第2章12話 愛してると言えた日



ルフルの洞窟を出ると、ヴェルトラクシスの空が広がっていた。
優弥は自分の手を見た。
痣が消えていた。
脇腹を押してみた。
痛みがなくなっていた。
「嘘みたいだ、本当に全部治ってる…」
優弥はそう呟き、玲を見た。
「よかったー」
玲は目を細め、そう言い、嬉しそうに笑った。
しばらく歩いたところで、ユラが足を止めた。
「優弥、あなたにハッキリと言わなければならないことがあるの」

穏やかな声だったが、その言葉の前には少しの間があった。
「ごめんなさい。あなたはマデラスには、一緒には連れて行けないの」
優弥は静かに頷いた。
「うん、そうだと思ってたよ…」
玲はその言葉を聞きながら、視線を地面に落とした。
分かってはいた。
でも、分かっていてもやっぱり残念だった。
その様子を見ていたサラが、ふっと微笑んだ。
「玲って、本当に優弥のことが好きなのね」
玲の顔が一瞬で赤くなった。

ユラも柔らかく笑った。
「なんか、こっちまで切なくなってくるわ」
「な、なんですか…」
「かわいいわね」
「もう、なに、二人とも——!」
玲は両手で顔を覆った。
サラとユラは、顔を見合わせてくすくすと笑った。
ユラが続けてこう言った。
「ねぇ、玲。一つ聞いてもいいかしら」
「な、なんですか……」
まだ顔が赤いまま、玲は答えた。
「あなたたち地球では、結婚というカタチをとることによって、その後はその相手とずっと一緒にいなければならないんだってね」
玲は、少し落ち着きを取り戻しながら答えた。

「えぇ。だって、結婚って、そういう誓いを立てて一緒になることだから」
ユラは、少し意味深な表情でこう言った。
「でもね、そのシステムを作ったのが、さっき話した、この世界を動かしてきた人たちだったと知ったら地球人の多くはどう思うかしらね」
玲は思わず顔を上げた。
「ユラ、それはどういうことですか?」
ユラは少し間を置いてから、静かに言った。
「これは、結婚というシステムを神聖なものだと思っている玲たちにとっては、嫌な話に聞こえてしまうかもしれないけれど」
「いや、大丈夫。聞きたいです…」
玲はまっすぐそう言った。
ユラは頷いた。
「あのね、基本的に、全ての生命体は時の流れと共に、まとっているエネルギーが変わっていくものなの。全てが常に絶えず変化している」
「……時の流れと共に、まとっているエネルギーが変わっていく…?」
「えぇ、きっと玲にも心当たりがあると思うけどね。 例えば以前はとても仲の良かった人が、少し時間が経つと、全く以前のようには付き合えなくなった。合わなくなったということはない?」
玲はゆっくりと頷いた。
「あれはね、お互いに特別な仲たがいがあったわけじゃなくてもそうなる時がある。それは、自然界では当たり前のことなの。全ての生命体のエネルギーは、常に流れ動いているから」

「じゃあ……さっきユラが言っていた、結婚というシステムは…?」
「それを固定化させるために、意図的に作られた仕組み」
ユラは静かに言った。
「支配者たちが最も安心できる社会の形というのはね、家族という単位が形成されることなのよ。男性は家長となり、女性が支え、子供が生まれ、育てる責任を負う。そうなると、社会の歯車の循環から外れることは、なかなかできなくなるでしょう?」

玲は黙って聞いていた。
「きちんと働く。きちんと納税する。きちんと社会の一員となる。マイホームを所有し、ずっとその支払いをして、老後になってやっとほっとできる。そうやって生きることが正しくて当たり前だという思想を植え付けたのは、間違いなく、あなたたちの世界を動かしてきた支配者たちよ」
ユラはそこで一度、言葉を切った。
「まぁ、この話を信じるかどうかは、玲次第だけれど」
「……」
玲はしばらく何も言えなかった。
ユラが、くすりと笑いながら言った。
「好きなら好きって思っていい。愛してるなら愛してるって伝えればいい。それって、私たちにとっては至って普通のことなのよね。結婚してる人は好きになっちゃいけない。愛してはいけない。これは冗談抜きで、地球人以外で、そんなにまどろっこしいことをやっている人たちは、他のどの惑星を探してもいないわ」
「えぇーっ、そ、そうなんですかー? じゃあ、わたしは、わたしはどうすればいいんですか?」
玲が尋ねると、ユラは穏やかにこう答えた。
「いま、言ったでしょう? 愛しているなら愛していると伝えて分かち合えばいい。私が伝えたかったのは、ただそれだけよ」
玲はその言葉を聞きながら、優弥の顔を思い浮かべた。
「ユラ、もっとその話の深い部分を聞かせてほしいです!」
玲がそう言うと、二人は同時に笑った。
「それも今度、ここにいる元地球人に聞けばいいわ!」
「……えぇーっ、また今度って言うんですね…」
玲は少し唇を尖らせたが、今ユラに言われた言葉が頭から離れなかった。
レーベのもとへ戻り、四人は再び乗り込んだ。
今度はゆっくりと空のドライブをした。
ヴェルトラクシスの大地が眼下に広がっていた。

玲は窓の外を眺めながら、ふと気がついた。
「そう言えば、サラ、ユラ、今、二人は操縦していませんよね?」
二人は手を膝の上に乗せたまま、ゆったりと座っていた。
「これって、自動運転みたいなものですか?」
その瞬間だった。
レーベが、口を開いた。
「ワタシは、知能を持つ知性体」
玲は思わず飛び上がった。
「し、喋った……!」
「今は、サラとユラの頭脳と同期して動いています」
「同期して動いている…?」
「全ては波長(周波数)として受け取っています。言葉ではなく、意図そのものを受信しているのです」
レーベの言葉に、ユラが補足をした。
「そうなのよ、玲。私たちが龍と会話する時も、カマキリ星人と会話する時も言葉は使わないでしょう?ヴェルトラクシスでは、基本は誰もがエネルギーでコミュニケーションをとってるの」

ユラが意味深に、微笑みながらこう言った。
「言葉での会話というのは、地球独特のやり方よね」
玲はその言葉を聞きながら、これまでの全てが少しずつ繋がっていくような感覚を覚えた。
レーベが、ある場所に着陸した。
そこには、今まで見た中で最大の、青く光るポータルがあった。

サラとユラが優弥の前に立った。
「優弥、ここでお別れね」
「ポータルの先は、あなたが頭に思い描いた場所に開くわ。家を思い浮かべれば家の近くに出る。まずは家に帰って、ゆっくり休んでね」
優弥は頷いた。
「……分かった。本当にいろいろとありがとう」
玲は、優弥の横顔を見ていた。
必ずまた会える。
そう分かっていても、今ここで別れることが、どうしようもなく寂しかった。
玲は一歩踏み出した。
そのまま、優弥に抱きついた。
ぎゅっと、強く。
優弥も玲を強く抱きしめ返した。

しばらく、二人とも何も言わなかった。
サラとユラは静かにそこに立っていた。
やがて、玲が小さな声で言った。
「好き」
一拍置いて。
「愛してます…」

それ以上は何も言わなかった。
ただ、優弥に顔を埋めた。
優弥は玲を抱きしめたまま、静かにこう言った。
「約束して」
「必ず無事に帰ってきて。必ずだよ」
「俺も、玲ちゃんのこと愛してる」
お互いがお互いの目を、しばらく見つめた。

言葉はいらなかった。
ただ、その瞳の中に全てがあった。
二人は、ゆっくりと離れた。
優弥はポータルの方へと歩き出した。
そして、最後に振り返った。
玲を見た。
サラとユラを見た。
少しだけ、笑った。
そのまま、ポータルの奥へと入っていった。

やがて、優弥の姿は青白い光の中へ消えていった。

「…行っちゃった…」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
サラが玲の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫。必ず、また会えるわ」
玲は頷いた。
目が少し潤んでいた。
「……うん」
「さぁ、玲」
サラの声が明るくなった。
「私たちはマデラスへ向かうわよ!」
玲は目元を拭うと、顔を上げた。
「……行きます」
三人はポータルへと踏み込んだ。
次の瞬間、目の前に広がったのは黄金に輝く世界だった。

ヴェルトラクシスとはまた違う。
大気そのものが、柔らかな金色の光を帯びていた。
空の色が深い琥珀色をしていた。
地面には見たことのない植物が広がり、その葉の一枚一枚が光を放っていた。
「ここが……マデラス」
玲は思わず声を漏らした。
その時だった。
どこからともなく、それはやってきた。
大きな絨毯だった。

幾何学模様の織られた、厚みのある絨毯が空中をふわりと漂いながら三人の前に静止した。
その絨毯には、猫のような存在が乗っていた。
「えっ…、」
玲は固まった。
サラとユラは当然のようにそれに乗り込んだ。
「玲も乗って!」
サラが手招きした。
「これ……なんですか? 魔法の絨毯……?」
「どお?気に入った?」
玲は恐る恐る、絨毯の上に足を踏み出した。
ふわりとした感触があった。
絨毯が静かに上昇した。
猫のような姿をした異星人が、手に持った棒のようなものを傾けた。
「あの人が……操縦してるの?」
玲が小声でサラに聞くと、サラは微笑んだ。
「えぇ。マデラスでは、移動にはレーベではなくこれを使うのよ」
「カマキリ星人の次は猫の宇宙人? アハハハ、もう、いろいろと意味がわからないすぎる……」
玲はそう言いながらも、絨毯から見えるマデラスの景色に目を奪われていた。
黄金の光に満ちた大地。
空中に浮かぶ巨大な建造物。
幻想的で美しく、どこか懐かしい感じがした。

数分後、絨毯はある建物の前に降り立った。
そこは、黄金色に輝く研究施設のようなところだった。
ヴェルトラクシスの建物とも、地球の建物とも違う。
有機的な曲線と、光を纏った素材でできた大きな建物だった。

入口の前に一人の男が立っていた。
白髪の髪。
深い皺の刻まれた顔。
しかしその目は鋭く、そして温かかった。
「玲、よく来てくれた」
ドクター・ソロンだった。
ホログラム越しではなく、目の前に本物のソロンがいた。
「ドクター・ソロン……」
「長旅だったね。まずはゆっくりしてほしい」
そう言うと、ソロンは玲を施設の外のテーブルへと案内した。
白く輝くテーブルと椅子。
空にはマデラスの琥珀色の空が広がっていた。
テーブルの中央には、小型の箱のような装置が置かれていた。
三人が席につくと、ソロンが玲に向かってこう言った。
「玲は、お腹は空いていないかな?」
「あっ……実は、かなり空いてます…」
「そうか。じゃあ、何か食べたいものはあるかな? なんでも好きなものを言ってごらん」

「なんでも……?」
玲は首をかしげた。
「あぁ、地球の食べ物でもなんでもいいよ。すぐに用意できるから」
玲はしばらく考えてから、遠慮がちにこう言った。
「じゃあ……何でもいいなら、パスタが食べたいです」
「味は?どんなやつがいい?」
「うーん、じゃあ、ナポリタンで!」
「わかった、ナポリタンだね」
ソロンは頷き、テーブルの上に置いてある箱に向かって何かを語りかけた。
言葉ではなかった。
それは、周波数のようなものだった。
玲にはそれが何かは分からなかったが、ソロンが何かを伝えると、箱のような機械が小さな音を立てて起動した。
じわりとした光が、箱の内部に満ちていった。
三十秒ほどでそれは止まった。
ソロンが箱の外側のガラスパネルを開けた。
その中には、湯気の立つナポリタンのパスタがあった。

「う、嘘……」
玲は思わず立ち上がった。
「本物のナポリタンのパスタが……!どうして!?」
ソロン、サラ、ユラが三人同時に笑った。
「まぁ、とりあえずはいいから食べなさい」
玲は恐る恐るフォークを取り、一口食べた。

「何コレ、めちゃくちゃ美味しいです」
もう一口食べた。
「本当に地球のナポリタンと同じ味……!でも、どうして箱の中から……全く意味がわからない…」
ソロンが穏やかに説明した。
「この装置の名前はトラウムというんだ。この中には百五十八種類の原子が組み込まれていて、その配列を組み合わせることで、どんなものでも生成できるんだよ」
「百五十八……?」
「あぁ、現在、地球で発見されている原子の数はオガネソンまでの百十八種類だね。しかしマデラスでは百五十八種類が確認されている。トラウムには、その全ての配列が組み込まれていて、希望するものをどんなものでも再現できる」
玲はパスタを食べながら、呆然とソロンを見つめた。
「……アハハハ、もう全く意味がわかりません…」
「まぁ、そうだろうね」
ソロンは笑った。
「でも、どうだい? 味はなかなか美味しいだろう?」
「……いや、めちゃくちゃ美味しいです」
その後、ソロンが語る話はそのどれもが楽しいものだった。
「お腹いっぱいにもなったし、今、なんかめちゃくちゃ楽しいです…」
サラが、ふとこう言った。
「良かった。玲の楽しそうな顔を見れて嬉しいわ。ここのところ、ずっといろいろと大変なことあったからね…」
ユラも続けてこう言った。
「そうそう、今では私たちは玲のことが大好きだから。本当に、玲の楽しそうな顔を見ると癒されるわ」
そこに、ソロンが付け加えるようにこう言った。
「いやぁ、私も玲がこんなに美しくてかわいい子だとはびっくりだよ。サラもユラも美しいし、美しい女性三人に囲まれるのは楽しいよ」
サラが、それに対してこう返した。
「ダメよ、ソロン。玲には好きな人いるんだから、狙っちゃ」
ソロンは、それを聞いて大笑いした。
四人の笑い声がマデラスの空に溶けていった。

しばらくしてソロンが言った。
「今日はゆっくりしなさい。サラとユラと一緒に使える部屋も用意してある」
「ありがとうございます」
「私は明日は予定があるから、明後日の朝から研究室を案内して、今後の流れを話すことにするよ。今日、明日はサラとユラに案内してもらって、マデラスを探索でもして楽しんできなさい」
玲は、テーブルの上のトラウムを見た。
空を見上げた。
ここはマデラス。
地球でもヴェルトラクシスでもない。
何もかもが未知だった。
しかし、不思議と怖くはなかった。
むしろ、胸の奥に静かな高揚感があった。
優弥に言えた言葉が、まだ胸の中で温かく残っていた。
愛してる、と。
言えた。
それだけで、十分に幸せだった。

第2章12話 完。

本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・企業・製品名等は架空のものであり、実在する人物・団体・企業・製品とは一切関係ありません。
また、作中に登場するAI・ロボット技術および社会情勢の描写は、著者の想像に基づくものであり、実際の技術動向や将来予測を示すものではありません。



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