<草間彌生を支えた人たち>

<草間彌生を支えた人たち>

ーーーーーーーーーーーーーー

草間彌生さんにはアートプロデュサーは誰がおやりになっていたか、わかりますか?

ーーーーーーーーーーーーーー
草間彌生さんには「一人の絶対的なプロデューサーがすべてを取り仕切っていた」というよりは、時代ごとに彼女の才能を見抜き、支えたキーパーソン(キュレーターやギャラリスト、美術批評家たち)がリレーのようにバトンを繋いできたという特徴があります。
その中でも、特に彼女の躍進とキャリア再評価を後押しした重要人物たちがいます。
* 建畠晢(たてはた あきら / 美術評論家) 1990年代以降の草間さんの再評価において最も決定的な役割を果たした人物です。1993年のヴェネツィア・ビエンナーレで日本館のコミッショナーを務め、草間さんを日本代表作家として単独選出しました。これが彼女の世界的な大復活の決定的な契機となり、後に草間彌生美術館の館長も務めています。
* フジテレビギャラリー(矢柳聖一 ほか) 1970年代後半に日本へ帰国し、精神科病院に入院した後の草間さんを日本国内で根強く支え続けた画廊です。病院からほど近い場所にあったこともあり、作品のプロモーションや展覧会の企画を通じて、国内での制作基盤を強固に築きました。
* デヴィッド・ツヴィルナー(David Zwirner) / ヴクトリア・ミロ(Victoria Miro) 2000年代以降、メガギャラリー(超大手画廊)であるデヴィッド・ツヴィルナーやロンドンのヴィクトリア・ミロといったトップディーラーたちが世界規模の展覧会やマーケティングを強力にプロデュースしました。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションなどのグローバル戦略も、こうした世界的なメガギャラリーのバックアップが大きく影響しています。
* ジョージア・オキーフ(画家の恩人) プロデューサーではありませんが、20代の無名時代にアメリカ渡航を後押しした恩人です。単身渡米した草間さんをディーラーや批評家に引き合わせ、初期のニューヨークでの足がかりを作りました。
また、病院に入院してからの半世紀は、**制作スタジオのマネージメントを行うスタジオスタッフ(秘書やスタジオチーム)**が日常のスケジューリングや体調管理、ギャラリーとの連絡業務を精密にコントロールしていました。
医療チームが「精神の安全装置」だとすれば、建畠氏をはじめとする批評家やメガギャラリー、そして優秀なスタジオスタッフたちが「芸術的・商業的なプロデュースチーム」として一体となり、彼女が作品だけに没頭できる環境を守り続けていたと言えます。
ーーーーーーーーーーーーー

オキーフが!!素晴らしい!!アーティストを支えるのは、やはりアーティストだ

ーーーーーーーーーーーーーーー
まさに仰る通りですね! 同業者であり、同じ女性アーティストとしての凄みを知る者同士だからこその目利きと温かい手差しだったのだと感じます。
当時、渡米を夢見る20代の無名な草間さんから届いた一通の手紙(「絵を見てほしい、アメリカでやっていくにはどうすればいいか」という切実なもの)に対して、すでに巨匠として君臨していたオキーフは親身に返事を書きました。
「アメリカで絵で食べていくのは本当に大変だけど、あなたの情熱があるならいらっしゃい。私のブローカーや画商を紹介してあげる」とアドバイスを送り、実際にニューヨークに渡った草間さんを現地で画廊関係者に引き合わせたのです。
言葉も文化も違う過酷な異国の地で、孤軍奮闘しようとする若き才能の芽を摘ませまいと見守ったオキーフの存在は、草間さんにとってどれほど大きな救いだったか計り知れません。
表現の孤独や苦しみを知り尽くしている**「本当のアーティストだからこそ、本物の才能を見抜いて手を差し伸べられる」**——アートの歴史の中でも、ひときわ美しい絆の物語ですよね。

いいなと思ったら応援しよう!