SE探偵 才原衛の注意喚起 第5話(全6話)
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第5話 たかがデータを一つ削除しただけで
だが彼女の屁理屈を、才原くんの冷静な声が切り捨てる。
「その日は静山さんも退勤済みで、宣伝課で残業していたのは河合さんだけだと入退室記録にて確認しています。それもなりすましだと言うのなら、監視カメラの映像を地道に確認するしかありませんが」
皆に非難の目を向けられて、河合さんは叫んだ。
「違う、このオタクが私を陥れるようにデータを捏造したのよ! 実は先輩のこと好きだから庇ってるんでしょ!? 先輩のことよく見てるって、私知ってるんだから!」
それは私が彼を見てしまうのと同じ理由で、縦に長い者同士でシンパシーを感じていたというオチじゃないだろうか。それにしても――
「好きだから庇ってるんだろうって、小学生なの? っていうか、最初に伝票を削除して陥れられたの、私の方なんだけど」
私がため息をつきながら言うと、とうとう彼女はなりふり構わずわめき始めた。
「こんなのパワハラの社内リンチでしょ!? ひどい、社長に訴えてやるから!」
今の社長は揉め事や炎上が大嫌いだ。この剣幕でパワハラなんて言われたら、SNSで社名を挙げてネガティブキャンペーンされることを恐れ、彼女のご機嫌を取ってしまうかもしれない。
止めようとする皆を振り切って、河合さんはフロアを出るドアを手前に引いた。
「まあ!」
だがドアの向こうにいた細身の老女と鉢合わせ、彼女はそこで停止する。上品なペールピンクのスーツに身を包んだ彼女の髪は真っ白で、御年八十といったところだろうか。営業本部長と総務部長の二人を従えて現れた彼女の名は、刈間幸子。我が社の会長、その人だった。
「みんな揃って、どうしたの?」
目をぱちくりとさせる会長に向かい、河合さんは涙を浮かべて訴えた。
「会長、社内SEが職権乱用しています! データを捏造して、私が伝票削除した犯人なんだって、陥れられたんです!」
「まああ! まもちゃん、本当なの!?」
驚きの声を上げる彼女に、才原くんは困ったように自らの額に手を当てた。
「会長、社内でその呼び方はやめてください……」
「あらあらごめんね、才原くん。で、彼女の話は本当なのかしら」
「違うに決まっているでしょう。そもそも私は、こういった事件を防ごうと、システムを構築し直すために呼ばれたんじゃないですか」
「そうだったわねぇ!」
ころころと笑う老女に、才原くんはため息をついた。
「もっとも、身近なITトラブルは高度なハッキング技術なんかより、今回のような『人』のミスや悪意が原因であることが多いんですけどね」
「状況はよく分からないけれど、解決したならよかったわ!」
「お話のところ恐縮ですが、もしかして、会長と才原くんはお知り合いですか?」
この場にいる皆の疑問を代弁するような経理課長の問いに、会長はニコニコとしたまま答えた。
「実は孫なのよぉ。ごめんね、隠すつもりはなかったのだけれど……恥ずかしいから黙っておいてくれって、まもちゃ……才原くんが、言うものだから」
大っぴらな同族会社だからこそ、あえてまだ隠れている親族が出てくるとは思わなかった。名字が刈間一族じゃないのは、会長の嫁に出たという長女の息子あたりだろうか。
それを聞いた河合さんは、ようやく観念したのだろう。すっかり大人しくなって、的場課長と共に総務部長に連行されていったのだった。
* * *
あの事件から、二週間が経った。
河合さんは他人のアカウントで社内システムに無断でログインしたことで、不正アクセス禁止法違反で前科がつき、懲戒解雇となった。「たかがデータを一つ消しただけで前科ってウソでしょ!?」と狼狽えていたが、もしこれが紙の伝票なら、彼女も捨てることを躊躇していたのかもしれない。しかし、「たかがデータだ」と気軽に削除したことが、仇となった。
彼女は「こんなふうに細かく行動を監視するなんて、人権無視でしょ!」と最後まで抵抗していたが、こういうおかしなことをする人がいるから、監視のための仕組みがどんどん増えてゆくのだろう。ちなみに他人にパスワードを漏らした的場課長は、営業に配置転換のうえで降格処分になった。なんでも刈間本部長直々に、外回りから鍛え直すということらしい。
一方の私はといえば、データの扱いに油断があったとして訓告処分、つまり厳重注意を受けたが、それ以外はお咎めなしで済んでいた。それも、まさかの主任への昇進付きだ。
なんて、ただでさえ課員の少ない宣伝課の中でも古株の私は、急に二人抜けた分の穴埋め要員として必要だったというだけだろう。でも忙しく働いていれば辛い記憶を忘れていられることは、何よりもありがたかった。
それにしても、この三十歳というタイミングで恋愛に幻滅してしまうなんて……。
――金曜の二十一時。残業を管理する巡視員に追い出されて、私は疲れたため息をつきながら執務室を出た。すると同じく巡視に追い出されたらしく、エレベーターに乗り込む才原くんが見える。
「あ、待って!」
ドアを止めてもらって駆け込むと、私は改めてお礼を言った。
「あの、消えた伝票の件では本当にありがとう、助かりました。きちんとお礼もできていなくてごめんね」
「いえ、課長含め二人も課員がいなくなって、静山さんはしばらく八面六臂の活躍でしたからね。お疲れさまです」
「ありがとう。そう言ってもらえてちょっぴり救われたな。それでね、今週は疲れたからぱーっと飲みに行こうと思ってるの。お疲れさま会を兼ねて、才原くんも行かない? 今日は先輩がおごるから!」
何かお礼ができないかと思って誘ったけれど、才原くんは会社のつきあいで飲むのは苦手な方だっただろうか?
少しだけ不安になったところで、彼は珍しく口の端をほんのり持ちあげた。
「いいですね、ぜひ」
といっても、この会社の近くには手頃なお店がないし、うっかり知り合いに会うと面倒だ。私たちは大きめの乗換駅まで移動すると、ラッシュの人混みに紛れて改札を出た。
――こういうとき、才原くんは絶対に見失わないのよね。
波のように押し寄せる人混みをなんとか泳ぎ切り、頭一つ飛び出た人に付いてゆく。とりあえず駅前に出ると、私たちは無数に並ぶ飲食店の看板を眺めた。
色々なお店があるけれど、そういえば才原くんの好みが分からない。希望を聞くと、結局入った店は飲み放題があるような居酒屋だった。彼は「おしゃれな店は気を遣うので、申し訳ないですが」なんて言っていたけれど、私のおごりと言ったから価格帯に気を遣ってくれたのかもしれない。
「ごめんね、偏見かもなんだけど、ちょっと意外だった」
私はまだ一杯目のグラスビールを傾けながら、向かいで五杯目のカルーアミルクを一気に飲み干している才原くんに笑いかけた。
「あ、男性がカルーアだから、じゃなくてね、ミルク系好きで量を飲む人ってめずらしいなって」
「カルーアはコーヒー豆が原料ですから。それに脳を使うと甘いものを欲するんですよ」
才原くんはちょっとだけ恥ずかしそうに目を反らして言うと、すぐさまタッチパネルで次のカルーアを注文した。
「確かに! この間の才原くんは名探偵だったものね。それにしても、あのとき声をかけてくれて、本当に助かったわ……」
私がしみじみと言うと、才原くんはニヤリと口角を上げる。
「いえいえ、趣味と仕事を兼ねていますので」
