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短編小説『SFそば屋』



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【本編】


それは私の出張先での出来事だった。
たまたま見つけたそば屋で、男が消えたのだ。

正確に言えば、かけそばを半分ほど胃に収めたところで、その男の輪郭は突如として青白い燐光に包まれ、異空間へ吸い込まれるかの如く消失したのだ。

男が消えた後には、食べかけのそばと、見たこともないお札が一枚、そして床に落ちた一膳の箸だけが残された。
人間が消える瞬間というものを、私はそれまで見たことがなかった。
それは、想像していたよりも、随分あっけないものだった。

カウンターに座っていた私は、二つ隣の席に居たはずの男が消失したことに狼狽し、店主の親父に叫んだ。

「店主!」

「はいよ。」

「隣の人、消えましたけど!」

店主の親父は至って落ち着いていた。
「ああ。未来へ帰ったんでしょう。」

「未来?」

「たまに来るんですよ。」
親父は丼を洗いながら、そう答えた。

私は空席を見た。
食べかけのそばから、何事もなかったように湯気が立っている。
その白い揺らめきが、たった今、この場所から一人の人間が時空の彼方へ消え去ったという事実をひどく曖昧なものにしていた。

「未来人だったんですか?」

「ええ。うち、検索で引っ掛かるらしくて。」

「???」
私は、親父の言葉を理解出来なかった。

親父は平然と天ぷらを揚げ始め、やがて油の爆ぜる音が店内に響いた。
人類は未来に於いても検索から逃れられないらしい。

その時、入口が開いた。
「親父、ざる一枚。」

入って来たのは、血だらけの鎧武者で、肩当てには矢が一本刺さっていたが、本人はさほど気にしていない。

「大盛りですか?」

「いや、普通で良い。すぐ戻らねばならぬ。」

「今日は合戦ですかい?」

「うむ。」

武者はそれ以上を語らず、運ばれてきたそばを静かにすすった。
人はいつの時代でも、そばを食う時には静かで無防備になるものだ。

食べ終えると、武者は「馳走になった。」と、親父に礼を言い、カウンターの上に穴の開いた銭を数枚置くと、深々と頭を下げ、青白い光に包まれて消えた。

その直後、また入口が開いた。
今度は、さらに立派な鎧をまとった男が入って来た。

兜には巨大な鍬形が輝き、陣羽織には金糸の紋が刺繍されている。
腰には太刀を佩(は)き、その眼差しには幾千もの兵を従える者だけが持つ威厳が宿っていた。

「店主!」と、男は低い声で呼んだ。

「はいよ。」

「先ほど、我が家臣が参らなかったか?」

「血だらけのですか?」

「左様。矢で射られておる。」

「ああ。来ましたよ。」

「やはりか…。余は総大将。戦の最中にあやつの姿が見えぬゆえ、討ち死にしたものと思うた。」

「ついさっき、そば食ってましたよ。」

「何をしておるのだ、あやつは。」
ごもっともな感想だった。

総大将は懐から巾着を取り出し、堂々と穴の開いた銭をカウンターに並べた。
「ここまで来たゆえ、余にも馳走してもらえぬか?」

総大将はざるそばを一枚食べると、威風堂々と消え去った。

また、入口が開いた。
今度は銀色の全身タイツを着た女が入って来た。

「天ぷらそば。ネギ多めで。」

「はいよ。」

女は天ぷらそばに乗ったネギを見るなり、珍しい宝石でも発見したように目を見開いて、私に尋ねて来た。
「美味しそう! ここは西暦2026年だったわね?」

「そうですけど。」
もう、何が起こってもおかしくない。
だから、私も落ち着いて答えた。

「わあ! これが本物のネギなのね!」

「もしかして、未来から来たんですか?」

「はい。そうです。西暦2336年から来ました。」

「未来にはネギ無いんですか?」

「2200年頃に絶滅しました。私の時代では、ネギに似た植物で代用されてますが、風味がいまひとつなんです。でも、生育が半日なんです。」

「…。」
唯、自分の鼓動だけが聴こえていた。

私は丼に浮かぶネギを見た。
つい数秒前まで薬味にすぎなかった緑色の輪切りが、にわかに文明の遺産のような荘厳さを帯びた。
ネギにも終わりが来る。
そう思うと、私は一片たりとも粗末にできなくなった。

女は天ぷらそばを食べ終えると、厨房にあった長ネギを指差した。
「それも売って下さい。」

「一本百円です。」と、親父が答えると、女は「安っ!」と、驚いた。

「支払いは銀河統一クレジットで。」
女がそう言って手首を親父に向けると、皮膚の下に青い光が浮かんだ。

「すみません。うち、現金だけなんです。」

「現金て?」

「お金です。」

「ああ、古代の支払い方法なのね。」

女が何気なく吐いた言葉が、旧文明を愚弄しているかのようで、私は原始人の気持ちが少し分かった気がした。

女は困ったように長ネギを見つめ、やがてポケットから透明な石を取り出した。
「じゃあ、これでどうですか?」

「そりゃ何ですか?」

「火星産のダイヤモンドです。」

親父は石を眺めた後、女に尋ねた。
「細かいのないですか?」

「今、これしか手持ちないんです。」

「まあ、いいでしょう。」

そのやり取りを見て、私は、「まじか!!」と声を上げた。

結局、親父はダイヤモンドを受け取り、長ネギを一本渡した。
女はそれを両腕で抱え、青白い光に包まれて消えた。

「店主、それ本物だったら何百万もするんじゃないですか?」
私は、目を丸くして尋ねた。

「でしょうね。」

「ネギ一本ですよ!」

「時価ですから。」
親父はダイヤモンドをレジにしまいながら言った。

「さっき、百円て言いましたよね?」

私の頭はカオスながらも、理性だけは保とうと、せめてもの抵抗で背筋を伸ばしていた。
そして、一度、整理しようと思い、親父に尋ねた。
「店主?」

「はいよ。」

「ここ、何なんですか?」

「そば屋です。」

「それは分かってます。そうじゃなくて…。」

親父は少し考えてから、答え始めた。
「場所が悪いんですよ。時空の裂け目の上に建てちゃったみたいで。」

「えっ。そんな軽い話なの?」

「家賃が安かったんでねえ。」

私は妙に納得した。
都会に於いて、時空の歪曲より家賃の方が切実だという事実には、どこか抗い難い説得力があった。

その時、店内が急に暗くなった。
雲が太陽を覆ったのかと思ったが、決してそうではなかった。
窓の外に、なんと巨大な円盤が浮かんでいて、その銀色の巨体が空を塞ぎ、昼の街に異様な影を落としていたのだ。

私はもう、何が起きても驚くまいと自分に言い聞かせたが、既に驚きの最中にあった。
人間の決意というものは脆いものだ。

入口が開き、身長二メートルほどの宇宙人が二人入って来た。
頭部は異様に大きく、漆黒の目はまるで底なしの井戸のようだった。
指は六本あり、皮膚は濡れた陶器を思わせる鈍い光沢を帯び、触覚が生えていた。

二人の宇宙人は、テーブル席に座ると、金属を咀嚼するようなキリキリとした嫌な声で、
「モリソバ、フタツ。」と、注文を告げた。

親父は驚きもしなかった。
「二つね。」

「ヒトツ、ツユダクで。」

「牛丼じゃないんだから!」私は、思わず突っ込んだ。

宇宙人はきょとんとして、言った。
「デキマセンカ?」

「できますよ。」親父はあっさり答えた。

「できるのかよ!」私は、宇宙人だけでなく親父にも驚いた。

宇宙人たちは六本の指で器用に箸を操り、そばをすすった。
遥かな星海を越えてきた知的生命体が、私の隣で盛りそばを食べている。

文明とは何だろう。
知性とは何だろう。
そして、なぜ一人だけつゆだくなのだろう。
これまで培ってきた常識という概念が、根本的に間違っていたのではないだろうか。
あるいは、宇宙の常識に地球が合わせるべきなのかという疑問さえ沸いてくる。

やがて宇宙人の一人が箸を置いた。
「オイシイ。」

「そりゃよかったです。ありがとうございます。」
親父は嬉しそうだった。

「コノホシ、ホロボスノ、ヤメル。」

私は箸を落とした。
「ちょっと待て。今、ものすごいこと言ったぞ!」

親父は平然としていた。
「そば湯、飲みます?」

「ノム。」

「飲むのかよ。」
カウンターに置いた肘が滑り落ち、私はずっこけそうになった。

二人はそば湯まできれいに飲み干した。
「コノ味、銀河ニ広メル。」

「ありがとうございます。」

「マタ来ル。」

宇宙人の一人が立ち上がり、会計へ向かうと、私は思わず身を乗り出した。
戦国武将は穴あき銭、未来人は銀河統一クレジット、ならば、宇宙人は一体何でそば代を払うのだろう。

宇宙人は言った。
「ツケデ。」

「ツケかよ!」
私は思わず叫んだ。
地球を滅ぼせるほどの科学力を持ちながら、そば代は払えないらしい。

親父は腕を組んだ。
「困るんですよねえ。」

「店主、地球を救ってもらったんだから、それくらいよしとしたらどうです?」
なぜか私は、親父をなだめている。

「それとこれとは別です。」

「流石に経営者だな。」

宇宙人はしばらく考えると、指先で自分たちの宇宙船を指した。
「アレ、オイテイク。カタニ。」

「そば二杯で宇宙船を質に入れるなよ。勿体ない!」
私は、なぜか宇宙人を引き留めた。

親父は少し考えた。
「駐車場に入らないからいいです。」

「断る理由そこなのかい!」

結局、宇宙人たちはツケになった。

「コノ味、銀河ニ広メル。」

「その前に金払ってくださいね。」

「ワカッタ。マタ来ル。」
そう言って、宇宙人たちは巨大な円盤とともに空の彼方へ消え去った。


店内に穏やかさが戻った。

「店主?」

「はいよ。」

「そばで地球を救いましたね。」

「みたいですね。」

親父は宇宙人が使った丼を淡々と洗い始めた。
私はしばらく茫然自失となり、動けなかった。

地球を救ったのは、国家でもなく、英雄でもなく、最終科学兵器でもなく、二杯のそばだった。
私は今、人類史の巨大な転換点に立ち会ったのだ。

その時、再び空が暗くなった。
私が外へ飛び出すと、空一面を宇宙船が埋め尽くしていた。
それは、一隻や二隻ではなく、数千隻もの船団が銀色の鱗のように陽光を反射し、地平線の彼方まで連なっていたのだ。

「店主! 大変だ! やっぱり攻めて来た!」

「何事ですかい?」

親父が暖簾から顔を出すと、巨大な宇宙船から、雷鳴にも似た声が降って来た。
「モリソバ、フタツ、オネガイシマス。」

続いて別の船から声がした。
「ワタシ、カケ。」

さらに別の船からも、次々に声がした。
「オレ、タヌキ。」
「テンザル、オオモリ。」
「ニシン、アリマスカ。」
「ワサビ、オオメ。」

空から注文が雨あられの如く降り注ぎ続けた。
かつて人類が、これほど壮大な規模で宇宙人から注文を受けたことがあっただろうか。

親父の顔から血の気が引いた。

「店主?」

「はい。」

「銀河に広まったみたいですね。」

数千隻の宇宙船が、いつの間にか律儀に一列に並び始めていた。
宇宙の彼方からやって来た高度文明にも、順番を守るという倫理はあるらしい。

「…お客さん?」

「はい。」

「ちょっと手伝ってもらえます?」

「えっ。嫌ですよ。」

「時給千二百円で。」

「地球救った店なのに安すぎるだろ。」

親父は少し考えた。
「まかない付きなら?」

「どんなまかないですか?」

「かけそばです。」

「帰ります。」

「じゃあ、月見なら?」

「同じです!」
私が帰ろうとすると、親父は私の腕を掴んで離さなかった。


その日、人類は史上初めて、地球外知的生命体との本格的な交流を開始した。
国家も民族も言語も超えて、人類が遥かなる宇宙の星々の住人と邂逅した記念すべき日として、後世の歴史家はこの日を『ファースト・コンタクト』と呼んだ。
さらに、宇宙および時空では、親父の店に行く人に『ボン・ボヤージュ(Bon voyage)』と言う代わりに『ボン・オヤージ(Bon Oyaji)』と言って見送ることが大流行し、インバウンド客が増大したのであった。

そして今、私は十五年勤めた会社を辞め、そば屋の帽子を被っている。



ー おしまい ー



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