見出し画像

清平吉(せいへいきつ) ~ 列仙酒牌

【讃】忽往兮倏來、撰言旍兮徘徊
   たちまち去って、たちまち来たる。
   言葉を選んではっきり言っては、また別のところへ移る。
(酒約)飮武士大杯。:武人は大杯で飲め。

<清平吉 任渭長 列仙酒牌>

清平吉

葛洪『神仙伝』には次のように書いてあります。
「清平吉は沛国の人で、漢の高祖の時の衛兵であった。
光武帝の時代になっても容色は老けなかったが、のち尸解し去った。百余年たって再び郷里に帰り、数日してまたも尸解して去った」。

清平吉について、これ以上の情報は資料やネットをいくら探しても出てきません。…ということで、今回はこヽで終わりにするしかないかなぁ、とも思いましたが、雑文を続けます。

尸解とは 

清平吉は尸解したので仙人になったとされています。

古代中国人の考えでは、人は「たましい」と肉体からなり立っています。「たましい」は魂魄と言い、魂は陽の気で人が死ねば天に帰り、魄は陰の気で人が死ねば地に戻ります。

「尸解」は「屍解」とも書きますが、身体のみを残して、魂魄が抜けさることを言います。死んだ直後に魂魄はそれぞれ天と地に帰り、死体は残っていますが、しばらくするとその死体もなくなってしまいます。

葛洪の主著『抱朴子』内篇・巻二にはこう書いてあります。
仙道の経典からの引用として「最上の道士は肉体のまま虚空に昇る。これを天仙という(上士舉形昇虚,謂之天仙)。中位の道士は名山に遊ぶ。これを地仙という(中士游於名山,謂之地仙)。下位の道士は一旦死ぬが、後で見ると蝉のようなもぬけの殻。これを尸解仙という(下士先死後蛻,謂之屍解仙。)」と書いてあります。

二百年以上も年をとらず、尸解したということですから、『神仙伝』の作者(葛洪)から見れば、十分に仙人の資格があるということでしょうが、日本人の目から見るとどうもすっきりしません。まぁ後の世でこの人の名を言う人がいませんので、中国人から見てもそんな大したもんじゃないと思われたのでしょう。

尸解の始めと言われる人

史書に記載されたものですと、尸解というのは漢の武帝の時代にいた李少君に始まる、と思われます。

李少君とは漢の武帝に非常な長寿の人間という触れ込みで売り込み《鬼神を呼びよせれば、丹沙を黄金に変えることができます。その黄金で作った器で飲食すれば、寿命が延びます》(『史記』封禅書)とか武帝に吹き込んで信じさせていましたが、死んでしまった男で、仙人と言われています。

『史記』では《武帝は死んだものと思わず仙化したと思い込んでいた》としか書いていませんが、あの劉向と一緒になって出鱈目を言いたい放題だった董仲舒の著書と言われる『李少君家録』を引用して『抱朴子』には次のように書いてあります。

《李少君が世を去ろうとするとき、武帝は〔李少君とともに嵩山に行く途中で、天帝の使者に会い、天神の太乙が李少君を呼んでいる〕という夢を見た。数日にして李少君は病死した。のちに武帝が李少君の棺を開けさせてみると、屍は無く、衣冠だけが残っていた》。

もっとも壺公と費長房が死んだ後に、棺の中には屍がなく、それぞれの名前を書いた杖が残ってたのも尸解したと言われていますので、どうなれば尸解なのかもはっきりはしていません。中国的な鷹揚さと考えるべきでしょう。

【参考】

『任渭長木刻画四种』<学苑出版社、中国>
『酒牌』<山東書籍出版社、中国>
野口定男他訳『史記』(中国の古典シリーズ、平凡社)
本田済訳『抱朴子』(中国の古典シリーズ、平凡社)
維基文庫@web

【関連】

碧山雑文 ~ 道家
   老子の言葉によった『老子』解釈を中心としてます。
   その他道家関連の事々について書いています。 

碧山雑文 ~ 中国詩文
   個人的に興味のある中国古典詩(漢詩)及び
   任渭長の版画が中心です。
   尚、最近始めた AI画像生成の作品を入れたものもあります。

碧山雑文 ~ 本邦漢詩文
   亀田鵬斎の一大傑作「酒仏経」だけは全訳註を行いました。
   その他はほとんど進んでいません。


いいなと思ったら応援しよう!