逃げ芝
もしかしたら自分が知らないだけでこの世にあるのかもしれないけど自分の頭にふと浮かんだ造語である。最近自分がとにかく逃げているということについて書いてみようと思う。
1年ほど前までは後回し癖はあってもなんだかんだで期限前の火事場の馬鹿力的なもののおかげで後回しにしてもこなせていたし、何ならこの力のおかげで80点ほどのものを作り出す観点のみで言えば納期手前から準備するより直前集中型の方がタイパもコスパも良いのではないかと思っていた。調子が崩れてしまってからは、一旦何もかもいいやというフェーズがきて、そこから少し回復した頃にはやれることはやろうという気概は少し戻ってきた。ただ、この頃は間に合わなさそうなものを頑張って終わらせる力、言わば泥臭い努力をする力が完全に失われてしまった気がする。成果主義に苛まれすぎた結果、この努力をしたところでそれが成果に結びつくとは限らない→なぜ努力をするのかという問いに達してしまった感がある。とまぁこれらは全て言い訳に過ぎないのだが。今逃げているものを思うだけ上げてみよう。部屋の片付け、ゴミ捨て、単位取得、金銭獲得労働、次期以降の学習計画、人間関係の構築及び修復、自己分析と修繕、就活、人生設計、対人すること及び対話すること、自立及び自律、楽しいと思ったことに対して飛び込む準備、嫌なことのも向き合う準備。今自分が向き合っているのは本当に僅かなことしかなく、自分全体を包み込んでしまいそうになる程抱えきれないストレスの排水弁を一時的に開くかのようなストレス解消行動、食欲、睡眠欲を満たす行為、脳が考え込むのを防ぐための適当なSNSの垂れ流し、生理的行動、この程度しかない。生きてる意味はあるのだろうか。私の家の芝は完全に枯れている。隣の芝を仰いでみれば、そこは青く、水やりをした後が残っている。自分よりも楽しそうに生きている。楽しく生きたいけどそれをするための気力があまつさえ残っていない。分かる人にはこれだけで伝わるのだろう。座ることにさえ疲れを感じ、横たわっていることがかなり多い。外にいる時は無理して普通のフリができる一方、家に帰ると落差が大きくそれに絶望する。他の人の人生をずっと見れる訳ではないが、多くの人は自分より充実した毎日を送っているんじゃないかと思う。もうその芝は青々しくチクチクとした小さな刺激を与えることもなく、ただ暗黒の世界に引き込むだけだ。否、もしかすると私たちの方が芝を黒くしてしまったのかもしれない。
