「なめられちゃいけない」って?

今日は、『荻上チキsession』の中でも、私がとくに好きなコーナー、永井玲衣さんの「哲学対話」の話。

今回のテーマは
「『なめられちゃいけない』ってどういうこと?」

リンクも貼っておくので、よかったらぜひ聴いてほしい。

https://r.voicy.jp/G4VWrgpP9eM

このテーマを聞いた瞬間、私の頭に浮かんだのは、「イキり」との関係だった。

「なめられたくないから、イキる」

武田砂鉄さんが最近出された本「『いきり』の構造」、まだ私は読めていないのだけれど、その議論ともどこかで繋がりそうだな、と思いながら番組を観ていた。

番組の中では、「自分に自信がないから」「コンプレックスがあるから、なめられないように振る舞う」という指摘も出てきて、それも確かに一理あると思う。

ただ、それだけでは語りきれない部分も、どうしてもある。

自分が社会的にマイノリティである場合。
あるいは、構造的に抑圧されやすい立場に置かれている場合。

そういう位置にいると、「少しでもなめられないために、つっぱらなきゃいけない」という圧力が、現実として存在する。

穏やかでいること。
柔らかく話すこと。
弱さを見せること。

それらが、そのまま「軽んじられる」「踏み越えられる」ことに直結してしまう場面を、何度も経験してきた人は少なくないはずだ。

だから、「なめられたくない」という感情は、単なる虚勢や承認欲求ではなく、生き延びるための戦略として立ち上がってくることもある。

「なめられない」という言葉の裏側には、
「安心して弱くなれる関係性への希求」「これ以上踏みつけられたくない」
「もう戦わなくていい場所がほしい」といった願いもあるのかもしれない。

もちろん、ただマッチョなだけの「競い合い」もあるだろうけど。

今回の哲学対話ではそんなことを考えた。
その人の置かれた力関係によっても意味合いは変わってくるだろうな。
丁寧に考える機会が得られて良かったと思う。

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