お!中年の危機を脱したかもしれない
最近、ふと思った。
「あれ? 俺、もしかして中年の危機、抜けたんじゃないか」
もちろん、何かの試験に合格したわけではない。
朝起きたら「中年危機脱出おめでとうございます」というメールが届いたわけでもない。
ただ、以前なら気になっていたことが、どうでもよくなってきた。
人からどう見られているか。
自分はちゃんと評価されているか。
このままでいいのか。
もっと何者かにならなければいけないんじゃないか。
そういうことを、以前はずいぶん考えていた。
ところが最近は、
「まあ、俺は俺だしな」
で終わる。
これは諦めなのかもしれない。
でも、どうも違う。
むしろ、諦めるものと、諦めないものがはっきりしたのだ。
他人からの評価は、もうそんなにいらない。
でも、作品は作りたい。
誰かに認められるためではなく、
自分が「これ、面白いな」と思うものを作りたい。
人生を成功させたい、という気持ちも薄くなった。
その代わり、
「今日、ちょっと面白かったな」
という日を増やしたくなった。
考えてみれば、中年の危機というのは、
「人生の後半戦に入ったのに、まだ前半戦のルールで自分を採点している」
ことなのかもしれない。
若いころは、勝ったとか負けたとか、出世したとか、認められたとか、誰より先に進んだとか。
でも人生の後半になっても、それを続けていると、だんだん苦しくなる。
なぜなら、人生は競技場ではなく、だんだん自分でルールを作る遊び場になっていくからだ。
最近の私は、少しずつそのことに気づいてきた。
もちろん、仕事で失敗すれば落ち込む。
作品が読まれなければ、ちょっと寂しい。
「もっと評価されてもいいんじゃないか」と思う日もある。
でも、そのあとに、
「まあ、また作ればいいか」
と思える。
この「まあ、また作ればいいか」が、意外と大きい。
若いころは、一回の失敗を人生の判定だと思っていた。
今は、一回の失敗を次のネタだと思っている。
これが中年の危機を脱したということなのかもしれない。
人生に答えが出たのではない。
むしろ逆だ。
答えが出なくても、別に困らなくなった。
最近の私は、人生という長編小説を必死に完成させようとしていない。
今日も一行書く。
明日、また一行書く。
途中で変な方向へ行ったら、
「おお、そっちに行ったか」
と笑う。
もしかすると人生の後半戦で必要なのは、
「正しい道を見つけること」ではなく、
道を外れても、それを道だと思って歩ける能力なのだ。
そう考えると、歳をとるのも悪くない。
若いころより、人生がうまくなったわけではない。
ただ、
人生を、うまくやらなくてもよくなってきた。
たぶん私は、そこから少し自由になったのだと思う。
