第17話 それでも、人は歌った。 ― Barco Negro(暗いはしけ)―

ポルトガル語は分からない。
若い頃から何百回も聴いてきた『Barco Negro』も、私は好もしい音楽として聴いてきた。
だから、この歌が何を歌っているのか、本当の意味では知らないままだった。
ところが今回、旅から帰って初めて、映画のワンシーンを組み込んだYouTubeでこの曲を観た。
画面に映る女性の切ない表情。
その映像に重なるアマリア・ロドリゲスの歌声。
その二つが一つになった瞬間、私は初めて、この歌が語ろうとしている世界に触れたような気がした。

どこか跳ねるようなおキャンな太鼓のリズム。
それは悲しみに沈み込む伴奏ではなく、むしろ前へ歩き続けようとする生命の鼓動のようにも聞こえた。
だからこそ、その上に重なるアマリア・ロドリゲスの歌声が、いっそう切なく胸に迫ってきたんだろう。
私はポルトガル語が理解できない。
それでも、不思議なことに、この女性の切ない気持ちは十分に伝わってきた。
別れなのか。
待ち続ける苦しみなのか。
それとも、もう戻らない人への想いなのか。
言葉は分からなくても、その情念だけは痛いほど胸に響いてきた。
日本には、演歌がある。
人生の悲しみや別れを歌い、人々の心を慰めてきた歌だ。
私は、『Barco Negro』を聴きながら、どこか演歌にも通じる情念を感じた。
国は違っても、人は悲しみを歌に変えて生きてきたのではないだろうか。
しかし、ポルトガルを旅し、ナザレの海岸を遠望し、リスボンの石畳を歩き、人々の暮らしに触れ、歴史を知った今、私の耳にはまったく違う歌として響いてきた。

長い間、この歌を聴き続けてきた理由を、私は自分でもうまく説明できない。
ただ、この歌を聴くたびに、遠い中世のヨーロッパへ心が飛んでいくような、不思議な感覚だけは昔から持ち続けていた。
それは、ヨーロッパだけではない。
アフリカや中近東の文化が交わり、一つの歌となって私の心を揺さぶっていたのかもしれない。
だから私は、何十年もの間、この一曲に惹かれ続けてきたのだろう。
そして、その理由を、今回の旅が少しだけ教えてくれたような気がした。
旅は景色だけではなく、長年聴き慣れた曲の曲想さえ、私の中で変えてしまうものだった。
