見出し画像

浮かんだ問いは渡さない―根っこからの景色⑪

問いが浮かんだことと
その問いを相手に渡すことは
同じじゃなかった。

誰かの話を聞いていると

「ほんまは
どうしたいんやろう?」

「何がいちばん
しんどいんやろう?」

そんな問いが
わたしの中に
浮かぶことがある。

問いをきっかけに
絡まっていたものが
少しほどけたり

自分でも氣づかなかった
気持ちに出逢ったりする。

だからわたしは
問いが好きなんやと思う。

でも

浮かんだ問いを
いつも相手に渡すわけではない。

ただ話したいときもある。

「わかるよ」と
言ってもらうことで

少し楽になれる
時間もある。

答えなんて
探したくない日もあるし

自分の内側を
見つめるより

ただ誰かに
聞いてほしい日もある。

そんなとき

わたしの中では
問いが光っていても

そっと
そのままにしておく。

問いを置くことが
いつでも正解では
ないと思うから。

わたしには
わたしの問ノ森があって

問ノ森へやってきた人には
その人の問いの森がある。

見えている景色も
歩いている場所も

問いに触れたい温度も
きっと違う。

だから最近は

問いを置く前に
わたし自身にも
問いが返ってくる。

「これは
誰のための問い?」

「何のために
置こうとしてる?」

相手に氣づいてほしいから?

わたしの見えている景色へ
連れていきたいから?

この方がいいと
どこかで思っているから?

問いは時々

相手のための顔をして
わたしの都合を
連れてくることもある。

だから

問いを置く。

問いを渡す。

一緒に眺める。

ただ話を聞く。

何もせず
見守る。

そっと
その場を離れる。

どれかひとつが
正しいんじゃなくて

その人が今
どこを巡っているのかで
変わっていく。

そして
もうひとつ。

問いは

誰かを
動かすためにあるんじゃない。

問いに向き合い
自分に向き合い

考えて
決めて

動くのも
動かないのも

その人自身だから。

わたしにできるのは

その人の代わりに
答えを出すことでも

その人の人生を
動かすことでもなくて

自分の気持ちや
感情や本音を

置き去りにせず
聴けるような

小さな余白を
置くことなのかもしれない。

そしてそれは

誰かに問いを置く
わたし自身も同じ。

「わたしは
どう感じてる?」

「ほんまは
どうしたい?」

自分の声を
置き去りにしない。

問いを大切にしているからこそ

問いを
万能にはしたくない。

生まれた問いは
余白を経て置かれるから。

いつか
その問いが置かれる時まで
問いは
そのためだけに待っている🌱

今日も
問いが光った🌳✨

┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.·
問ノ森には

小さな案内所が
あります🌳

LINEでは
毎月はじめに
限定コラムや
問いを添えて

森のお便りを
お届けしています🎁

LINE公式に
登録してくださっている方には
問ノ森への入り口も
ご案内しています🌱

ぴょこんと
気になる景色が
芽吹いた時にでも🌳


#ねっこを灯すひと
#根っこからの景色
#問ノ森
#問いを持つ
#自分と向き合う
#自分の声を聴く
#人との距離感
#心の余白

いいなと思ったら応援しよう!