第2章14話 世界が揺れた日




マデラスの夜が深くなっていった頃、
地球では、これまでとは違う一日が始まっていた。
各国政府が一斉に緊急声明を出したのは、その日の朝のことだった。
各局テレビは、一斉にこう報じた。
「新型の強力な感染症が確認されました。アフリカ諸国での急速な拡大を受け、本日より世界的な渡航制限が出されました。また、日本国内でも警戒令を発動し、人々の移動が制限されます」

テレビ画面の中では、各国の首脳たちが深刻な表情で現状を語っている映像が流れていた。
アフリカからの渡航禁止。
国際便の大幅制限。
国内便も同様。
そして、外出制限令。
表向きはそのようなものだった。
しかし、実態は違っていた。
ベーシックインカムに紐付いた信用スコア制度への反発が、全世界、全国規模のデモへと発展していた。
こんな制度おかしい!
政府に不満を持つ国民達の声は、日に日に激しさを増していた。
最初は小規模だった。
しかしそれはどんどんとエスカレートしていき、その規模はやがて、支配層たちが黙って見ていられないところにまでになっていった。

支配層達は焦っていた。
人々を黙らせるにはあの手しかない。
以前のコロナウイルスの蔓延時に発令されたロックダウンの悪夢が、再び繰り返された。
街には監視ドローンが飛び交い、警備サイボーグたちが重装備の護身用武器を身に纏い、繰り出していった。

整然としていた街が、静かに、しかし確実に牙を剥き始めていった。
その頃、優弥は地下にいた。
信用スコアは、80。

原因は明白だった。
立花親子の一件により、立花側から強制的な個人制裁を受けていたからだ。
スコアが80ともなると、翌月の給付は即停止となる。
収入はゼロが確定する。
その事実を知った真奈との言い合いは、激しかった。
「いったい何をしたの?理由を説明して」
「俺にも何故こんなことが起きてるのかわからないんだ…」

「優弥、私には嘘はつかないで!あの時からおかしいと思ってたの。ボランティア活動しても一向に上がらないスコア。いや、逆に日に日に落ちていくスコアに私、疑問を持っていた」
真奈の声には責めるよりも、事実を確認しようとする冷静さがあった。
それがかえって、優弥には辛かった。
言えなかった。
玲に対する気持ちのことは、もちろん。
しかし何より、立花親子の死に関わること。
サラとユラのこと。
ヴェルトラクシスとマデラスのことは、どれだけ言葉を尽くしても、信じてもらえないのは目に見えていた。
言い合いが続いた末、優弥は家を出た。
それは、真奈と愛に対する優弥なりの唯一のけじめだった。
自分がいることで、家族の生活まで壊したくなかった。
真奈と愛のベーシックインカムの給付額は合計で月額、三十万円。
ローンの支払いや様々な出費があったとしても、二人ならなんとかギリギリ食べていける。
そこに無収入の自分がいては、重荷になるのは考えるまでもなかった。
勿論、真奈と愛に対する愛情が減った訳ではなかった。
ただ、今はそうすることがベストな選択だと、そう思った。
優弥が向かったのは、地下の施設だった。
信用スコアを切られ、生活ができなくなった者たちが集まる場所。
そこでは、地上での生活から逃げ出してきた者たちが肩を寄せ合いながら暮らしていた。
食べ物は、皆でぶつぶつ交換をして回し合っていた。
地上からの支援者たちの差し入れや、ボランティア活動のおかげで、最低限の生活をするには何とか足りていた。

しかし、それは最低限の話だった。
これまでの優弥には、想像すらできない生活だった。
地下にいる者たちは、皆、政府のやり方に強い不満を持っていた。
普通の人々にはそこまで見えていないだろうが、サラとユラに地球の支配の仕組みを聞かされていた優弥には、この状況の根深さが分かった。
しかし、どうすることもできないもどかしさと苦しさが、胸の奥に重く沈んでいた。
そこに、ロックダウンが始まった。
これまでは何とか地上との連絡が取れていたものが、外出制限によって断ち切られていった。
地下にいる者たちの声が、日を追うごとに尖っていった。
「政府は、俺たちを人間とは思っていないんだ」
「奴らは俺たちが生きようと死のうと、何とも思っちゃいない」
「だったらもう、自分たちから仕掛けるしかない」

その言葉が、地下の空気に広がっていくのを優弥は感じていた。
止められなかった。
実際に数日後、それは起きた。
地下の人々が地上に出て、商業施設を襲撃した。
物資を奪い、最後は火を放ち、逃走した。
事件は大きく取り上げられた。
街中の警備体制が一気に強化された。
監視ドローンの数が増え、警備サイボーグが主要な通りに立ち並んだ。

地下の施設も、いつまで同じ場所にいられるか分からなくなっていった。
優弥は覚悟を決めた。
ある夜、優弥は一人でそこを抜け出した。
人目を盗み、監視ドローンの死角を縫いながら、夜の街を走った。
携帯電話は止められていた。
誰に助けを求めればいいのか——。
思い浮かんだのは、梶原の顔だった。
最近、一番よく話していた人間。
あの蒼都交通の制服を、静かに畳んで押し入れにしまった男。
優弥は、梶原の家のチャイムを鳴らした。
深夜だった。
しばらくして、梶原が扉を開けた。

優弥の顔を見た瞬間、何も聞かずに中へ招き入れた。
「ど、どうしたんだこんな時間に…」
温かかった。
優弥は、梶原に全てを話した。
玲のこと。
立花親子のこと。
サラとユラのこと。
ヴェルトラクシス。
マデラス。
ソロンの計画のこと。
話しながら、優弥自身も、自分がどれだけ荒唐無稽な話をしているかは分かっていた。

しかし、梶原は黙って最後まで聞いた。
そして、こう言った。
「こんな話を信じろというのは、普通だったらまず無理な話しだよ。でも、俺は信じるよ」
「……梶原さん」
「俺は君のことを長く見てきた。君が嘘をつくような人間じゃないのは分かってるからな」
梶原は静かに続けた。
「で、玲ちゃんはこれからどうなるんだろう?」
優弥は、どこまで話していいかを迷った。
しかし、梶原の目を見て、全てを話すことにした。
翌朝のことだった。
梶原の家に突然、複数の人間が現れた。
政府の人間だった。

優弥は拘束された。
梶原も、かくまったことと、話を知ってしまったことで一緒に連行された。
連れて行かれたのは、どこかの施設だった。
前回の立花の父親から受けたような酷い扱いではなかった。
しかし、それは、優弥から情報を引き出すためのものだった。
しかし、何故にもこんなに早く、政府の人間が二人の話を嗅ぎつけたのか。
それは、二人は知るよしもなかったが、梶原の持っているスマートフォンから全ての情報が漏れていたからだった。

尋問は静かに、しかし確実に行われた。
「知っていることを全て話すように」
逃げることはできなかった。

真奈と愛のことまで、全てをお見通しの彼らには、黙って言うことを聞くしかなかった。
優弥は知っていることを全て話した。
ソロンのこと。
マザーの再起動計画のこと。
玲がマデラスにいること。
言葉を発するたびに、胸の奥が痛んだ。
しかし、止められなかった。
それを機に、世界が動いた。
マザーの本体が存在する施設。
かつてソロンが構築し、今や世界のASIネットワークの核となっているその場所が、完全な軍事警備下に置かれた。
各国の精鋭部隊が集結し始めた。
ASIによって制御される次世代型の防衛システムが展開された。
同時に、世界中の都市に緊張感が漂い始めた。
人々は、何かが起こり始めていることを感じていた。
しかし、何が起きているのかは誰にも分からなかった。
そして、支配者たちは、ついにこれまで長年に渡って隠してきた秘密のテクノロジー、最強兵器、
地球製のUFOまでもを上空に配置した。

鉄壁の守備体制が、静かに、しかし確実に築かれていった。
まるで、何かの来訪を待ち受けているかのように。
街は静かだった。
しかし、その静けさの底では世界が大きく軋んでいた。
世界が警戒態勢に入った頃。
マデラスでは、ソロンが静かに動いていた。
地球の異変をソロンは敏感に察知していた。
MOTHERを守る鉄壁の守備体制が築かれていることを、マデラスのテクノロジーが捉えていた。
「バレた——」
ソロンは低く呟いた。

しかし、どうして?
誰が、何を、どこまで話したのか。
ソロンは考えながら、すぐに行動に移った。
マデラスのテクノロジーが生み出した、
「オーブ(光の玉)」を、ポータルを使ってMOTHER本部へと送り込んだ。

オーブは、地球の技術力では検知することのできない存在だった。
静かに、音もなく、MOTHER本部の内部へと侵入したオーブは、その内部を克明に観測し、映像をソロンへと送り返してきた。
ソロンはその映像を見た。
目を細めた。
監禁室の中に、二人の人間がいた。

渋谷優弥。
そして、梶原。
「……そういうことだったのか」
全てが繋がった。
ソロンは静かに立ち上がった。
そして、地球の大型電波塔へ向けて映像を送った。

その映像は、世界政府アルコンの最高幹部たちのもとへと届いた。
アルコンの最高幹部たちは、緊急会議を開いた。

映像の中のソロンは、落ち着いた表情でこう言った。
「私はドクター・ソロン。まぁ、あえて名乗る必要もないとは思うが」
一呼吸置いた。
「君たちの行動は全て把握している」
「無駄な抵抗はやめておけ。今の君たちの技術力では、私たちに勝てる見込みは1%もない」
「それは、ネクシウムたちが地球を去ったことを考えれば理解できるだろう?」

ソロンは続けた。
「アルコン最高指導者、ベンジャミン」
名指しだった。
「繰り返す。無駄な抵抗はやめ、速やかに人質を解放せよ」
「さもなければ、君たちは地上から排除されることになるだろう」
「猶予は今から三日間。その間に全ての武装解除を行い、平和的な会議ができる準備を進めておいてくれ」
「私からの伝言は、以上だ」
ソロンは最後に、ほんのわずかにニヤッと笑った。

そして、映像は切れた。
その映像を見終わったあと、アルコンの幹部たちは激昂した。
「この、おいぼれが、ぬかしやがって!!」
「ソロン、来るなら来てみろ!!」
「我らの全ての総力をあげて、迎え撃ってくれるわ!!!」
しかし、怒鳴り声が収まった後の会議室には、重い空気が漂っていた。
誰もが分かっていたからだ。
ネクシウムたちが地球の支配を始めてから、数千年にわたって続いてきた統治の構造を受け継いだ自分たちにとって、これが、最大の試練の時であることを。
しかも、助けてくれるはずのネクシウムはもういない。
未知なるマデラスのテクノロジーに対して、誰もが内心、恐怖を感じていた。
それは、どれだけ強がりの言葉を並べても、消えることのない本物の恐怖だった。
第2章14話 完。


本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・企業・製品名等は架空のものであり、実在する人物・団体・企業・製品とは一切関係ありません。
また、作中に登場するAI・ロボット技術および社会情勢の描写は、著者の想像に基づくものであり、実際の技術動向や将来予測を示すものではありません。


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