしてその母娘おやこに目をつけたのか。その後起こり得るドラマを予期していたのなら、それは才能と呼ぶ他ない。


 ♦︎♦︎♦︎

 東の空に、月が浮かんでいた。温度を持たぬ、冷徹な銀色の光。 

 公園のベンチに座っている母娘の身なりは、貧しいことが窺い知れた。ほつれて穴の開いたセーターだけでは、この寒さを凌ぐには不十分だ。

 まさか、ホームレスなのか。帰る家はないのか。帰れない事情でもあるのか。年端もいかぬ幼女が手にしているのは、爪楊枝の刺さったパンだった。恐らくは、デパ地下の試食だ。

「ねえ、このパン、もっと食べたい……」

 それが叶わぬ願望だと、幼女は承知しているのだろう。どこか諦念を含んだ口調で、それでも尚母親に空腹を訴える。そして、その眼前に財布は落とされたのだ。

 通り過ぎていくYouTuberの彼。地面に落ちた財布を前に逡巡する母娘の姿を、俺の胸ポケットのカメラは残酷に映し出していた。

 まず財布に触れたのは、母親のほうだった。財布の中の現金を検めている。

 このお金があれば、今夜だけでも空腹を凌げる。温かい食事と寝床を娘に与えてやれる。罪を犯す事と、娘に与えることができるもの。心の中で天秤が激しく揺れ動いているのが想像できた。

 負けるな、負けるな、負けるな。俺は祈るような思いで、息を詰めて見守っていた。

「ママ、ダメだよ……‼︎」

 そのとき、幼女がひったくるように財布を取り上げた。胸元に抱き締めるようにして、おぼつかない足取りで駆け出す。そして、YouTuberの彼に財布を差し出したのだ。

 その動画は夥しい数の称賛の声が集まり、記録的な再生回数を叩き出した。幼女は意図せずして、演じさせられていた。財布を戻した瞬間に霧散した、断腸の思いで諦めた食事。飢え。渇望。

 彼女の口からほとばしった号泣が、夜の公園に響き渡る。公園は劇場となり、彼女はノーギャラの女優だった。月だけが観客なら、まだ救われたかもしれないのに。

 amazingか。何と美しい国か。

 貧困に喘ぐ人間を見せ物にするな。善と悪との狭間で葛藤する人間の心を、娯楽として消費するな。何がamazingだ。恥を知れ、この野郎。


 ♦︎♦︎♦︎

「でもさ、そのYouTubeの撮影手伝って稼いだお金の入った財布、落としちゃったんだよ」

 嘘でしょ、と会社の後輩は目を丸くする。

 場所は、名古屋発祥の某喫茶店だ。珈琲を注文すると、『モーニング』と称するサービスでトーストが付いてくる。

「後日、交番に届けられてたけどね。報労金として権利主張されて、20%持っていかれたよ」

「良かったですね。えー、でも、20%かあ」

 後輩は安堵の息をつく。そして何かを閃いたように顔を上げた。

「先輩、それ例の母娘の前に落としたんじゃないですか。あらかじめ財布に、権利を主張するようメモを仕込んでおいた。違いますか?」

 何のことだ?と、俺は苦笑する。

 そしてトーストにつけるべきは、卵ペーストかまたは小倉あんか。その平和な悩みに頭を委ねることのできる幸福を、ひたすら噛み締めていた。




【本文1498字】

 「どなたでも参加可能」とのことでしたので、こちらの企画に参加させていただきます。
 コッシーさま、みくまゆたんさま。楽しい企画をありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします!



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