創作大賞応募作品| 寧々 《第8話》
《第8話》 人は死すれば、ただの肉塊
『迷惑な自殺の方法』という順位が存在するとしたら、鉄道自殺というのはかなり上位になるのではないだろうか。いやもしかしたら、首位を争うかもしれない。
迷惑をかけた人間の数を計上するなら、およそ万単位にのぼるだろう。鉄道関係者、警察、消防。そしてもちろん乗客も含まれる。
人身事故における遅延は、長時間に及ぶ。遅延証明書の発行及びHPへの掲載、代替輸送機関の案内、切符の払い戻し。忘れてはならないのは、これらすべての『迷惑』は、遺族へと損害賠償請求されることである。
それでも、鉄道自殺を選ぶのか。
ならば、想像してみて欲しい。列車に轢かれた人間の肉体はどのような惨状になるのかを。原型をとどめていられるはずがないだろう。四肢は分断され、血液と臓器の破片が線路に撒き散らされる。
2039年、1月31日。それは起こった。
透哉の記憶は、錯乱気味である。
喧騒と錯綜。多忙に疲弊。緊急停止ボタンのけたたましく鳴り響く音。列車防護無線のアラーム。ブルーシートで覆われた線路の一角。ただいま、運転を見合わせております ── 繰り返し流されるアナウンス。
自分が監視していた3番線ではなかったのが、不幸中の幸いだった。転落した人の姿を目撃したわけではない。
ただ、疲れた。人に……。
警察と消防が到着するまでの現場保全。ホームに残る人々を追い出すだけの誘導と案内を担当していただけだ。
夥しい数のスマホのカメラ。人の死は娯楽か?遺体があるはずの空間に興奮して、カメラを向ける。その心情はどこから来る?
動画サイトで、生配信を始める猛者まで出現した。非日常を満喫する。人の死が身近ではないことは、きっと平和な証なのだろう。だったら、戦場となっている国にでも行ってこい。
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ゴーヤと、もずくの天麩羅。ジーマーミ豆腐。冬瓜のシリシリ。これは、冬瓜を千切りにして出汁とシークワーサーの果汁で和えたものだ。そして、泡盛。
駅近くの沖縄料理屋。店内に響く三線の音。どこか郷愁を感じさせる沖縄の民謡だ。
「このラフテーって、旨いよ。おすすめ。それとテビチとか。あと、このミミガーってのも」
沖縄料理に詳しくないと告げた透哉に、柊生はメニューを眺めながら自らのおすすめを挙げる。言葉の響きから料理の内容がまったく想像できない。メニューを確認して、透哉はテーブルに突っ伏したくなった。
「勘弁してくださいよ……」
ラフテーは、豚の角煮。テビチは豚足の煮付。ミミガーは豚の耳の珍味だった。
この人は、本当に性格が悪い。くくく、と柊生は揶揄するような笑みを浮かべている。
死臭らしき臭いと、線路に落ちていた人の肉片らしき物体。それを目撃したあとで、豚肉料理を口にしたいと思えるわけがない。気がつけば、注文した料理は緑色の色彩のものばかりだ。
「俺、子供の頃は運転士になりたかったんです」
自分の口から出た言葉に、透哉は戸惑う。感傷的になっているつもりはない。運転士になりたかった。それを柊生に告げてどうする?
だろうな、と頬杖をつきながら、柊生は納得した表情をする。
「だっておまえ、『隠れ鉄』だろ?」
違いますよ、と透哉は即座に否定する。
『隠れ鉄』とは言うまでもなく、隠れ鉄道オタクのことである。何故、隠れる必要があるのか。彼らは鉄道会社に敬遠される存在であるからだ。線路への不法侵入をはじめとして、ネガティブなイメージが浸透してしまっている。
「誤魔化さなくても大丈夫だって!誰にも言わないから!実際、社内に幾らでもいるって。採用時にバレなければ、『鉄』だからってクビにはできないからさ」
「乗り物に、憧れが強かっただけです。マニア的なものではないです」
断固として否定する透哉に、柊生は、はいはいとおざなりな相槌をうつ。
乗り物が好き。それは時代錯誤な表現になるが、少年的な嗜好だったように思う。幼少の頃に透哉が欲しがった玩具や絵本は、乗り物に関するものに占領されていた。
「速い」ものはカッコいい。「大きな」ものもカッコいい。「力の強い」ものも、やはりカッコいい。
少年は、乗り物の性能に明確な序列を見出す。そして、その鉄の塊を自らの手で操ることにこだわる。その全能感がもたらすのは、興奮であり自己肯定感であったりもする。
「けど……、小学生の時に家の近所の踏切で、轢死の現場に遭遇したことがあって。それで、運転士を目指すのは辞めました。なんか今日それを、まざまざと思い出してしまって……」
全能感をもたらす鉄の塊。極限まで性能を極めたそれは、いとも容易く人間を切り刻むのだ。自分の操縦する鉄の塊が凶器と化してはじめて、人は戦慄する。
「ああ、ガキの頃にアレを見ちゃったわけね」
目撃しただけだ。轢いてしまった本人である柊生とは、衝撃の度合いが違う。だから自分で、言いたいことの本質が把握できない。もしかしたら感傷的になっているのかもしれない。
「今からその恐怖心を克服して運転士を目指せって言っても、もう遅いんだろうな」
「遅いでしょうね。無人運転の導入のほうが早いでしょう。既に導入されてる区間もありますし」
いずれ鉄道だけではなく、すべての交通機関の運転は無人化される。少年の夢のリストからは、運転士の名は削除される。機械化は人々から夢も希望も、そして絶望をも奪っていく。
「俺は逆に、鉄道にまったく興味なしで入社してるから。鉄くんたちの気持ちもまったく理解できなくてさ」
柊生は、傍らに置かれた透哉のスマホを指差して、『挽肉、駅員、検索』と指示を出す。その単語で検索しろと言いたいらしい。
「…… これ、柊生さんのことですか?」
画面に現れた文面を一読して、絶句した。
明らかに炎上した痕跡がある。会社名も実名も晒されてしまっている。無関係であるはずのネットの住人に糾弾されている駅員のその言動とは。
── あんた、子供が挽肉になるのを見たいのか。
「よりによって列車侵入時に、そのクソ親がさ、ホームドアの上に子供を乗せやがって。列車がよく見えるようにって。だったら肩車でもすればいいだろ ⁉︎ で、かなりの剣幕で俺が詰め寄って、この展開……」
透哉は、思わず呻き声をあげたくなる。
そんなことをすれば、ホームドアの意味がない。なんの為に設置されているのか、理解できないのか。どれほど口酸っぱく黄色い線の内側を歩けと注意喚起しても、平気で列車に接近する乗客が後を絶たないからだ。
「まあ、あとはお察しのとおり、会社から厳重注意の処分くらって。で、そのときに『挽肉はないだろう』って言われたから、『細切れ肉の間違いでした。言葉に正確を期すべきでした』なーんて言っちゃったから、それ以来つまはじきものよ、俺 ……」
常日頃より柊生は、歯に衣着せずにものを言う。そしてその言動は必ずしも好まれるとは限らない。特に管理職からは。彼が疎まれているとは薄々感じていたが、筋金入りだった。
── 人は死んでも挽肉にはならない。
── 人間の尊厳を考えて。
── 挽肉駅員、元運転士。事故を起こして実際に人間を挽肉にしていた。
ネット上に踊る文面。なにを、偉そうに。人は死ねば、ただの肉塊となる。そういう意味では人も豚も大差ない。栄養が豊富な分だけ、豚のほうがマシかもしれない。
「なあ、ソーキそば食わねえ?俺も食うからさ。あっさりしていて、旨いよ」
嫌な予感がしなかったわけではない。あっさりしている、という言葉に騙された。卓上に運ばれてきたどんぶりの中の麺は、蕎麦というよりはラーメンに似ていた。そして、ソーキとはスペアリブのことだった……。
今度こそテーブルに突っ伏した透哉の横で、柊生が爆笑している。
麺も出汁の効いたスープも旨かった。豚肉の塊を横に押しのけている透哉を、柊生は咎める。肉も食えよ、と。
負けるな。克服しろ。彼なりの悪趣味な激励なのかもしれない。思い切って口に含んでみると、驚くほど柔らかくてホロホロと口の中で溶けていった。
「この店、泡盛の度数の強いやつも置いてるんだけど、試してみる?」
頂きます、と今度は臆することなく頷く。
仕事の苦悩は、酒でしか癒されない。飲めない人は、甘いもので。だから社会は、アルコール中毒と糖尿病患者で溢れている。
慣れない泡盛に酩酊した意識のなかで、踏切の残像が浮かんだ。下降したまま、上がることのない踏切。集まってきた群衆。転がっている遺体が誰かを推測する声。
── ピアノ教室の隣の家の親子じゃない?
封印されていた記憶の扉が開いて、透哉の脳内で谺した。
