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ナチュールワインに対する圧倒的違和感

    「ナチュールワイン」というものに気持ち悪さを感じるのは自分だけだろうか。もともと法律を専門に四角四面の世界で生きてきた自分にとって「定義がない」というものはひどく困惑するもので、出会った当初から違和感を覚えていた。今回はその違和感の正体を言語化していきたいと思う。

    ナチュールブームは突如始まった

    語り尽くされた話かもしれないが、歴史を紐解くと、ナチュールワインの思想自体は1970年代からあるらしい。ボジョレーのGang of Fourと呼ばれる4人の造り手が「介入しないワイン造り」を始めて数十年、当時はずっとニッチだった。手間がかかる、歩留まりが悪い、品質が安定しない。マーケットがそれを求めていなかったのだ。

    2010年代半ばに突如、Instagramの#naturalwineが220万件を超え、従来のワイン権威主義に反発した世代がナチュールをパンクとして消費し始めたのがブームのきっかけだ。スタートが味ではなく文脈で起きたブームなので、文脈が変われば当然そのブームも終わるとは思うが、いったんそれは置いておく。

    これは歩留まり70%のビジネスモデル

    ナチュールワインの生産プロセスを冷静に見ると、ビジネスモデルとして割と破綻している。野生酵母に任せるから発酵が止まるリスクがある。SO2を入れないからワインが酢になるリスクがある。ビオディナミで畑をやるから収量が落ちる。歩留まりが70〜80%で、しかも品質がヴィンテージごとにギャンブル。圧倒的ギャンブル。これを製造業として見た場合、不良品率20〜30%のポンコツ工場だ。それが良いか悪いかは別として(個人的には悪いと思っているが)、製造業としては割といい加減なのだ。

    哲学という名の思考停止

    iDealwineのブログが指摘する通り、揮発酸やマウス臭、ブレット臭を「特徴」と呼ぶか「欠陥」と呼ぶかは永遠の議論だ。だが法定基準値を超えていたら、それは議論以前に規格外だろう。

    以前、防腐剤や添加物を使用せず、砂糖も控えめに作られたマフィンを食べて健康被害の訴えが相次いだ事件があった。あのマフィンとナチュールワインの間に共通するのは、「無添加であること自体が正義」というある種の思考停止だ。人類が公害や薬害を経て積み上げてきた科学的知見を、「無添加」の三文字で全否定する。マフィンではそれが食中毒になった。ナチュールワインでは揮発酸まみれのビネガーになる。危険度は違うが、思考の構造はまったく同じだろう。

    この手の人に「マウス臭がする」と言えば「あなたのパレットがクラシックに洗脳されている」と返されるが、これはビジネスではなく宗教に近い。

    開けるまで中身が分からないブラックボックス

    ナチュールワインに感じる違和感の中で、消費者として最も実害があるのは再現性の問題だ。

    従来のワインには、産地と品種という座標軸がある。ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランを買えば、パッションフルーツと青草のアロマがほぼ確実に待っている。その品種のポテンシャルを引き出すために、収穫時期の選定、温度管理、酸化防止——長年培われた技術が投入されているからだ。

    ところがナチュールワインの多くは、この座標軸を持っていない。品種の典型的な個性を引き出す技術をあえて使わないから、ブラインドで飲んでも品種が分からないワインが量産される。同じ生産者の同じキュヴェでも、ヴィンテージによってスタイルが変わる。なんなら瓶によっても変わる。「ワインは一期一会ですから」と言われればもののあはれだが、3,000円払って開けるたびにルーレットを回されるのは、消費者として率直に困る。再現性のない商品を「自由な造り」と呼ぶのは、なかなか無責任だと思うのだ。

    もはやただのマーケティング用語

    冒頭でも書いた通り、ナチュールワインには法的定義がない。EUにもOIVにも「ナチュラルワイン」を定義する公式規格は存在しない。つまり裏を返せば、誰でも自分のワインを「ナチュール」と呼べることになる。

    もはやただのマーケティング用語だ。「天然」「手作り」「こだわり」と同じカテゴリー。響きがいいから使うだけで、それ以上の正確な意味がない。適当な用語が一人歩きしていて、それを支持している人も「よく分からないけどクールっぽいもの」にヴァイブスを感じている。支持している側も味がどうこうではなく、こうなると単なるファッションだ。

    そしてこの曖昧さは、もう一つ厄介な副作用を生む。「ナチュラル=善」の図式が定着すると、裏側で「ナチュラルと名乗っていないワイン=体に悪い」という間違った認識が広まることだ。原産地呼称法に従い、品質管理を徹底し、添加物も必要最小限に抑えて真面目にワインを造っている生産者が、ラベルに「ナチュール」と書いていないだけで疑いの目を向けられる。これはもはや軽い風評被害だろう。

    応援は感情、感情は飽きる

    「小規模生産者を応援したいからナチュールを買う」という動きもあるようだが、そもそも生産者は応援されたいのではない、儲けたいのだ。なぜならこれはビジネスだから。どんなに綺麗事を言ったところで所詮はビジネス、圧倒的ビジネス、ならば儲けを追求するものだ。

    とするならば、このような「応援消費」はそもそも持続しないという前提を認識すべきだろう。応援は感情であり、感情にはブームがある。ブームが去れば応援は止まる。その時、「応援」に依存していた生産者は梯子を外され、畑の片隅でしょぼんとするに違いない。作り手にとっても飲み手にとっても、このナチュールワインという存在は健全ではない。


    圧倒的個人の意見です。

     
     
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