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「亀雖寿」 ~ 魏武帝(曹操)

曹操は漢末、三国時代の混乱期を収め、ふたたび中国全土を統一へ向かわした有能な統治者として知られていますが、その二人の息子と共に詩人としても名高いです。

政治家、武将としての曹操については、あちこちの歴史書やゲーム・コミックに至るまでいろいろ書かれています。曹操についてどう考えるかは各人の自由ですので、ご自分なりの気に入った・気に食わない曹操像で結構と思います。

ただ政治家・詩人としての曹操については吉川幸次郎『三国志実録』、歴史上の人物としての曹操については魯迅「魏普の気風および文章と薬および酒の関係」に目を通していただければ、益するものがあるかと考えています。

曹操の詩
前もって言っておきますと、現存する曹操の詩三十数首「詩の全てが楽府、すなわち歌謡としての言葉である」(吉川幸次郎)ということです。もとの曲(楽府)があり、それの替え歌としての歌詞が「詩」として伝わって来ています。

曹操の詩というと、近頃では彼の「短歌行」を代表作のように扱っていますが、この詩は、使っている言葉は凡庸ですし、歌われている感情もありきたりで、現在まで残されている曹操の詩の中では、あまりできのよくないものと思っています。

この詩が有名になったのは『三国志演義』の中の赤壁の戦いの場面につかわれていて、馴染みがあるということだけによるのでしょう。ついでですが、人間には「刷り込み」が効果があり、何回も同じ曲や台詞を聞かせるとなぜかそれが良いもののように思えてきます。俳句や宗教における祈りの句などはその代表的な例です。

個人的に一番好きな曹操の詩は「亀雖寿」です。
この「亀雖寿」は、歩出夏門行という行(楽府題=歌謡)の連作の一つですし、先の「短歌行」も行です。漢代から唐代にかけてもおなじで、現在われわれが「詩」と呼んでいるものも、当時では流行歌のように歌われていた、と言われています。宋代に入ると宋詞というものが流行りますが、これも曲に合わせて歌われたものです。
どんな風に歌われていたかは資料が残っていないので残念ながら判っていませんが、現在の中国ドラマの主題曲や鄧麗君(テレサ・テン)の中国語曲でも聞けば雰囲気が解るかもしれません。中国語は非常に音楽的な言語です。

魏武帝 「亀雖寿」(歩出夏門行)
神亀雖寿   長生きをする亀だって、
猶有竟時   いつかはきっと死んじまう。
騰蛇乗霧   空とぶ蛇も最後には、
終爲土灰   霧から落ちて土くれに。
老驥伏櫪   老いて厩に伏してはいても、
志在千里   千里を夢見る馬もいる。
烈士暮年   歳はとってしまっても、
壮心不已   やる気は昔のままなのだ。
盈縮之期   ゆったり生きるかせこせこは、
不但在天   天が決めてるわけじゃない。
養恬之福   心静かに愉しむことを、
可得永年   永く続けていきたいものだ。
(以下は当時の歌の決り文句)
幸甚至哉   ああめでたいな、たのしいな
歌以詠志   思うところをうたおうよ

この詩の題名に「亀」と「寿」の字が入っています。「鶴は千年、亀は万年」といった言葉を思いおこし、お祝の詩だとか、生き方次第で頑張れば長生きできるとかうたった詩のように思われるかもしれませんが、残念ながら、そのような詩ではありません。
この詩に出てくる神亀は「長生きだけど、いつかは必ず死ぬ」とされており、決して寿を言祝ぐものとしては扱われていません。

後漢末の大乱世を生き抜いている曹操にとって、死とは日常であったと思われます。彼の中には永遠の生命とか長生きといった甘ったるい願いなどこれっぽちもなかったでしょう。
だから「人智を越えた神亀や騰蛇ですら寿命には限りがある(ましてや人間には)」と冷徹に現実を見つめるところから詩は始まっています。

そして生き抜けば必ずやってくる老い、しかし秦の始皇帝のように仙薬を求めて老を食い止め、長生きをしようなどとは毛頭思っていなかったに違いありません。老は間違いなく現実としてやってくるが「老驥や烈士の心までも老いさせることはできない」。
身体は老いても心までもが老いるわけではない、心にはいつまでも若々しい情熱を燃やし続けることができるのだ、と生きていく人間の心の在り方を提起します。

だから、生きていれば天が決めたとしか思えない運不運に廻り合うことは仕方ないが「人がどう生きるかまでは天に決めさせてたまるものか。生きているうちは心を生き生きとしていよう」。

天とか神に頼るのではなく、人が人として力いっぱい生き、人生を謳歌しようする方向を示しています。

大混乱の時代を駆け抜いた英傑の心意気を見事に表している詩と感じます。

【語釈】

神亀    崑崙山の第五層に住むといわれる人の言葉が判る亀。
     [キョウ]おわる(終)。
滕蛇    [トウダ] 龍のたぐいである。雲霧を巻き起し、
        その中を遊ぶことができる。
     [キ] 良馬。一日に千里を走る馬をいう。
     [レキ] 厩の床下にわたす横木。櫪には厩桶の意味もある。
盈縮之期  盈 [エイ]=満ちる、溢れる。縮 [シュク] =ちぢむ、
      ここでは「(心を)思うように伸ばせるか狭く縮まって
      しまうかは」ととりたい。期=あふ(会う)。
      一般には寿命の長短と解しているが(入谷等)、この解釈は
      期之盈縮に対してなら相応しいと思う。
      [テン] =やすらか、平気なさま、静か。
幸甚至哉歌以詠志 当時の楽府の歌詞の終りにある決まり文句で、
         歌の意味とは直接関係ない。

【煩注】

歩出夏門行
楽府の題の一つ。元々の詩句は断片しか伝わっていないという。
曹操の歩出夏門行は「偏」「觀滄海」「冬十月」「河朔寒」「亀雖寿」の五つの詩からなる連作。

楽府は「がふ」と読む。ここでは楽府詩を指している。楽府(役所の名前の時は通例「がくふ」と読んでいる)とは元来古代中国で音楽を管理した役所で、楽師の訓練や楽譜の制定と並んで民間歌謡も収集した。

この楽曲と歌詞は「楽府詩」と呼ばれ、また単に「楽府」とも呼ばれた。後にこの歌詞に真似て作られた詩歌も「楽府」と呼ばれた。曹操の詩はこの最後の分類に該当するものです。

尚、晩唐の李賀の「仏舞歌詞」には「丹成作蛇乗白霧 千年重化玉井土 従蛇作土二千載 呉堤緑草年年在 背有八卦稱神仙 邪鱗頑甲滑腥涎」とあり、これは古い仏舞歌「亀雖寿」に基づくものと言われています。

神亀
晋の王嘉(? ~ 390?)の著作と伝えられている『拾遺記』には、「崑崙山の第五層に住むといわれる人の言葉が判る亀。長さ一尺九寸(約58cm)で翼が四枚ある。一万歳になると木にのぼって暮す」と記されています。
尚、魯迅は『拾遺記』について「本書の表現は、かなり装飾的で、内容もすべて誇張的で真実感に乏しい。」と評しています(魯迅『中国小説史略』)

また、『述異記』には「亀は一千歳で毛が生え、五千歳の亀を神亀といい、一万歳の亀を霊亀という」と記されています。
『述異記』は南朝斉梁の任昉(460 ~ 508)の編纂したものと伝えられていますが、 雑多な怪異譚の寄集めで、後世の者が任昉の名で刊行したものとされています。
任昉は斉・梁の二朝に使えた高名な文学者であり、博学で知られ、竟陵八友の一人です。

滕蛇
『藝文類聚』蛇[96-3]には「龍のたぐいである。雲霧を巻き起し、その中を遊ぶことができる。:晉郭璞騰蛇贊曰.騰蛇配龍.因霧而躍.雖欲昇天.雲龍陸莫.材非所任.難以久託。)

『藝文類聚』には「爾雅曰.螣.騰蛇.能興雲霧.蟒.王蛇.蛇之最大者。」ともある。

さらに『藝文類聚』には「淮南子曰.夫騰蛇.雄鳴上風.雌鳴下風.而化成形.精之至也.又曰.豹獸不可使緣木.蝮蛇不可使安足。)ともある。

また、『韓非子』難勢篇には「 飛龍は雲に乗り、滕蛇は霧に遊ぶ。しかし雲がやみ霧が晴れれば、龍も蛇も蜥蜴や蟻と同じになろう。それは乗物をなくしたからである。」と記されている。

老驥伏櫪
『漢書』李尋伝を踏まえているという説がある。これを採用するとこの部分は「老いた駿馬の飼育に甘んずるは、なお千里を馳せんがため」となる(『漢・魏・六朝詩集』注24、101頁)。

驥[キ]は、良馬。一日に千里を走る馬をいう。

尚、驥を分解すると「冀馬」となり、冀州に産する良馬を指す。冀州=古代中国を九州に別けたときの一つ。現在の華北省・山西省の全部、河南省の黄河以北及び遼寧省の遼河以西の地域。

『藝文類聚』に引く魏文帝(曹丕)の「典論」には「今之文人.孔融陳琳王粲徐幹阮瑀應瑒劉楨.斯七人者.於學無所遺.於辭無所假.咸自以騁騄驥於千里.仰齊足而並馳.以此相服.亦良難矣.」とある。

【参考】

吉川幸次郎『三国志実録』(ちくま学芸文庫)
魯迅「魏普の気風および文章と薬および酒の関係」
    (竹内好編訳:魯迅評論集、岩波文庫)
竹田晃『曹操』(講談社学術文庫)
伊東正文他編訳『漢・魏・六朝詩集』(中国古典文学大系、平凡社)
松枝茂夫編『中国名詩選』(ワイド版岩波文庫)
入谷仙介『古詩選』(新訂中国古典詹、朝日新聞社)
吉川幸次郎『曹操の楽府』(『中国詩史(上)』、筑摩叢書94、筑摩書房)
魯迅『中国小説史略』(ちくま学芸文庫)
『藝文類聚』@web

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碧山雑文目録


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