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「ワタシを生きる」物語|ワタシログ vol.1 icco

「本来のワタシを生きる」を実践するコミュニティであり、アトリアという生命体のような場所。

ここで日々繰り広げられる世界観をこのnoteではお届けしていきます。



第1回目は、アトリアクルーでもあり「はみだすラボ」を主宰するiccoのワタシクリエイトストーリーをお届けします。


朱紅shukou/育子icco

書家・美術家。認知発達の視点からアートと生き方を統合する「朱紅・書と生き方研究所」運営。枠を外し続ける「フリーランス教育者(Freelance educator)」「Art Play Worker(6月以降講座開始)」のコミュニティ「はみだすラボ」を主宰。アトリアクルー。


1.  アトリアとの出会い

出会いは、ひとりで駆け抜けていたあの頃

 出会いは当時、フリーランスになって3年目くらいでした。
教員を辞め、福祉と教育のつなぎめをコーディネートするという新しい活動をしている最中で、ビジネスの「ビ」の字も分からないまま一人で突っ走っていました。

それでもなんとか、当時では新しかったZOOMでの「自己組織化する教育」(思えば田原さんとの出会い)のグループなどに出会い、たくさんの新しい情報に触れることでつながった友人に、アトリアを紹介してもらったのです。

2. モヤモヤと違和感の中で

「わたしはこれでいい」と言い聞かせていた日々

 「一人公共事業」などという言葉で、稼げていないけれど大事な活動をしているんだ!と、自分を高めていたような気がします。

だからこそ、「わたしはこれでいいんです」と思ったり、
「本気でわかってくれるとは思いません」という態度すらあったような気がします。

 辞めてしまった自分、というのも消化しきれていなくて、「もう少しやれることがあったんじゃないか」という自責の念がときどき押し寄せたりしていました。


3. リトリートや学びを通して

“わたしは大丈夫”という独りよがりを超えて

 心理学を学び、発達障害分野を追求し、成人発達理論に辿り着き、独学でいろんなことを学んできたという自分の学びへの自信や、自分自身のことを理解するということに関しても、十分やってきている


どこかしら「わたしはもう大丈夫」という意識がありました(思えば相当自意識過剰です)。
だからこそ、「ちょっと答え合わせをしていく」のような気持ちで参加したのも正直なところです。

もちろん、「ああ、やっぱりそうだった」という答え合わせは大事だったし、自分が感じていたことの違和感が他者によって表現されていくときの感動も味わいました。

 でも、何よりも、「自分一人で学んだ気になっていること」の危うさ、ともすればずっとその「内側」だけで納得し、ぐるぐると「わたしは大丈夫」を繰り返してしまう変化のなさ、に気がついていきました。


4. 仲間とのつながりに目覚めて

ワタシを信頼できるワタシになる。

 これまでの人生の中で、「ともだち」や「なかま」と言えるような存在を作ってこなかったんだな、とシンプルに気がつきました。

市民活動を立ち上げて障害のある子どもたちのサークルを作るとか、教員を辞めることも誰に相談するでもなく勢いよく辞めて、突如新しい活動を立ち上げて作るとか、そういう勢いの良さはある意味では「一人で決めて、一人でやる」というわたしにとっては楽なことだったのです。

だからこそ、「すごいね」「普通はやれない」などの距離感のある賞賛(褒められている感じがしない)を得てはきたものの、頼ることもなくやり切って、自己完結するようなことばかり。

教員だったときに抱いていた「孤独感」のようなものの正体が、ちょっとずつ明らかになっていきました。

自分がいろんなことを感じすぎて疲れていたこと、もしかしたらそれは、自分自身がただ相手を信じていなかっただけなのかもしれない、、、
つまりそれは、自分のことを信じていないということなのかもしれない、と気づいた瞬間がありました。


5. 揺れ動くわたしと向き合う

やってきたことと、やっていないことの狭間で

 実はわたしは、コアクルーから縁側クルーになり、ROOMクルー、そしてコアクルーになったものの、やはり稼げていないまま(コロナ禍での落ち込みもあり)、クルーに戻り、そして最近またコアクルーになりました。

行ったり来たりしながらも、アトリアとの縁を繋ぎ続けたのは、やはりどうしても「これまで自分一人では気がつけなかった境地」のようなところに行けたという体感覚があったから。

これは言葉ではうまく伝えきれませんが、人には「心地よさ」だけでは済まないものがあって、その「ちょっと怖いけど間違いなくそっちに行った方がいい」ということを後押ししてくれる存在が必要なのだ、とはわかっていたのかもしれません。

それでも、物理的な問題として「今、クルー費を払えないわたし」という存在が、恥ずかしい、悲しい、そんな葛藤も思いっきり味わいました。

 さらには、やはりどこかで「これまでのわたし」という教員時代や、やってきた福祉教育関係のわたし、手を差し伸べる支援者という存在、そんな自分という見られ方しかされていないことへのコンプレックスがありました。

本当は、支援者そのものが満たされ、充実し、自己表現できる存在であることで、はじめて子どもたちや対象となる方と対等になることができるはず。そう思えば思うほど、「じゃあわたしはどうなの?」と突きつけられるような葛藤がありました。


 あるとき「いくちゃんはアーティストを前面に出すこと」という言葉をアトリアの代表のさわこさんが本気で伝えてくれたことがありました。

「個展をすること」をビジョンに書いていたものの、そこが遠かったわたしにとっては「お前いつ本気出すの?」というメッセージでもありました。

そのあたりで「わたしは何もやってない」と気がつき、思いっきりシフトを変えることができました。わたし以上に、わたしのことを本気で見ている仲間がいることの心強さ、それに対して背を向けていたのではないか、と思ったとき、自分でも驚くほどやることがクリアになっていきました。

 癒しきれていなかったのは、わたし自身が隠していた感情。「中途半端なわたし」というものへの痛み、悲しみ。

でもここで終わりにしたい。

 


6. 乗り越えた先で感じていること

“ひとりの正解”から、“誰かと創る答え”へ

 昨年の9月にアトリアでの個展、そして宮城でも個展を開催しました。

振り返ってもよくそこまで走ったな、というスケジュールでもあり、そこに向かうまでも壮絶な自己変容がありました(そのあたりはまたじっくり)。

でも、ひとつだけわかったことは、「自分で答えが出せそうなこと」はそれほどおもしろくないことで、「だれかに相談したこと」はそれぞれの体験を通してたくさんの答えが出てくるのだからおもしろいに違いない、ということ。

 以前は相談することが怖かったし、アドバイスされることも嫌だったような気がします。

決して自分を卑下するのではなく、「わたし」の頭の中やこれまでの学習でパターン化された行動に、他者のそれが加わったとき、当然ですが「わたし」は拡張し始めるのです。

そうか、「学び」という本質はそれなんだ、と気がつきました。



7. そして、これから

「はみだす」ことを恐れずに生きる大人たちへ

 わたしは今、アトリアとの共創で新しいオンラインコミュニティを作り、「はみだすラボ」というフリーランス教育者のためのサークルを運営しています。

こどもたちに関わる大人が、最も健やかであってほしい。

わたしと同じように、公教育に対してさまざまな葛藤を感じている方もいれば、本当に頑張っている先生方もいて、実は世界の中に「悪くしてやろう」と思う人はいないのに、なぜか停滞していることがあります。

それはもしかしたら、「わかっているのに変えられないと思っている現状維持パワー」みたいなものかもしれない、と思っています。

「やれば変わるのはわかっているけど、やらない」(怖い)

「本当はその方がいいのわかっているけど、言わない」(自分だけかもしれない)
のような、「はみだすのが怖い」というエネルギーを、そもそもはみ出して行こうじゃないか、というエネルギーに変えたい。

まさに自分自身が味わってきたさまざまな葛藤、何かに所属したから変わるわけではなく、自分をどれだけ冷静に見ようとしても見きることのできない「盲点」を、しっかり他者に委ねることの大切さを知ったからこそ、

「わたし」が「わたし」であることに意味があるのだ、ということを、小さく丁寧に伝えていきたいと思っています。

はみだすラボについて詳しい記事はこちらから▽


アトリアクルー公募がスタート(6/13〆切)

現在アトリアでは、新たな仲間を迎えるためのクルー公募を行っています(〆切:6月13日)。

「本来の自分を生きたい」
「対話の中で、自分の可能性をひらきたい」
「ひとりじゃ辿り着けない場所に行ってみたい」

そんな想いがふと心に浮かんだ方は、どうぞ気軽に、アトリアの世界に触れてみてください。

まずは雰囲気を感じていただけるイベントに、ぜひ一度遊びに来てくださいね。
▶︎ イベント情報はこちら▽

また、明日は特別企画!
アトリアクルーによるトークライブを配信します!
「自己価値をビジネスに転換し、循環を生み出すチャレンジ」をテーマにお届けします。
クルーたちのリアルな実践と想いを、ぜひ覗いてみてください。






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