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人を家に招いて、少し怖くなった理由。

私は昔から
「整っている状態」にいると
落ち着くタイプです。

机の中やロッカー、そして家の中。
物の位置が決まっていて
手に取ったときに
きちんと整っている感覚があること。

それは誰かに見せるためではなく
自分が安心して過ごすためのものです。

以前は
普段から整えている状態に加えて
人を迎えるときには少し整え直した空間を
そのまま見てもらうことが
自然なことだと思っていました。

小さな整いの積み重ねが
日々の過ごしやすさに
つながっていると感じています。

ただ、人を家に招いたときに
その“整い”が、思っていたものとは
少し違う形で見られることがあると
気づきました。

以前、家に知人が来たときのことです。

何気ない会話の途中で
ふとソファの下を覗いている姿が
目に入りました。
偶然というより
何かを確かめるような動きでした。

さらに、わざと物を落として
見えない場所を確かめている様子もあり
少し驚いたのを覚えています。

「見えないところまで
見ようとする人もいるのだ」

そのとき初めて、はっきりと意識しました。

家に人を招くと
空間との関わり方には
それぞれ違いがあるように感じています。

どうやって片付けているのか
物を手放す基準は何かと
興味を持ってくださる方もいれば

見えないところまで
そっと確かめるように
視線を向ける方もいます。

中には、引き出しに
手が伸びそうになる場面もあり
少し戸惑ったこともありました。

どちらが良い悪いというよりも
人の空間への関わり方には
違いがあるのだと感じた出来事でした。

人を迎えるということは
空間だけでなく
自分の内側にも少し
踏み込まれることなのだと思います。

そのとき初めて
自分のために整えることと
人にどう見られるかは
別のものなのだと実感しました。

整っていると
それが当たり前のものとして
見られることがある。

そして時には
「どこまで整っているのか」
試すような視線を向けられることもある。

整えることは
自分にとって心地よく過ごすための
大切な習慣です。

けれど、人の視線を意識しすぎると
それは途端に窮屈なものになります。

自分のために整えている限り
それは変わらず
安心できるもののままでいられる。

今でも、整えることは変わらず好きです。

ただ以前よりも
「見られること」に対して
少し距離を取れるようになった
気がしています。

整っていることは
誰かに評価されるためのものではなく
自分が心地よくいるためのものだと思います。

そしてもうひとつ
大切にしたいと思うことがあります。

それは、
「どこまで人を招き入れるか」
自分で決めていい、ということです。

空間にも、気持ちにも、境界線があっていい。

それを守ることは
誰かを拒むことではなく
自分を大切にすることなのだと思います。