Terraria建築勢は、家を建てていない
昔、NPCの家を作る企画に参加したことがある。
NPCごとに家を作る。
それだけの企画だった。
テンプレートが決まっていて、ブロック数は固定。間取りも決まっている。
だから最初は、同じような家が並ぶのだと思っていた。
実際は全然違った。
私は釣り小僧の家を担当した。
最初は海辺に家を置こうと思った。
ただ、それだけだった。
枠組みを考えているうちに、少しずつ変な方向へ進み始める。
釣り好きならデッキで釣りをしそうだ。
じゃあ海にせり出したデッキがあった方がいい。
釣具は海水で汚れるから外で洗いたい。
じゃあシンクも置こう。
釣果の記録を付けそうだから本棚も欲しい。
ルアーや道具をしまう棚も必要だ。
夜釣りから帰ってきたら、濡れた服を掛ける場所も欲しいかもしれない。
気づけば家ではなく、釣り小僧の生活を考えていた。

他の参加者も似たようなものだった。
ドライアド担当の友人は、木を生やしすぎて大家に怒られる設定を作っていた。
別の友人は、ゴルファーのためにVR打ちっぱなし施設を作っていた。
何を言っているのかわからないと思う。
私もわからない。
でも当時の建築勢は割と真面目だった。
海賊なら戦利品を飾りたくなるだろう。
仕立屋なら上客を迎える部屋を作りたくなるだろう。
酒場なら常連が集まる席を考えたくなるだろう。
そんなことを真面目に考えていた。
今振り返ると、私たちは家を建てていなかった。
住人を建てていた。
誰がどんな性格で、
どんな趣味があって、
どんな一日を過ごしていて、
何を大切にしているのか。
まずそれを考える。
建物はその結果として生えてくるだけだった。

不思議なことに、完成した家を見ると、その人がどんな生活をしているのか少し見えてくる。
どこでくつろぐのか。
どこで仕事をするのか。
何を集めているのか。
何が好きなのか。
家はその人自身だった。
だからTerraria建築勢は、家を建てていない。
住む人の人生を建てている。
今振り返ると、あの企画は建築イベントではなかったのかもしれない。
ただのNPC住宅企画のはずだった。
でも実際には、みんなで架空の住民の人生を考える遊びだった。
そしてたぶん、それがTerraria建築の一番面白いところなのだと思う。
