124. 基礎編 / 歴史 / 天皇の足跡と筑紫国、豊国
色んな歴史的有名どころの神社や古墳を徘徊して由緒書きを目にする訳ですが、改めて思うのが福岡県って大陸への玄関口なので歴史的宝庫感が満載なんだなぁって...。
こんにちは、加来各論です。
そんな訳で今日は歴代天皇と福岡県にまつわる話です。
筑紫国と豊国、特に豊前が一緒になったのが福岡ですし、両者の間には大陸も絡めて幾層にも歴史が降り積もっている訳ですね。もやもやしてるので一旦概要整理の項です。なので大して面白くないので飛ばしてください...笑
黒曜石の伝播も腰岳産@伊万里が南西方面、姫島@大分が瀬戸内を中心に東方へ。スペイン・ポルトガルの大航海時代の様な同意の上の棲み分けが出来てます。俺は東、お前は西!みたいな。

時と自然の希跡ジオパーク
天一根(あまのひとつね)
@姫島にて。

伊万里市歴史民俗資料館にて。
子供の頃は週末になると福岡市から昔水城があったという母の実家である祖父宅に父の運転で戻るのですが途中八木山峠のドライブインで食事しながらロート製薬のクイズ番組を見るのが恒例だった気がします。途中、仲哀トンネルを通るのですが中学生くらいになると仲哀天皇と同じ名前であることに気づくわけです。
そんな子供も時は過ぎ、白髪が生えると自分の欠損部である東西の歴史を掘り始める訳です。今回はそんな活動の中で気づいた福岡県内の歴代天皇と福岡県の所縁をざっと整理します。
初代 神武天皇 / 東征の途中、1年間滞在したのが黒崎の岡田宮。
12代 景行天皇 / 日本武尊 Yamatotakeru の子。九州巡行の際、高良山に登り国情を観察。高良大社@久留米市の主祭神、高良玉垂命 Koura Tamatareno Mikotoについては諸説ありで、武内宿禰説、景行天皇説の2つがある。
音が似ている景教はネストリウス派の意。ペルシア人宣教師「阿羅本(アロペン)」が635年頃に長安へ伝え、大秦寺(教会)が設立されました。大秦は中国語でローマなのでローマ教会、景教は「光の信仰」を意味し、781年建立の「大秦景教流行中国碑」に記録が残っています。高野山にはそのレプリカの石碑が英国女史によって建立され、そして博多の東長寺には模した様な石碑が残ります。耕作されてる気配、気のせいか🤔
この筋だと日本の寺はローマネストリウス派、学術系キリスト教となります。見た目は日本風にアレンジされてますね。教えの中にローマ的な要素が入ってるのかな、どうやって調べるか🤔
14代 仲哀天皇 / 熊襲(くまそ)征伐のために筑紫の訶志比(かしひ)の宮、現香椎宮を営む。神託を信じなかったため崩御。神社より格上の宮の称号を持つ。

15代 応神天皇 / 御降誕の地として宇美八幡宮建立。国家守護の八幡神として宇佐八幡宮@大分県に祀られる。奈良時代に奈良東大寺に移り2025年10月宇佐八幡宮に戻る。

16代 仁徳天皇 / 応神天皇の子。若宮は皇子を指す一般名称ですが応神天皇が偉大なためその子の代名詞として若宮を指すことに。若宮神社@宮若市に祀られる。幼名は 大鷦鷯 おおさざき。

民の竈 / 仁徳天皇が民の竈(かまど)の煙が上がらないのを見て、三年間租税を免除。
仁徳天皇の 民の竈 kamado のエピソードは宮若市や直方界隈の景色と重なります。界隈は山に囲まれ風がなく野焼きの煙がスッと立ち昇る姿はまさにと言う印象です。庶民の増税スレが立つのを見て、ならば減税...とはならないみたいみたい。今はお金がいる時期ですから。
37代 斉明天皇 / 百済救済の為、筑紫に下向、筑紫朝倉宮で病没。その死を悼み中大兄皇子(天智天皇)が建立したのが観世音寺@大宰府。
40代 天武天皇・持統天皇 / 観世音寺・大宰府。

鬼👹が作った様にも見えます。
観世音寺にて。
ここの観音像ですが三体のうち左の一体のみ胸と両膝に鬼の装飾が付いているものがあるのですが三身一体な渡来人を従えた印象です。三身一体と言えばキリスト教。残念ながら撮影禁止でした。
ちなみに太宰府は現代の地名・施設は点あり、歴史的なものは点なしの大宰府となります。
81代 安徳天皇 / 壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇とその母を筑後川のほとりで祀ったのが水天宮@久留米。東京日本橋の水天宮は久留米藩が分祀したものだそうです。
福岡住まいの方なら耳にしたことがある身近な天皇の名前が並びますね。ただ世代を見るに一時的に居を構えていた印象。
逆に土地建物目線で復習...
岡田宮@北九州 / 初代天皇が1年間滞在。石造り感が凄いので熊本の東陽石工かな。
高良大社@久留米 / 高良玉垂命が記紀に登場するのは8世紀末以降。

垣根と祭殿の二重のXが意味深、緑と合わせると西方の感覚だと英国になります。オリオン座の解釈もあります。4隅をクロスさせて千木 Chigi、三連星が鰹木 Katsuogi。オリオン座を祀っているのは住吉神社ですね。

香椎宮@福岡市 / 仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀る。
宇美八幡宮@宇美町 / 神功皇后が応神天皇(八幡様)をご出産。糟屋郡一帯は6世紀前半の磐井の乱に際して筑紫君葛子から 糟屋屯倉 Kasuyano Miyake として献上され、ヤマト王権の朝鮮半島進出の足がかりをなす。

榎社@大宰府 / 白村江の戦い後の拠点であり当時の大宰府の中心。平安時代以降は現在の大宰府に移る。
水天宮@久留米 / 社伝によれば、寿永4年(1185)高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まり。
現人神社 Arahito Jinjya@那珂川 / 神功皇后が三韓征伐の際に守護を得た「住吉三神」が現れた場所。福岡市の奥地、那珂川には農業用灌漑の逸話が多く残されます。

八角形の手水鉢が増設。
気と水は流動性が命なのですが…。
黒木町 / 景行天皇訪問地、八女津姫という女神から地名をもらう。三越創業者・日比翁助生誕地、三越のルーツである越後屋(三井家)? 3と8、景教を暗示?
黒木町五条家 / 後醍醐天皇の皇子である懐良親王(かねよししんのう)を支えた公卿・五条家が、黒木の地に拠点を置く。
・九州の民が地球物理学的事象を避けるため大陸に長い時間をかけて行って来いして文明、言語のズレが生じ治安が乱れ、そこからの征伐か。
・大陸の鉱物ニーズの為、九州を足掛かりに鉱物資源を狙い、定住/農耕はしない系統ですから腹が減ると山から下りて先住民とトラブルに。これを隠すための密教や山岳信仰かと。そもそも日本の言葉が喋れませんから秘密を前提にして喋れないを密教という掟に置き換えた気配もありますがどうなんでしょう。
古墳色々...
ざっくり一般論ですが
方墳 / 中国
円墳 / 半島
前方後円墳 / 大和朝廷
先人が世代を超えて大陸の文化を持ち帰ったのか、それともただの渡来と捉えるか。中国秦氏を陸路組、新羅秦氏を海路組と捉えると海路組の方が先に一団で到達しそうです。秦氏とはコンスタンチノープルから逃げて来たネストリウス派キリスト教、彼らは技能系学術組織の下地のある宗教組織かな。
倭国大乱 / 2世紀後半(弥生時代末期)に倭国で起こったとされる争乱。吉野ヶ里では矢じりの刺さった人骨等、戦の痕跡が見つかる。
思うに...地球物理学的事象の影響で全住民が九州から退去、鉱物資源が湧き出た所に渡来となった住民が戻って来たら時が過ぎ言葉も変わりで先住組と騒乱となったということかな。伝承では渡来組は鬼と表現された。鬼には角が生えていますがうさぎに対する牛と対比構造を作っているのかなぁとも思います。鬼たちは拝火教の要素をもっているので夜間火をともして山野を巡り鉱物を探す、鬼火と呼ばれ先住組に怪しまれ盗みをするので結果討伐かと。その辺が斉明天皇と朝倉橘広庭宮の話かな。百済が唐・新羅に滅ぼされますから多数難民が入り込んだものと思われます。
以上は各論仮説ですがそのうち気が向いたら掘るかも...。
結論 / Conclusion
北辰の系譜、
店主の穴掘りは引き寄せられるまま...。
辰
辰砂の辰は中国湖南省界隈の辰州から由来します。日本では丹 に、朱砂 しゅしゃ と呼びます。大分の丹生は一大産業と呼んでいいと思います。呼び名が多いので結構紛れてますが、知ると見えてきます。
居抜き神社
社家を失い空き家となった神社を居抜きで譲り受け存続する無機的な印象の神社を勝手に居抜き神社と呼んでます。
注意 スキ大歓迎、リンク歓迎、禁不許可転載複製、応相談、少人数出張座学承ります。
*写真は宇佐八幡です。人気スポットなので写真撮ると必ずわらわらと人が写ります…。そのうちAI画像スクリーニングで著作権主張する時代に入りそうなので人が写らない上半分だけ使いました。
20260426 追記

鬼の角とも…
顔料にまみれると赤鬼、青鬼になります。
顔料の赤丹生、青丹、
音が似てますね。
解決しました✨
我ながら鋭い。
