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オマール・シーが変えたフランス映画──『最強のふたり』『ルパン』が描く“黒人として生きる”リアル

2018年夏に行われた「Gaumont 映画誕生と共に歩んできた歴史」展は素晴らしかった。

カラーポスターの皆が皆素晴らしく。
モノクロ映画であっても、ポスターだけは鮮やかな色彩で、観客をため息まじりに立ち止まらせた時代が瞼の裏に浮かんでくるような光景。
「映画がまだ夢だった時代」、その夢を視覚化していた、宣伝美術家たちの仕事ぶりがよくうかがえた。


そんなフランス映画黄金期から離れて、一つ立脚しているのがフランス映画『最強のふたり』(Intouchables, 2011)だ。
老舗ガーモン(Gaumont)製作作品の中でも歴代上位の興行収入を記録し、日本でもテレビ放送を通じて、現在最も一般に知られるフランス映画となった。

主演のオマール・シーは、この一作で一躍国際的スターへと躍り出る。彼が演じるのは、パリ郊外の移民地区で育った黒人青年ドリス――社会的にも文化的にも“外側”に生きる男が、障害を抱えた大富豪と出会い、対等な友情を築いていく姿を、ユーモアと人間味で描き出した。

この“外側から中心を動かす”構図は、Netflixドラマ『ルパン』にも連なる。
オマール・シーがここで演じるのは、父の冤罪を晴らすため、モーリス・ルブラン原作の怪盗アルセーヌ・ルパンに影響を受けた黒人青年アサン・ディオプ。知性と変装、そして社会への抵抗を武器に、フランスの階級構造と人種差別を逆転させていく。

両作を通して浮かび上がるのは、「黒人としてフランスに生きる」ことの現実と可能性である。『最強のふたり』が“友情による平等”を描いたのに対し、『ルパン』は“知による解放”を描く。オマール・シーという俳優の存在は、いまやフランス映画が抱える〈多様性の課題〉そのものを体現する存在となった。

映画『最強のふたり』(Intouchables, 2011)について。

本作は、フランス社会における「黒人として生きること」の現実を、露骨な社会派ではなく、ユーモアと対等な友情の物語として描ききった点において、非常に特異な位置を占める作品だ。

1. パリ郊外=“共和国の外側”に生きる黒人

ドリスの出自は、「叔母夫婦の養子になるため幼少期にセネガルから渡仏し、パリ郊外の移民地区で育った青年」という設定だ。この「郊外(バンリュー)」という言葉自体が、現代フランス社会では単なる地理的概念を超え、社会的排除・階層の固定・人種的周縁化を象徴する。

ゾラの時代から続く、パリの“中心”と“外側”の断層は、20世紀後半にマグレブ・アフリカ系移民の集中居住地として決定的になる。
素材に描かれたバルベス地区の情景──「黒人たちがいるのに気づく、暑気と汗、酩酊する言葉、罵り」──は、文化的多様性と同時に、都市空間から排除されたエネルギーの坩堝そのものだ。
ドリスのキャラクター造形は、まさにこの「身体と音楽がうまく相容れない街」から生まれた男の象徴といえる。彼の動き、語り、リズム感は、郊外の路上文化=ラップ、ダンス、スラングを反映している。

2. 黒人青年ドリスの“型破り”とは何か

ドリスは典型的な「社会的敗者」として登場する。前科者であり、失業保険を得るためだけに面接へ来た青年。
しかし物語が進むにつれ、彼の“型破り”が単なる反抗ではなく、フランス社会の同調圧力に対する文化的抵抗として機能していることが見えてくる。

クラシックのパーティで流れるヴァイオリンに対し、ドリスが軽やかにタップを踏む場面(73分あたり)は象徴的だ。
それは音楽的教養を持たない者の「無知」ではなく、支配文化への“異議申し立て”。
この瞬間、ドリスは「フランス文化に包摂される黒人」ではなく、「自らの身体でフランス社会を再リズム化する黒人」として立ち上がる。
パリの郊外からやって来た者が、文化の中心に“自分の音”を持ち込む。ここに、同化ではなく文化的再編成の力が宿る。

3. “平等”の実践としての友情

本作の核心は、障害者と黒人移民という二重のマイノリティが、互いに「同情しない」関係を築くことにある。
フィリップは金も教養もあるが、身体の自由を失っている。一方のドリスは、社会的自由を制限されている。
両者は異なる形で「フランスの中心から排除された者」同士だ。

彼らの関係は、“善意”ではなく“対等”に立脚している。
フィリップが「彼は私に同情していない。それがいい」と述べる場面は、共和主義的平等の理念が階級と人種を越えて一瞬だけ実体化した瞬間だ。
フランスが標榜する「Liberté, Égalité, Fraternité(自由・平等・博愛)」が、現実社会ではもはや空疎なスローガンであることを、ドリスとフィリップは無言のうちに体現してみせる。

4. 郊外から“風”を運ぶ男──黒人の身体の再定義

パラグライダーでの飛行(84分以降)は、単なる友情の象徴ではない。
それは、郊外に閉じ込められていた黒人の身体が、ついにパリの中心を越えて空を舞う瞬間だ。
社会的上昇や統合を意味するのではなく、自由の感覚そのものを身体で取り戻す行為。
黒人の“風”が、白人富豪の停滞した空気を動かす――この構図は、都市と周縁、支配と被支配、静止と運動というフランス社会の対比を見事に逆転させている。

5. 「最強のふたり」についてまとめ

バルベスやグット・ドールのような地域で形成された黒人文化は、長らく犯罪・貧困・暴力の象徴としてしか描かれなかった。しかし『最強のふたり』は、その出自を持つ男が、支配者階級と対等な関係を築くことができるという、フランス映画では稀有なヴィジョンを提示した。
ドリスは「郊外出身の黒人」ではなく、「フランス社会の倫理を再生させる黒人」として描かれる。

この作品は、黒人を“問題”としてではなく、“解答”として描いた数少ないフランス映画、いやインターナショナルな映画だ。
パリの外郭に閉じ込められた移民のエネルギーが、中心に向かって吹き抜ける――その風が、フィリップの人生だけでなく、停滞した共和国フランス全体を揺さぶった。

それこそが『最強のふたり』が「黒人の映画」として、そして「フランスの映画」として記憶される所以だ。

Netflixドラマ『ルパン』(主演:オマール・シー)

本作は、モーリス・ルブラン原作の〈アルセーヌ・ルパン〉シリーズを直接的に翻案した作品ではない。むしろ、現代フランス社会における人種・階層・アイデンティティの問題を織り込みつつ、「ルパン的知性と美学」を再構築したアダプテーションである。

1. 原典におけるルパン像の要点

ルブランによるアルセーヌ・ルパンは、
• 上流社会の偽善や退廃に挑む「貴族的犯罪者」
• 知的で洗練された変装術の達人
• 犯罪を芸術と捉え、しばしば正義の側にも立つ
という「反体制的エリート」の典型である。

例えば「女王(王妃)の首飾り(EDITH AU COU DE CYGNE)」では、
• 完璧な防備を誇る屋敷から、美術的価値の高い錦を奪うという知能犯的構造
• その過程で「盗む者と盗まれる者」の階級的反転
• 被害者の悲劇(自殺)によって、社会の「美と倫理の矛盾」が露わになる
といった、ルパン神話の核が描かれている。

2. Netflix版『ルパン』の構造的転換

ドラマでオマール・シーが演じるのは、アサン・ディオプ(Assane Diop)という現代の黒人青年であり、ルパンのファン。彼はルパンの物語に影響を受けて「ルパンを模倣する」ことで、父の冤罪を晴らし、支配階級(白人ブルジョワ社会)への復讐を遂げようとする。

この設定により、次のアダプテーションが成立している。

3. 美学と階層の再配置

ルブランのルパンは「上流階級の仮面をかぶった革命家」だったが、Netflix版では、その仮面を本当に「被るしかない」マイノリティの現実が中心に置かれる。変装は階級を越える手段であり、同時に「見られ方」への痛烈な批評装置でもある。

原典では「貴族社会の内部破壊」であったものが、現代版では「人種的階層社会の外部からの侵入」として再構築されている。すなわち、ルパンの「知性による脱構築」が、社会的包摂のための戦略に置き換えられた。

4. 原作モチーフの再利用

「ルパン」シリーズの諸事件(首飾り、美術品、家系の秘密など)は、ドラマでは断片的に引用され、「読書経験=行動の指針」として機能する。
たとえば、「女王の首飾り」で壁布を奪う際に「美の所有」を問題化したように、Netflix版では「文化資本を誰が所有するのか」という問いに変換されている。

つまり、

美術品を盗む=過去の不正を暴く
変装する=偏見から逃れる
犯罪を仕掛ける=正義を回復する

という構造的転換が施されている。

5. Netflix『ルパン』まとめ

Netflix『ルパン』は、ルブランの原作を*「再現」するのではなく、「継承と転位」によって再生」させた。
ルパンという象徴を、
• 「貴族的反逆」から「植民地的抑圧への知的抵抗」へ、
• 「芸術的犯罪」から「倫理的正義」へ、
という軸に移行させた点において、最も重要なアダプテーションである。

『ルパン』(Netflix)は、ルブラン作品のプロットやキャラクターを素材として利用しながら、
黒人男性アサン・ディオプが「ルパンの精神」を媒介に社会的アイデンティティを奪還する物語である。
それは単なるリメイクではなく、フランス近代文学が築いた「知的犯罪者像」を、
21世紀の移民社会における「道徳的レジスタンス」へと再定義した文化的転換である。

まとめ

『最強のふたり』(Intouchables, 2011)は、パリの上流階級と移民社会という二極の断層を、障害者と介助者という親密な関係を通じて架橋する物語である。
上半身不随の富豪フィリップと、セネガル系移民の青年ドリス――この二人の出会いは、フランス社会の根深い階層差と人種的偏見を、ユーモアと共感によって一時的に解除する。ガモン製作の中でも歴代上位の興行収入を記録した本作は、オマール・シーの演技によって「黒人男性像」の再定義を成し遂げた。彼は単なる“労働者”でも“被害者”でもなく、軽快さと倫理を併せ持つ「関係の創造者」として描かれる。

『ルパン』(Netflix)は、その延長線上に位置する。ルブランの原典を踏まえつつ、アサン・ディオプという黒人男性が「ルパンの精神」を媒介に、自らの社会的アイデンティティを奪還する物語である。
ここでは「模倣」が抵抗の手段に転化され、フランス近代文学が築いた“知的犯罪者”の系譜は、移民社会における「道徳的レジスタンス」へと刷新される。

両作を通じて浮かび上がるのは、オマール・シーという俳優が一貫して体現する〈包摂される他者〉の肖像である。笑いと知性、そして誇りをもってフランス社会の中心に歩み寄るその姿は、エンターテインメントを超えて、現代フランスが抱える「共生の可能性」を照射している。

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