【通信 うたう庭】004
【#うたの輪】に寄せられた作品を紹介させて頂く通信、名づけて【うたう庭】です。
毎回、5作品程度を「わをん解釈」にて紹介いたします。そういう読み方もあるか!と、ゆる~くお楽しみ頂ければ幸いです。
※作品の全容は、リンクをご利用ください。お手数ですが、宜しくお願いいたします。
1️⃣ ゆめみ ときわ 様/オーバー・フローラル
『 胸の奥に、想いを秘めた蕾があった。
まだ名前もなく、
ただ静かにそこに在った。 』
想いを秘めた蕾。
それらに名前はまだない。
喜びなのか、悲しみなのか。焦りなのか、期待なのか。
わからないけれど、そこに在った。
「在った」という過去形がいい。
重みを感じさせる。はじめからそこに在ったのだ、と。
『 やがて時は経ちその蕾はひらき、
一輪の大きな花を咲かせた。 』
一輪の開花を皮切りに、花は次から次へと咲きみだれる。
面白いのは次だ。
『 彼女がそれを止めようと
胸にある大輪の花を抱いても、
溢れ出してゆく。 』
彼女とは、誰か。
突然世界に現れた「彼女」と呼ばれる存在。
女神フローラルを想定しているのかも知れないし、胸に蕾をたくさん秘めていた本人かも知れない。ここは、それぞれの想像で良いだろう。
わたしが面白いと感じたのは2点ある。
1点目は「それを止めようと」することだ。
なぜ、止めようとするのか。
次から次へと開花してゆく蕾たち。むしろ歓迎すべき、喜ばしいことではないのか?
ここでわたしは開花のきっかけに思いを馳せた。
実際の植物の開花ならば、季節の到来や気温が影響するが、これはあくまで心の比喩だ。
だとすれば、名前の無かった蕾=今まで知らずにいた感情たち、名前も知らない初めての感情たち、ということになるだろうか。
未知なる感情が開くようなきっかけ。恋愛がらみか、夢と希望にからんだものか、家族や友人とのからみか。
いずれにせよ、初めて覚える感情は、怖いかも知れない。怖いとまでは行かずとも、違和感にとまどうことは確かだ。
だから、彼女は止めたいのであろう。得体の知れないものが次々と咲いていくことへの戸惑いと焦り。
そして、面白いと感じた2点目は「止めようとする手段」だ。
次々と開花することを止めようとして、彼女は「胸にある大輪の花を抱く」のだ。
一度開いてしまった花を、しかも抱いたところで、なにも止められないだろう。
ならば、おそらく、彼女に止める意思はない。
そして、この「大輪の花」はもしかしたら、彼女の精神世界の「核」なのかも知れない。
次々と咲き乱れる=新しく芽生える感情たちに対して「大丈夫。怖がらなくてもいいんだよ。」と、優しく諭しているような。
わたしはそんなひとときを思い描いた。
『 やがて、あふれた花々は
綺麗な音を求めるように
透明な鍵盤の上へと辿り着く。 』
この作品で、わたしがもっとも好きなところだ。
戸惑いに満ちて一斉にひらいた花たちは「綺麗な音」を求めた。
混沌とした精神世界に調和をもたらそうとするような、せっかくの感情と上手に添っていこうとするような。
まだ名前もなく、色もない。
だから「透明な鍵盤の上」なのだ。
旋律に身を任せながら、何色にも染まってゆくであろう、はじまりの場所。
もしかしたら、不協和音になるかも知れない。たどたどしい音階になるかも知れない。
それでも、降り立たねばならない場所。
「辿り着く」という言葉の背景には、そんな覚悟や決意が見えた気がした。
これ以上の作品の引用は控えるが、本作は息をのむほど美しいイラストとともに、優しく温かな言葉で、清らかなひとときを与えてくれる。
おそらく、こころの世界ゆえに、その時々でちがう発見もあるだろう。
それこそが本作の最大の美しさである。
美しいイラストとともに、是非とも全編を味わって欲しい作品である。
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2️⃣ 泉雅可 様/臆病なハルモニア
『 私の仕事は恋の媚薬で
二人の仲をとりもつこと。 』
わたしのお題は、まったく自由に解釈して構わない。
ハルモニアを神話に見立てても、調和としても、楽器店にしても、何でも構わない。
そんなふうに割りと余裕を持っているつもりのわたしも、さすがに不意を突かれた。
冒頭の設定もそうだが、こう続く。
『 コードネームはハルモニア。 』
これはなかなか。
そうきましたか、と。
しかし、作者は攻撃(?)の手を緩めない。
『 そっと媚薬を盛る。 』
なんという仕事ぶり。
「盛る」って、毒じゃないんだから・・・と、わたしはすっかり、この作品の虜にされてしまった。
コードネーム:ハルモニアに十分な興味が湧いたところで、トドメが待っている。
『 そんな私はまだ恋を知らない。 』
え~っ!?
二人の恋を取り持って、絶妙なタイミングで媚薬を盛る。そして、コードネームまで与えられた存在。
百戦錬磨の恋の達人かと思ったら、大間違いだった。
わたしは、わたしの先入観を恥じると同時に、作者への敗北を認めねばなるまい。
『 私は手にした媚薬を見つめた。
これを飲めば
私も恋に落ちるのかしら。 』
待ちなさいっ!
もう、どこまでわたしを翻弄すれば気が済むのか・・・。
と、ちょっと悪のりが過ぎたかも知れない。が、この作品は純粋に面白い。
ハルモニアの純粋さに吸い寄せられてしまうのだ。しかも、親心のような目線を持たされてしまう。
最後にもう一ヶ所だけ紹介したい。
それは、ハルモニアが「夜を走る」という箇所だ。
ハルモニアは、己の仕事に懸命なのだ。そこに、すべてを相殺する清々しさがある。
そして、わたしのなかに調和のとれた読後感をもたらす。
是非とも本編にふれて、直接その空気感を楽しんで欲しい一作である。
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3️⃣ yuki 様/ティラノサウルス症候群
ティラノサウルス症候群。
当然ながら、そんな病はない。
しかし、あり得るな、と思わせるのが本作の最大の魅力である。
4行の短詩だが、一行ごとの密度が高い。
『 時代が昔を 呼び覚ます 』
「時代」とは現代を指すのだろうが、「昔」とはいつか。
「呼び覚ます」というからには、強力だ。呼ぶだけではなく、覚ますのだから。
「昔」のなにかを、「時代」が希求しているわけだ。
詩は続く。
『 スマホにパソコン 凝りと歪み 』
スマホとパソコンがなければ、成り立たない現代。
そして、その裏には「凝りと歪み」がある。
スマホ・ネックという症状があるように、現代人は首も肩も凝り固まっている。そして、首から始まる異変は背中や腰、指の先まで影響して、まさに全身を歪めてしまうのだ。
ただ、この凝りと歪みは身体的な指摘には留まらない。
ネットトラブル、生身でのコミュニケーションの希薄化、と、ネット交流が勢いづくほど、わたしたちは凝り固まった物の見方や、歪んだ思考回路に染まってしまう危険性をはらんでいるのだ。
作者は何も明言していないが、そこがいい。明言してしまえば、わたしたちには想像の余白がなく、詩情を損なう。
『 意識改善 姿勢改善 』
三行目には、これだけ。
流れから察するに、意識と姿勢を見つめ直そう!身体と精神の凝りと歪みを直そう!というメッセージなのだろう。
意識改善、姿勢改善と、述語がない。
意識改善してみる?かも知れない。意識改善しても手遅れよ、かも知れない。意識改善したいなら急げ!かも知れない。
そして、最後。
『 戦おう 弱肉強食 』
詩はこの言葉で閉じる。
主張らしきものをしてこなかった作者が唯一投げかけた言葉は「戦おう」だ。
何と戦うのか。
あとに続く「弱肉強食」が相手だろうか。
ここで、タイトル。
ティラノサウルス症候群、である。
ということは、戦う相手は病であり、症状、もしくはその要因。
「戦おう 弱肉強食」
ここをどう解釈するか。
それは読み手に託されている。
本編にはイラストも添えてあるので、それらとともに世界観に浸ってみて欲しい。
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4️⃣ たぴ 様/小石の恩返し
わたしがnoteを始めた当初から仲良くさせて頂いている たぴ様。
なんと、これまでに一度も詩を書いたことがなく、本作が処女作である。
『 蹴られて転がり
くるくる回る、世界も回る 』
わたしは今でも書き過ぎそうになる。
たとえば心情、たとえば状況。
その点、この詩には無駄がない。
そもそも誰に蹴られたのか、どこなのか。何も書いていない。
川原かもしれない、校庭かもしれない、路地裏かもしれない。
出だしが既に只者ではない。
「くるくる回る」もいい。
自分が小石になったような感覚になる。
そして、次が凄い。
「世界も回る」と続く。
わたしなら、「くるくる回る、目も回る」とか「くるくる回る、なんて日だ!」とか、小石目線のまま書き足すだろう。
でも、この詩はそうしない。「世界も回る」と続けるのだ。
世界も回るとはどういうことか?
回転する小石の目線に立てば、世界が回って見えるのでは?という反論が聞こえてきそうだが、まあ、冷静に考えればそうだろう。
しかし、それなら「世界が回って見える」と続けるのが無難だろう。
ただし、そう書いてしまうと、面白くない。
まるで、世界が回っているように見える。その主語に世界を据えた。こんな書きかたが処女作で可能だろうか!?と。
わたしはそこに震撼、いや、感嘆している。
『 ほんとは拾われて
大切にもされたいけど 』
日本語は奥深い。
助詞ひとつでニュアンスが変わる。
引用した箇所は、小石の独白と思われる。
注目すべきは次の箇所だ。
「大切に『も』されたい」の「も」だ。
大切にされたい。
大切にもされたい。
前者は、大切にされることだけを強く願っている。
後者はどうか。
前者とは意味合いが間違いなく変わる。
わたしは、こういう一語一語の吟味が、詩の世界には重要だと思う。
そこにわたしは強く惹かれている。
本作を契機に、作者たぴ様は作品を順調に生み出し続けている。
わたしは純粋にそれが嬉しい。
noteでの出会いをきっかけに、詩の世界の仲間が増えた。
作品というより、作者紹介になってしまったが、ご容赦頂きたい。
リンクから、作品全体を是非とも楽しんで欲しい。
【作品はこちらから⬇️】
【うたの輪】蹴られても、今日も回るよ。人生で初めて書いた詩「小石の恩返し」|たぴ(タピオカのたぴ)
5️⃣ hell-home 様/寝起きのアサガオ
世の中には、いろんな詩がある。
すっきり、わかりやすい詩。わかりやすいが何だか気になる詩。リズムを重視した詩。映像美を追求した詩。
たぶん、いろんな詩が書けたほうが楽しい。そして、いろんな詩を味わえたほうが楽しい。
わたしも、その日の気分でいろんな詩を書くし、いろんな詩を読み味わう。
それでも、好みというのは、ある。
わたしは、想像の余白の豊かな詩が好きだ。今から紹介する作品は、わたしの「どツボ」である。
『 朝起きて顔を洗うように、
アサガオに水をやる。 』
顔を洗うように。水をやる。
冒頭から面白い。
顔を洗う行為は朝の日課、ながれ作業のようなもの。そういう乗りで、今朝もいつも通りに水やりをする。
と読むのがひとつ。
顔を洗うと、シャッキリする。目が覚める。だから、水やりは自分を目覚めさせる行為であり、アサガオそのものと自分をシンクロさせているのではないか、と。
わたしは、何となくそんな気配を感じ取った。もちろん、詩文全体を読んだうえでの感覚だから、次へ進もう。
『 眩しさが挨拶するように、
空気を吸う。 』
一瞬、さまよう。
ん?眩しさが挨拶する、ように?
作者のhell_home様の作品には、たびたび、このような「妙な言葉」がある。
わたしは、そこに立ち止まるのが面白い。
さて。眩しさが挨拶する、とは何か。
朝だから、陽光だろうか。あるいは、笑顔の眩しさか。
陽光だとすれば、陽光の挨拶とは何だ。陽光が降りてくること、それ自体を挨拶とたとえたのかも知れない。
陽光には、挨拶のつもりなどなく、ごくごく自然ななりゆき。
その自然ななりゆきの如く、空気を吸う。
ここで「息を吸う」とか「呼吸する」とか言わないのがいい。
なぜなら、人間っぽい言葉だからだ。
先ほどわたしは、アサガオとのシンクロについて述べた。
その思考で読むと、「空気を吸う」のほうがアサガオっぽい。
『 植木鉢の汚れが、
上を向かせてくれる。 』
わたしは、ここが一番好きだ。
アサガオに水やりをした、その充実感をもって、一日を始める気概をもち、空を見上げる。
そんな心情なのかな、と思うが、重要なのは「植木鉢の汚れ」に注目しているところだ。
水やりをして、きらきら光るアサガオ。そんなふうに描いたほうが、充実感だけでなく、爽やかさも演出してくれるだろうし、何よりはっきりわかりやすい。
しかし、作者はそうは描かなかった。
わたしは意図を読まない。意図は読まないが、詩世界の言葉が訴えようとしているものは読む。
それはもしかしたら、作者の意図とリンクするのかも知れないが、「作者はどういうつもりなのだろう?」とは考えない。
「詩のなかの彼はなぜ泣いたのだろう?」のように考えるわけだ。
さて、話を戻そう。
詩のなかの人物は、あまり細かいことは気にしないのかも知れない。なんせ、汚れた植木鉢なのだ。
そもそも、なぜに汚れているのか。いや、汚れというより経年劣化かも知れない。
自らの手で、必要以上に他をいじらない。
その結果、きれいとは言えない植木鉢になってしまった。
そんなふうにも読める。
いずれにせよ、この詩は一貫して、自然体である。そしてわたしは、そこにアサガオとのシンクロを感じる。
だから「汚れた」というより、「不自然に綺麗」ではない植木鉢に、いつも通りの自分を感じた。
それが、自分を上向かせた。
そう読んでみるのはどうだろうか。
この詩はあと一行で終わるのだが、そこまでは語るまい。
ただ、最後の一行も密度が高い。
そこをあなたはどう読むか。是非とも、たっぷり余白を楽しんで欲しい。
【作品はこちらから⬇️】
6️⃣ あとがき
紹介が間に合わぬほど、参加作品が増えております。
本当に有難うございます。
なるべく、いろんな書き手様を紹介するつもりでいましたが、今後はわたしの胸に強く残った作品を紹介させて頂こうと思います。
どうぞご理解ください。そして、次号もお楽しみにして頂ければ幸いです。
⬇️ うたの輪/参加作品集 ⬇️
