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「金縷衣(きんるい)」~ 杜秋娘

この詩の作者が「杜秋娘」であるのかは疑問の余地がないわけではないので、理で詰めれば《作者不明の民間歌謡》(『校注唐詩解釈辞典』)としておくのが無難であろうとは思いますが、好事家(ものずき)としてはやはり伝説の美女である杜秋娘の作として読んでおきたいところです。

<杜秋娘「金縷衣」 自作AI>

金縷衣 杜秋娘 訓読

勸君莫惜金縷衣   君(きみ)に勸(すす)む
            金縷衣(きんるい)を惜(お)しむ莫(な)かれ
勸君須惜少年時   君(きみ)に勸(すす)む
            須(すべか)らく少年(しょうねん)の
            時(とき)を惜(おし)むべし
花開堪折直須折   花(はな)開(ひら)いて折(お)るに堪(た)へば
            直(たた)ちに須(すべか)らく
            折(お)るべし。
莫待無花空折枝   花(はな)無(な)きを待(ま)って
            空(むな)しく枝(えだ)を
            折(お)ること莫(な)かれ   

「金縷衣」詩について

この詩は非常に華やかな感じがするためか、なにか退嬰的な雰囲気を持っているように解釈されることもありますが、詩の言っていることは《陶淵明の詩の「盛年不重來 一日難再晨 及時當勉勵 歳月不待人」と同一意である》(鹽谷)と解釈することも出来ます。

所詮は二十八文字の世界、自分が読んでそれをどう感じたかが一番大切です。

この詩の作者と伝えられる杜秋娘(本名仲陽)は、唐の時代の人で、十五才で鎮海節度使・李錡の妾となり、後に李錡が謀反を起こして殺害された後、官に没収されて後宮に入れられ、時の皇帝憲宗に寵愛され、秋妃に封じられました。

憲宗が亡くなってその子穆宗が即位するとその息子(後の漳王)の傅姆(ふぼ、養母)に任命されました。後、政治的な陰謀により漳王は王位を削られ、杜秋娘も故郷に帰ることになった、と杜牧が「杜秋娘詩并序」を残しているので今に彼女の生涯が伝わっています。

<杜秋娘「金縷衣」 『詩与画』>

この詩の華やかな雰囲気は第一句の「金縷衣」という言葉に在るでしょう。

「縷(る)」という字は元の意味が糸で、今では「一縷の望み」といった時に使われる程度です。

金の糸で織った着物ですから当時でも相当に高価なものだったでしょうし、さらにそんな豪奢な着物を杜秋娘のような美女が来ている状態を想起させますので、それだけでこの詩のイメージが出来上がってしまいます。

「金縷衣」詩の訳

この詩を佐藤春夫さんは「ただ若き日をおしめ」の題で訳しておられます。

「ただ若き日をおしめ」(「金縷衣」詩の訳)
勸君莫惜金縷衣   綾にしき何をか惜しむ
勸君須惜少年時   惜しめただ君若き日を
花開堪折直須折   いざや折れ花よかりせば
莫待無花空折枝   ためらはば折りて花なし
(佐藤春夫『車塵集』)

私個人の話になりますが、佐藤春夫さんの中国詩の訳詩が好きです。『古長自愛集』も好いですが、支那歴朝名媛詩抄と副題の付いた『車塵集』が素晴らしいと思っています。是非一読を。

佐藤さんの名訳を載せた後に私が下手な自分の訳を載せるのはなんですので、今回は遠慮させていただきます。

<杜秋娘「金縷衣」 『彩図』>

李錡という男

余談ということになりますが、この杜秋娘を囲った李錡という男は、まぁ男ならこんな生き方もしてみたいもんだと思えるように生きた男です。

唐の宗室の一員として生まれ、若くして権勢を極めてやりたい放題。安史の乱以後の節度使と言えばまぁ一種の地方分権政権、しかも皇帝の一族につながるとなれば、ほとんど無敵。皇帝に逆らわない限りどう好き勝手をやっても、誰にも止めることのできない立場です。

しかし、李錡はその兵権を中央政府に没収されそうになって叛乱を起こして、鎮圧されてしまいました。

死亡時の年齢が六十七歳というのですから、そこまで無理して、叛臣伝(新唐書 卷二百二十四上 列傳第一百四十九上 叛臣上)に名前を載せられるまで頑張ることもなかっただろうにと思ってしまいます。

李錡は本稿の主人公の杜秋娘を側室にしておいただけでなく、もう一人鄭氏というある意味杜秋娘の上をゆく美女をも側室にしていました。

鄭氏も杜秋娘と同じく官に没収されて後宮に入れられました。そして杜秋娘と同じく憲宗に寵愛され、男の子を生み(李忱)、この子供が後に宣宗として皇帝になりました。したがって、鄭氏は憲宗孝明鄭皇后と諡を賜り、正史に記載されることとなりました。

「処女崇拝」は東洋にはなかった

余談のさらに蛇足となりますが、近頃の小説類ですと、中国の皇帝の後宮に入れられる時に「処女かどうかの検査をした云々」といった風に書いてあるものが見受けられますが、この杜秋娘や鄭氏の話もそうですが、昔の中国人はどうもそういった事をあまり気にしていなかったように思われます。

日本でも一時「処女」なるものが価値があるように言いふらされてきましたが、明治の頃に「田舎侍の偏屈な思い込み」と「遊女の無いものねだり」が海の向こうからやってきた「耶蘇信仰」に触れて奇妙な化学反応を起こした結果としか思えません。

蛮族の原始宗教である「耶蘇」の場合、「処女懐胎」というオカルト要素を教義の一部としている以上、建前上「処女に価値がある」と言わざるを得ないところがあります。

東洋では、中国や日本の歴史をちょっと読めば、古くからあったものではないことがすぐに解ります。

学校の歴史では決して教えてくれませんが、中国だったら正史の后妃伝等を覗けば杜秋娘のような話があちこちに出てきます。日本でも、手軽に江戸時代の話を見たかったら(ちょっと真偽のほどは確認が取りづらいところがありますが)三田村鳶魚さんの本にいろいろ書いてあります。

【参考】

周海褊注『彩図 唐詩三百首』(海洋出版社、北京)
上海辞書出版社編『詩輿画 唐詩三百首』(上海辞書出版社、上海)
松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』(本項担当 山崎みどり、大修館書店)
鹽谷温『唐詩三百首新釋』(書籍文物流通会)
松浦友久・植木久行『杜牧詩選』(岩波文庫)
佐藤春夫『春夫詩抄』(岩波文庫)
『古今宮闈秘記』(中国筆記小説文庫、上海文藝出版社)
三田村鳶魚『公方様の話』(三田村鳶魚全集第一巻、中央公論社)
酒井順子『処女の道程』(新潮社)

【関連】

碧山雑文 ~ 道家
   老子の言葉によった『老子』解釈を中心としてます。
   その他道家関連の事々について書いています。 

碧山雑文 ~ 中国詩文
   個人的に興味のある中国古典詩(漢詩)及び
   任渭長の版画が中心です。
   尚、最近始めた AI画像生成の作品を入れたものもあります。

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