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No.51 深夜三時に必ず目覚める親父は、胃袋がおやつなのか?

不思議なことがある。

私は長年、ほぼ決まって深夜三時に目が覚める。

いや、別に腹が減っているわけではない。

ラーメンを食べたいわけでもないし、長崎ちゃんぽんの亡霊が枕元に立っているわけでもない。

それなのに、目だけはきっちり開く。

まるで身体のどこかに、見えない目覚まし時計が埋め込まれているようなのだ。

若い頃は違った。

英国へラグビー留学し、そのままヨーロッパを放浪していた頃の深夜三時は、少し事情が違う。

将来どうなるのか。

帰国して仕事はあるのか。

そもそも英語が通じているのか。

財布の中身は明日まで持つのか。

そんな不安や心配が夜中にむくりと起き上がり、私の胸の上でスクラムを組んでいた。

だから目が覚めた。

理由ははっきりしていたのである。

しかし五十路を過ぎた今、目覚める理由がよくわからない。

家族は寝ている。

町も静かだ。

世界中の大半の人類が夢の中を漂流している時間だ。

なのに私だけが天井を見つめている。

ふと考える。

もしかすると、これは空腹ではなく、人生の習慣なのではないか。

人間の身体は面白い。

若い頃に繰り返した心配や緊張や努力を、まるで古いカセットテープのように記録している。

そして夜中の三時になると、

「おい、起きる時間だぞ」

と勝手に再生を始める。

まったくありがた迷惑な機能である。

九州男児という生き物は、とかく猪突猛進だ。

走る。

頑張る。

我慢する。

そして気がつけば身体のほうが先に覚えてしまう。

頭では忘れても、身体は忘れない。

深夜三時の目覚めは、もしかすると私の人生そのものなのかもしれない。

それでも最近は少し考え方を変えた。

目が覚めたら、

「またか」

ではなく、

「おう、今日も生きてるな」

と思うようにした。

長い人生を旅に例えるなら、深夜三時はサービスエリアみたいなものだ。

少し目を覚まし、水を飲み、また眠る。

それで十分なのである。

若い頃の不安で眠れなかった三時。

家族を支える責任で眠れなかった三時。

そして今、理由もなく目覚める三時。

振り返れば、そのどれもが私の人生だった。

そう考えると、深夜三時は敵ではない。

むしろ長年連れ添った悪友のような存在だ。

「おう、まだ生きてるか」

そう声をかけに来ているのかもしれない。

もし今夜も三時に目が覚めたら、私は少しだけ笑ってみようと思う。

胃袋がおやつを欲しているのではない。

人生そのものが、私に小さな点呼を取っているのである。

そして、その点呼に返事ができるうちは、まだまだ旅の途中なのだ。

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