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第7話 此処に地果て、海始まる

オビードスを離れ、黒のAUDIはさらに南へ向かった。
 リスボンへ向かう旅である。
 だが、その前にまだ立ち寄るべき場所が残されていた。

 高速道路へ入ると、何ヶ所かで事故渋滞が発生していた。
 思うように進まない車列の中で、私はぼんやりと車窓を眺めていた。
 すると、ドライバー氏が何か気を利かせたのだろう。
 カーラジオの選局を変える。
 流れてきたのは、ファドだった。
 しかも、アマリア・ロドリゲスである。
 低く、深く、どこか人生の奥底を撫でるような歌声が、静かな車内を満たしていく。
 渋滞でさえ、不思議と苦にならなかった。
 ポルトガルという国は、こういう時に自然とファドが流れてくる国なのだ。

 やがて車はシントラへ入った。
 リスボンからわずか二十八キロほどの距離にありながら、その空気は首都とはまるで異なる。

山頂のPENA宮

 深い緑に包まれた山の中に、城塞や宮殿が点在している。
 町全体が世界遺産だというのも頷ける景観だった。
 観光客は多い。
 駐車場を探すだけでも一苦労であり、狭く急な坂道を何度も上り下りすることになる。

 それでも、人々がこの町へ惹き寄せられる理由はすぐに分かった。
 ここには、どこか現実感が薄い。

ムーアの城塞 無骨だ

ムーアの城跡へ向かう。
 七〜八世紀頃、ムーア人によって築かれた石造の城塞である。
 巨大な岩山に沿うように、長い城壁が尾根を走っている。
 重機などなかった時代に、どうやってこれほどの建造物を築いたのだろう。

時に石を砕き、時に自然の巨岩そのものを城壁の一部として取り込みながら、人は山そのものを要塞へ変えていった。
 人工物でありながら、どこか自然と同化している。
 だが、オビードスのどこかはんなりとした柔らかさに比べると、ここには堅固な城塞特有の荒々しさがあった。

城壁に囲まれて咲くアジサイ

城壁沿いの散策路には、アジサイが咲き乱れていた。
 だが、日本で見る紫陽花とは少し違う。
 こちらの花には、「紫陽花」という漢字よりも、むしろ「アジサイ」というカタカナ表記の方が似合うように思えた。
 鮮やかな色彩が、石造りの城壁と濃い緑の中に浮かび上がっている。
 その光景には、どこか南欧独特の強い光が宿っていた。

 シントラを後にし、さらに西へ向かう。
 やがて道路の先に、大西洋が見え始めた。
 ロカ岬――。
 ユーラシア大陸最西端の地である。

ロカ岬に立ち 遠く大西洋を望む

 断崖の上へ立つと、海から吹き上げる風が容赦なく身体を打った。
 眼下には、大西洋がどこまでも広がっている。
 その水平線を見ていると、「海の向こう側」という感覚が消えていく。
 海は、世界の果てではない。
 むしろ、世界の始まりだったのだろう。

Cabo Da Roca ロカ岬に立つカモンイスの詩碑

 岬には、有名な碑が立っている。
 そこには、ポルトガルの英雄詩人カモンイスの言葉が刻まれていた。
 “Aqui… Onde a terra se acaba e o mar começa”
 ――此処に地果て、そして海始まる。
 その言葉を目にした瞬間、私は妙に納得していた。

 この国は、地の終わりに立ちながら、なお海へ出て行った国なのだ。
 未知への憧れ。
 不安。
 孤独。
 そして、それでもなお前へ進もうとする意志。

 Fadoという歌の底にも、同じものが流れているように思えた。
 私はしばらく黙ったまま、大西洋を眺めていた。

 風は強い。
 だが、その風の向こう側にこそ、この国の歴史と精神が広がっているように感じられた。

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