羅郁(らいく)~ 列仙酒牌
【讃】塵覊勞勞、執能割吾頭、贈之以條脱
(酒約)羅珍玩者飮
中国は、古代より「神州」と呼ばれ、神仏にとっても重要な神伝文化を繰り広げてきた大地です。中国の古書には、神仙にまつわる物語が数多く記載されています。
こヽで取り上げる羅郁もその一人です。お話の中では美しい仙女萼緑華として表れています。大筋は『太平廣記・巻第五十七』萼緑華によっています。

萼緑華(がく・りょくか)は、年は二十歳くらい、上下青い衣を着た、非常な美人の女の仙人です。
普の穆帝の升平三年己未十一月十日の夜、萼緑華は羊権の家に突然現れました。萼緑華は南山に住んでいると言っていましたが、羊権にはどんな仙人なのかわかりませんでした。これ以降萼緑華は羊権の家に月に六回来るようになりました。
羊権は普の簡文帝の時に黄門侍郎を務めた羊欣の先祖であり、羊権は羊欣と同じように道教の教えを修め、深く道教に心酔していました。
緑華は「私のもともとの姓は楊です。昔九嶷山で得道した際には羅郁と言っていました。前世で師母となりましたが、乳婦を毒殺したりしたため、まだその罪が消えず、しばらくの間臭く汚れた世界に流されたのです。」と言い、自分の過ちを償うとして、羊権に詩一篇と火浣布のハンカチ、黄金製と玉石製の腕飾りを贈りました。その腕飾りは大きな指輪に似ており並外れて精密で美しいものでした。

緑華は羊権に「私がこヽに来ていることを、誰にも言ってはいけません。漏らしてしまうことは罪に当たるのです」と言って次のように話しました。
「道を修める者にとっては、美しい服もぼろ雑巾と同じです。爵位は旅人のようなもので通り過ぎて行くだけで、宝物なども小石と同じです。思わず、慮らず、事をおこさず、無為に務めなさい。そうすれば人の行けない処に行き、人の学べない所を学び、人の実行できないことを行い、人の得られないものを得ることができます。私がどうしてこんなことが出来るかといえば、世の人は好みや欲でなにかを行いますが、私は私一人の道を行きます。世の人は俗世間の仕事をしますが、私はそんなことにかかわり煩らわないことを学びます。世の人は名声や利益に励みますが、私は心の修練に務めます。世の人は老いて死にますが、私は長く生きられます。だから私はもう九百歳になりました」
そして、羊権に尸解の薬を授け、羊権はこれを飲んで、姿を隠して形を変え、今は湘東の山の中に住んでいるそうです。
【讃】塵覊勞勞、執能割吾頭、贈之以條脱
この世で出世しようなどとあくせくしている頭をかち割って、正しい道を悟ることのできるよう、腕輪を贈る。
(酒約)羅珍玩者飮
條脱(腕輪)は珍しい物だから、そういったもので飾っている人は酒を飲め。
なにぶんにも元々の文に錯誤があるのか(言い訳です)、ちょっと読み切れないところもありますので、【煩注】に『太平廣記』の文章および成寅さんの解説 (『中国神仙画像集』)を入れておきました。私の文で訂正が必要でしたらお教えください。
【煩注】
萼綠華 太平廣記卷五十七
萼綠華者。女仙也。年可二十許。上下青衣。顏色絶整。以晉穆帝昇平三年己未十一月十日夜降於羊權家。自云是南山人。不知何仙也。自此一月輒六過其家。權字道學,即晉簡文黃門郎羊欣祖也。權及欣。皆潛修道要。耽玄味真。綠華云。我本姓楊。又云是九嶷山中得道羅郁也。宿命時。曾為其師母。毒殺乳婦。玄洲以先罪未滅。故暫謫降臭濁。以償其過。贈權詩一篇。並火浣布手巾一。金玉條脱各一枚。條脱似指環而大。異常精好。謂權曰。慎無泄我下降之事。泄之則彼此獲罪。因曰。修道之士。視錦繡如弊帛,視爵位如過客。視金玉如礫石。無思無慮。無事無為。行人所不能行。學人所不能學。勤人所不能勤。得人所不能得。何者。世人行嗜慾。我行介獨。世人行俗務。我學恬淡。世人勤聲利。我勤内行。世人得老死。我得長生。故我行之已九百歳矣。授權屍解藥。亦隱景化形而去。今在湘東山中。<出『真誥』>
『中国神仙画像集』での解説

【参照】
『任渭長木刻画四种』(学苑出版社、中国)
『酒牌』(山東書籍出版社、中国)
『太平廣記・巻五十七』(中華書局)
成寅編『中国神仙画像集』(上海古籍出版社)
【関連】
碧山雑文 ~ 道家
老子の言葉によった『老子』解釈を中心としてます。
その他道家関連の事々について書いています。
碧山雑文 ~ 中国詩文
個人的に興味のある中国古典詩(漢詩)及び
任渭長の版画が中心です。
尚、最近始めた AI画像生成の作品を入れたものもあります。
碧山雑文 ~ 本邦漢詩文
亀田鵬斎の一大傑作「酒仏経」だけは全訳註を行いました。
その他はほとんど進んでいません。
