【短編小説】お弁当応援団
私は母のお弁当が嫌いだった。
サラリーマンの父、パートタイムで働く母、そして一人娘の私。ごく一般的な家庭の普通の暮らしが一変したのは、中学三年生の時、父が交通事故で亡くなってからだった。父の突然の死を悼む間もなく、「生計を立てる」という現実が待っていた。
特に資格も経験もない四十半ばの母が正規職員で雇用されるわけもなく、これまでのパートタイムの時間を増やしても足りず、掛け持ちで新たなアルバイトも始めた。母はみるみるやつれていった。
私はというと、受け入れ難い現実と、思春期のイライラと、新しい生活スタイルに多大なストレスを抱えていた。家はいつもシンとして、灯りもなく、「おかえり」の声もなく、温かい食事もない、無機質な家に変わり果てた。生活が苦しいことも、家に母が居ないことも、仕方のない事、我慢せねばならぬ事、と頭ではわかっていた。それでも、「なぜ、どうして、私達がこんな目に合わねばならぬのか」と、寂しさは侘しさに、侘しさは怒りに変換されていった。
私は人付き合いが苦手で、それでも「ボッチ」と嘲笑されるのは嫌で、クラスの大人しい子の寄せ集めのような集団に遠慮がちに入り、楽しくもないのにニコニコと話を合わせるような子どもだった。そんな私が唯一、嫌な自分をぶつけられるのは母だけで、こんな状況下なのに、我慢の限界に達した私が鬱憤を晴らした相手はやはり母だった。
「学校からのプリント、目を通してないの? 有り得ないんだけど! これ今日までに提出の書類なのに白紙で出せって言うの? ていうかさ、最近食事が手抜きすぎ! 惣菜の日も多いし! お父さんが死んでからマジ最悪!」
出勤しようとする母にその書類を投げつけた。高校受験を間近に控え、イライラしていたとはいえ、疲れ切った母に最低な言葉を浴びせた。
「ごめんね」
力なく発せられた言葉と、プリントを拾う小さな背中が視界に入ったけれど、私はそのまま乱暴にドアを閉めて家を出た。先生に書類を忘れたことを伝えると、間もなく母が職員室に届けてくれたことを知った。
いつもなら上手くできる作り笑いが、その日はどうやったって引きつる。体調が悪いふりをして自席で突っ伏して過ごした。形だけの友達は、形だけの「大丈夫?」を一度だけ私に伝えると、瞬く間に芸能ニュースで盛り上がっていた。
この一件で私はグループを抜けた。喧嘩をしたわけでも、虐められたわけでもなく、一人でいることを選んだ。家では、働き詰めの母と顔を合わすことも少なく、最低限の会話しかしなくなった。
孤独だった。
やがて高校生になり、お弁当が必要になった。自分で作るつもりだったけれど、「あなたは学業に専念しなさい。それは私の仕事だから」と母は譲らなかった。
高校生活が開始しても、私は相変わらずクラスの誰とも馴染めなかった。お弁当の時間になると、みんな仲の良い友達と集まって食べる。最初は誘われたけれど、何かと理由をつけて断っているうちに誘われなくなった。
(これでいい。一人が気楽だ)
宥めるように心で呟き、自席でお弁当を食べた。
そもそも恥ずかしかったのだ。茶色くて地味な母のお弁当を見られることが。
***
ある日のこと、ため息交じりに弁当箱を開けると、弁当箱から「ワッ」と大勢の声が溢れ出てきた。驚きのあまり「ギャッ」という悲鳴じみた声が漏れ、慌てて蓋を閉じた。
心臓がバクバクと音を立てる。周囲にいたクラスメイトの訝しむ視線を感じて、いたたまれなくなった私は弁当箱をそっと袋に戻し、人気のない中庭の古びたベンチに移動した。人がいないことを再度確認し、蓋をそっと開ける。
静かだ。幻聴だったのか。蓋を完全に外し、中身をじっくり見る。いつもと代わり映えしないお弁当……いや、いつもなら、ばらご飯なのに今日は小さな俵型のおにぎりが二つ並んでいた。
こんなにもお弁当をまじまじと見たのは初めてかもしれない。いつもは人に見られまいと、味わうこともなく口に放り込んでいたから。改めて見ると、案外普通のお弁当だった。
「気のせいか。お弁当食べたくないなぁ……」
「なんでよ? 食べなさいよ!」
あまりに吃驚して弁当箱を落としそうになった。見ると、真っ赤なウインナーがプリプリした顔で怒っている。
「お、落ち着いて。け、喧嘩はダメですよ?」
ビクビクしながら、ちょっと焦げた卵焼きが隣のウインナーを宥めている。
「フレーフレー悠里! フレフレ悠里! フレフレ悠里!」
海苔を巻いたおにぎり達が、野太い声で応援合戦を始める。
「ちょっと~? ママったら今日ケチャップ忘れてんじゃん! 萎えるわ~」
ギャルのような言葉遣いでボヤいているのは冷凍食品のハンバーグだ。
「まぁまぁ、みなさん落ち着いて。悠里ちゃんが驚いているじゃない、ねぇ」
カップに入ったきんぴらごぼうがおっとりした口調で話しかけてくる。現状を受け入れられず茫然としていたが、やっとの思いで口を開く。
「何なの……、あんた達?」
「我らは、悠里の応援団である! 押忍!」
「シッ! 声が大きい! きもい。なんなの? やめてよ」
「うわっ、可愛くな~い。だから友達もいないのよ! フン!」
「そ、そんな事言っちゃ、ダメですよ。ゆ、悠里さん、私達の声はあなたにしか聞こえないから、だ、大丈夫ですよ」
「ていうかぁ~、もうお昼休み終わるんじゃね? 早く食べちゃいなよ~?」
ただでさえ食欲がないのに、益々食べる気が失せた。しゃべるお弁当なんて気持ち悪い。そもそも応援団と名乗りながら、先程から貶されてばかりだ。
「やっぱり気持ち悪いよね? でも大丈夫。いつも食べてるお弁当と一緒だから。試しに食べてみて。ほら、私なら直接かじるわけじゃないし。食べてみて? お願い。箸もつけずに捨てるなんてこと、しないで」
きんぴらごぼうが懇願するものだから、仕方なく箸をつけた。一口食べると体の中にポッと温もりが広がった。と同時に、きんぴらごぼうはいつもの状態に戻っていて、気が付くと全部食べていた。急にお腹が空いてきた。
「俺達も食べてくれ! 押忍!」
「私も美味しいわよ~。今日はケチャップないけど~」
「昨日、ママが心配してたんだから! 今日は完食しなさいよ!」
「わ、私達はあなたの体の一部になって、元気になってもらうことが、本望なんです」
私は話を聞きながら、次々と口に運んだ。いつもと変わらないお弁当であるはずなのに、食べる毎に力が湧いてきた。食べ終わる頃には、身も心もすっかり元気になっていた。
食べ終わって弁当箱を袋にしまう時、袋の底に剥がれた付箋を見つけた。母の字で「体、大丈夫?」と書かれていた。
**
私はいつも自分の弁当箱を洗っている。昨日は腹痛が酷くてどうしてもお弁当が食べられなかった。だから母に気付かれないように隠して捨てたのに、母は異変に気付いていたのだ。ずっとすれ違いの生活で、母は私の事など気にも留めないと思っていたのに。視界が霞む。
本当は、母がずっと私を心配している事ぐらいわかっていた。気付かないフリをしていた。本当は労いの言葉も感謝の気持ちも伝えたいのに、口を開けば母に酷い言葉を浴びせてしまう。
だから私は逃げたのだ。
母からも、そして友人からも。
(帰ったら母と話をしよう。素直な気持ちをきちんと伝えよう)
そう心に決めた。
教室に戻ると、後ろの席の子が「大丈夫?」と遠慮がちに聞いてきた。いつもなら、作り笑いで適当にやり過ごすのだが、言葉に詰まり下を向いた。
「何か悩んでいることあるなら聞くよ? 何もできないかもだけど……」
「ありがとう」
その言葉を言うのが精一杯だった。「形だけの友だち」を作っていたのは自分自身だったのだ。
翌日から私は後ろの席の子達と一緒にお弁当を食べるようになった。お弁当はあの日以外、ずっと静かなままだった。
***
高校生活、最後のお弁当の日。私はどうしてももう一度、応援団に会いたかった。あの日と同じベンチに座り、弁当箱を開いた。けれど、お弁当はやはり静かなままだった。
「やっぱりダメか……」
諦めかけたその時、懐かしい声がした。
「何、しけた面してんのよ?」
「ま、またそんな乱暴な言葉で……。な、何か悩み事ですか?」
「フレー! フレー! 悠里!」
「今日のケチャップのかけ方、オシャレじゃね?」
「みんな! 元気だった? あのね、今日はあの時と同じメニューにしてもらったの。 どうしてもあなた達に会いたくて。あの日から友達出来たよ。お母さんとも少しずつ素直に話せるようになって、今は仲良しだよ! あなた達のお陰。どうしてもお礼が言いたかったの。ありがとう!」
息つく暇もない程、矢継ぎ早に話す。
「良かったわね。私達もあなたが楽しそうにお友達と食べている姿を見て、幸せだったわ」
きんぴらごぼうがゆったりとした口調で返事をする。
「え? ずっと見てたの?」
「卵焼きなんて、毎日見てたんじゃね~?」
ハンバーグは今日もギャル口調だ。
「だったら声掛けてくれたら良かったのに……」
「必要なかったでしょ? あんた、変わったから。応援は元気がない人にするもんなの」
ウインナーは相変わらずツンデレだ。
するときんぴらごぼうが優しい声で諭した。
「いいえ。声は聞こえなくとも、毎日の応援は届いていたんじゃない? それに、お礼を言うのは私達にではないわよね? わかっているんでしょう? 私達の声の出所はどこなのか」
***
その日、私は弁当箱をいつもより丁寧に洗い、母に宛てた手紙をテーブルの上に置いた。三年間のお弁当のお礼と、過去の辛かった気持ちも労いも感謝も全てしたためた。
夜、帰宅した母が一人で手紙を読んで嗚咽しているのが見えて、思わず私は母を抱きしめた。「ごめんね」と「ありがとう」を何度も繰り返し、二人でぐしゃぐしゃの顔になって笑って泣いた。
***
「パパ、遅刻するよ! 誠、準備できた? まだパジャマじゃん! 遠足、置いて行かれちゃうよ!」
今日は親子遠足の日だ。仕事を休んで、早朝から三人分のお弁当を作っている。働く母はとにかく忙しい。母になって母の偉大さを知る。
「休みなのに全然休みじゃないし!」
弁当箱におかずを詰めながら毒づく。するとあの懐かしい声が聞こえてくるんだ。
「フレーフレー! 悠里ママ!」
了
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