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JICA海外協力隊のリアル 第7回「勉強だけじゃなかった」――58歳、訓練所で仲間と過ごした日々

58歳。

私は長野県駒ヶ根市にあるJICAの訓練所で、訓練生活を始めました。

前回の記事では、雪の駒ヶ根で出会った、かけがえのない仲間たちについて書きました。

今回は、その仲間たちと過ごした訓練所での日々について書いてみたいと思います。

訓練所というと、
「毎日、勉強ばかりしているんでしょう?」
と思われるかもしれません。

もちろん、勉強はしました。

これから向かうエクアドルで生活するために、スペイン語も勉強しなければなりません。

でも、訓練所で過ごした時間を振り返ってみると、私の心に残っているのは、勉強だけではありません。

一緒に笑ったこと。

一緒に食べたこと。

一緒に料理をしたこと。

そして、少しずつ仲間になっていった時間。

今回は、そんな訓練所での日々です。

雪の駒ヶ根訓練所

訓練所の一日は、点呼から始まる

駒ヶ根の朝は早い。

そして、冬の朝は……
とにかく寒い。

訓練所の一日は、まず点呼から始まります。

生活班ごとに人数を確認します。

「〇〇班、全員います!」

毎朝、きちんと確認する。

これも、任地に行ってからの安全確認につながる大切な訓練です。

点呼が終わると、旗を揚げます。

日本の国旗。
そして、JICAの旗。
さらに、その日ごとに違う国の国旗が掲げられます。

その国の国歌が流れます。

毎日違う国の国旗。
毎日違う国の国歌。

それを聞きながら、
「私たちは、これから世界へ行くんだ」
そんなことを少しずつ実感していたのかもしれません。

そして、国歌が終わるとラジオ体操。

基本は外です。

駒ヶ根の冬の朝ですから、防寒着は必須。

手袋も必須です。

「ラジオ体操をするだけなのに、こんなに着込むの?」
と思うくらいの寒さです(笑)。

防寒着を着て、手袋をして、外へ向かいます。

そんな寒い朝でも、ちょっと嬉しい日がありました。

雪が降っている日です。
雪が降っていると、ラジオ体操は室内になります。

「やった!」
と、心の中で思っていました(笑)。

外の寒さから解放されるだけで、ちょっと嬉しい。

そして、訓練所では、
「10分前行動」
も大切にされていました。

集合時間に間に合えばいい、ではありません。

10分前には、その場所にいる。

それが基本です。

最初の頃は、
「10分前って、結構早いな……」
と思ったこともありました。

でも、毎日繰り返しているうちに、それが当たり前になっていきました。

今振り返ると、
点呼も、
国旗掲揚も、
国歌も、
ラジオ体操も、
10分前行動も、

すべてが海外で活動するための準備だったのだと思います。

毎晩の点呼で起きた「大事件」

朝だけではありません。

訓練所では、毎晩も点呼があります。

これも、任地に派遣されたあと、自分や仲間の安全を確認するための大切な訓練です。

そんなある日の夜。

点呼の時間になっても、生活班の一人の女の子が部屋にいません。

「まだ戻ってきてないよ」
電話をしてみても、つながりません。

「どうしたんだろう?」
「何かあったのかな?」
みんなの顔が、だんだん真剣になっていきました。

生活班のみんなで探し始めました。

部屋にもいない。

電話にも出ない。

みんなで心配しながら、あちこちを探しました。

そして、ようやく見つけました。

いた場所は……
体育館。

そして彼女は、

ピアノを弾いていました(笑)。

どうやら、ピアノに夢中になって、時間を忘れてしまったようです。

見つかった瞬間、みんな本当にホッとしました。

でも、翌日。
今度は女性の訓練者だけで集まって、真剣に話し合いました。

「昨日みたいなことがあったら、みんなが心配するよね」

「どこかへ行くときは、誰かに伝えておいたほうがいい」

「連絡がつかないと、何かあったと思ってしまう」

笑い話だけで終わらせるのではなく、みんなで安全について考えました。

このときはまだ、点呼が持つ意味を、今ほど実感していなかったのかもしれません。

でも、エクアドルに来てから、その意味を改めて感じることになります。

エクアドルに来て、点呼の意味がわかった

実際にエクアドルに来てからも、安否確認の訓練があります。

私たち協力隊員は、月に一度、安否確認を行います。

例えば、
「本日〇時〇分、〇〇地域でマグニチュード7の地震が発生しました」
というように、実際に災害が発生したという設定で訓練を行います。

そのときに確認するのは、
「無事ですか?」

そして、
「今、どこにいますか?」

さらに、
「備蓄はありますか?」
など。

自分が無事かどうかだけではありません。

今いる場所や、必要な物資が確保できているかなども確認します。

訓練所で毎晩行っていた点呼。
あのときは、みんながちゃんと戻ってきているかを確認するものだと思っていました。

でも、実際に任地で生活してみると、その意味がよく分かります。

災害は、いつ起こるか分かりません。

だからこそ、何か起きたときに、

「私は無事です」

「今、ここにいます」

と伝えられることが大切なのです。

訓練所で経験した一つひとつのことには、ちゃんと意味があった。

そのことを、私はエクアドルに来てから実感するようになりました。

ちなみに、あの夜、みんなで必死に探した彼女は、本当にピアノを弾いていただけでした(笑)。

今となっては、忘れられない思い出です。

生活班で、まずは飲み会

訓練所での生活は、もちろん真面目なことばかりではありません。

生活班で、まず最初に行ったのが飲み会でした。

場所は中華料理のお店。
しかも、送迎付き。
そして、飲み放題付き。

もちろん、みんなでビールです(笑)。

座敷の席で、みんなで飲んで、食べて、しゃべって。
気がつけば大騒ぎ。

「訓練所に来たばかりなのに、こんなに盛り上がっていいの?」
と思うくらい、みんなで笑いました。

私はそのとき、ふと思いました。
「あれ? なんだか学生時代みたい……」

58歳になって、まさかもう一度、こんな学生のような時間を過ごすとは思ってもいませんでした。

でも、この飲み会で、忘れられない出来事がありました。

班長をしていた男の子が、酔いながら話していたときのことです。

お酒が入っていたこともあったのでしょう。

話しているうちに、彼の目から涙がこぼれました。

そして、
「僕は会社ではダメ人間なんです。でも、がんばります」
そう言いました。

私は、その言葉を聞いて、胸がいっぱいになりました。

この訓練所に来ている人たちは、みんな、それぞれの人生を背負ってここに来ている。

仕事で悩んでいた人。

今までの自分を変えたいと思っている人。

新しいことに挑戦しようとしている人。

そして、これから見知らぬ国へ行こうとしている人。

みんな、決して「何でもできる、強い人」ばかりではありません。

不安もある。

悩みもある。

自信をなくすことだってある。

それでも、ここに来た。

そして、これから海外へ行こうとしている。

私は、その姿を見て、
「みんな、すごいな」
と思いました。

「ダメ人間」なんて、誰が決めるんだろう。

少なくとも、私にはそうは見えませんでした。

涙を流しながらでも、
「がんばります」
と言える。

それだけで、十分すごいことだと思ったのです。

今でも、あのときの彼の言葉は覚えています。

そして、あの飲み会をきっかけに、生活班のみんなとの距離が、少し縮まったような気がしました。

最初は、ただの「同じ生活班の人たち」。

それが少しずつ、
「仲間」
になっていったのだと思います。

2回目は、仲間の誕生日会

次は、生活班のメンバーの誕生日会。

今度はロッジを借りました。

みんなで料理をすることになり、ピザも作りました。
生地を伸ばして、具材をのせて。
みんなでワイワイ言いながら作るピザ。

そして、ロッジのオーナーさんがイタリアン料理を作ってくださいました。

みんなで料理を作って、みんなで食べる。
それだけなのに、とても楽しい。

そして、そのロッジにはピアノがありました。

すると、ピアノが弾けるメンバーが演奏を始めました。

何人かが順番に弾いて、みんなで聴きました。

私はというと……
ピアノは、
「猫ふんじゃった」しか弾けません(笑)。

もちろん、私は演奏する側ではありません。

でも、そんな私も含めて、みんなで大笑い。
本当に楽しい時間でした。

そして、この日はバレンタインデー
女性陣から男性陣へ、チョコレートのプレゼントもしました。

すると男性陣が大喜び。

これまた大はしゃぎ(笑)。

勉強のことも、これから始まる海外生活のことも、一時忘れてしまうくらい、みんなで笑いました。

大量の人参から始まった、みんなの料理

そして、もう一つ忘れられない出来事があります。

訓練所では、語学の勉強だけでなく、課外活動もありました。

学校や施設、農家など、いろいろな場所へ行って活動します。

あるとき、班長が活動に行った農家から、大量の人参をいただいてきました。

本当にたくさんの人参です。

さて、どうする?

もちろん……
みんなで料理です。

人参ケーキを作ったり、
「にんじんしりしり」を作ったり。

大量の人参を前に、みんなで料理をしました。

この頃になると、もう最初の頃とは全然違っていました。

一緒に勉強して。
一緒に生活して。
一緒に飲んで。
誕生日を祝って。
料理を作って。
くだらないことで笑って。
困ったときには助け合って。

いつの間にか、私たちは本当の仲間になっていました。

そして、「昭和の会」ができた

生活班とは別に、もう一つの集まりもありました。

その名も、
「昭和の会」

昭和生まれのおじさん、おばさんたちで作った会です。

今思えば……
なぜ作ったんだろう(笑)。

あとから考えると、ただ飲みたかっただけなのかもしれません。

毎日の訓練は大変。
慣れない共同生活。
覚えられない語学。
これから始まる海外生活への不安。

そんな日々の大変さや愚痴を、
「わかる、わかる」
と言いながら、お酒を飲んで発散したかったのかもしれません。

あるいは、

「若者たちには負けないぞ!」

という気持ちだったのかもしれません(笑)。

ところが、いつの間にかメンバーが増えていました。

昭和生まれでも、少し若いほうのメンバーも加わってきて、
気がつけば、年齢なんて関係なく、とにかく楽しい会になっていました。

飲んで、
笑って、
愚痴って、
また笑って。

「こんなことで本当に海外に行けるのかな」

なんて言いながら、それでもみんな、それぞれの国へ向かう準備をしていました。

そして、いつの間にか私たちの合言葉になった言葉があります。

「2年後に必ず生きて帰ってくる」

これが、私たちの合言葉でした。

もちろん、本当に危険な場所へ行くという意味だけではありません。

慣れない国での生活。

言葉の壁。

文化の違い。

仕事の難しさ。

きっと、いろいろなことが待っている。

だからこそ、
「とにかく無事に2年間を過ごして、また日本で会おう」
そんな気持ちが込められていたのだと思います。

今振り返ると、あの言葉には、笑いの中に少しの不安も入っていたのかもしれません。

でも、不安だからこそ、みんなで笑っていた。

一人だったら心細いことも、仲間と一緒なら少しだけ大丈夫な気がする。

そんな力が、あの頃の私たちにはありました。

58歳で、もう一度「学生」になった

こうして振り返ると、訓練所で得たものは、語学や知識だけではありませんでした。

生活班の仲間。

昭和の会の仲間。

そして、訓練所で出会ったたくさんの隊員たち。

年齢も違う。

職業も違う。

これまで歩いてきた人生も違う。

それでも、同じ場所で生活し、一緒に食べて、一緒に笑っているうちに、少しずつ距離が近づいていきました。

58歳の私も、気がつけばみんなと一緒になって笑っていました。

「もう一度、学生に戻ったみたい」
そんな気持ちでした。

JICA海外協力隊になるために訓練所に来た。

だから、勉強しなければならない。

語学も身につけなければならない。

もちろん、それは大切なことです。

でも、あの場所で出会った仲間たちと過ごした時間は、私にとってかけがえのないものでした。

そして、楽しい時間の中でも、訓練は確実に進んでいきました。

いよいよ、私が一番苦手だったものとの本格的な戦いが始まります。

スペイン語です。

「¡Hola!」くらいしか知らなかった私。

58歳の私が、いったいどうやってスペイン語を覚えていったのか。

次回は、私のスペイン語訓練所での毎日について書きたいと思います。




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