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史跡散歩|15代 応神天皇陵|大阪・羽曳野市|陵墓を歩く(2)

世界遺産〈百舌鳥・古市古墳群〉を散策してきました。



誉田御廟山こんだごびょうやま古墳 / 応神天皇  惠我藻伏崗陵えがのもふしのおかのみささぎ

羽曳野市誉田6丁目
築造  5世紀前半
前方後円墳:墳丘長425m  高さ35m (全国2位規模)
推定2万本の円筒埴輪が並んでいたと考えられていたほか、形象埴輪や魚形くさずり土製品が出土。

應神天皇 惠我藻伏崗陵えがのもふしのおかのみささぎ
井戸と手水鉢がありました
宮内庁書陵部  古市陵墓監区事務所
拝所に向かう参道の途中にある
この建物で『御陵印』がいただけます

第15代 応神天皇
誉田別尊ほむたわけのみこと
生没:200~310年(在位:270~310年)享年111歳 😵ご長寿‼
父:第14第 仲哀天皇(第4皇子)
母:気長足姫おきながたらしひめ(神功皇后)
皇后:仲姫なかつひめ
皇居:軽島豊明かるしまのとよあけ宮(現・奈良県橿原市)

母 神功皇后が新羅遠征からの帰路、築紫つくし蚊田かだで出産。
摂政であった神功皇后が崩御したあと皇位につきました。

日本書紀によると、即位11年、日向ひゅうが国の髪長媛かみながひめを娶ろうとしたが、子の大鷦鷯おおさざき皇子が髪長媛を見て恋心を抱いたので譲ったとか。

応神天皇の時代には多くの渡来人が来日しました。
秦氏の祖となる弓月君ゆづきのきみが大勢の民を率いて渡来し、養蚕や機織り技術を伝授。また、百済の学者 王仁わにが『論語』をもらたしたと伝わります。

天皇陵の周りには陪塚ばいちょうという古墳があるということを知りました。

陪塚ばいちょうとは
大型古墳に付随するような形で築かれている。
主墳に埋葬された首長の親族、従者などが埋葬された付属墳とみられているが、人体埋葬の痕跡がなく副葬品だけが納められた陪塚も多い。

仁徳天皇陵と巨大古墳の謎/水谷千秋 監修/宝島社

応神天皇陵の陪塚ばいちょう 8基

誉田丸山こんだまるやま古墳
羽曳野はびきの市誉田6丁目
築造  5世紀前半
円墳:墳径50m  高さ7m
応神天皇陵の拝所脇にあり付属墳とされる。嘉永元年(1846)発見された金銅製馬具は国宝。

二ツ塚ふたつづか古墳
羽曳野市誉田6丁目
築造  4世紀後半
前方後円墳:墳丘長110m  高さ9.9m

東馬塚ひがしうまづか古墳
羽曳野市誉田6丁目
築造  5世紀前半
方墳:一辺30m  高さ3.5m

栗塚くりづか古墳
羽曳野市誉田6丁目
築造  5世紀前半
方墳:一辺43m  高さ5m

墓山はかやま古墳
羽曳野市白鳥3丁目/藤井寺市野中3丁目
築造  5世紀前半
前方後円墳:墳丘長225m  高さ19m

西馬塚にしうまづか古墳
羽曳野市白鳥3丁目
築造  5世紀後半
方墳:一辺45m  高さ9.4m

向墓山むこうはかやま古墳
羽曳野市白鳥3丁目
築造  5世紀前半
方墳:一辺68m  高さ10.7m

⑧サンド山古墳
藤井寺市藤ケ丘1丁目
築造  5世紀後半
墳型不明

はじめて古墳巡りをスタートして、このときはまだ「陪塚ばいちょう」の存在どころか、古墳の知識がまるで無くて、こんもりした山を横目でスルーしたり、知らずに登って歩いたりしていました。😅


そんな、知らずに歩いた古墳のひとつ、応神天皇陵と道を挟んで大鳥塚古墳がありました。
すぐ側だけど応神天皇陵の陪塚ではないようです。

大鳥塚おおとりづか古墳 

藤井寺市古室2丁目
築造  5世紀前半
前方後円墳:墳丘長110m

元気な兄弟が走り回っていました 🏃‍♂️🏃‍♂️

MOZU-FURU CARD

世界遺産『百舌鳥・古市古墳群』の古墳や施設を訪ねて写真を撮り、配布場所で写真を提示するとカードがもらえます。(全67種類)

MOZU-FURU CARD
応神天皇陵古墳
MOZU-FURU CARD
大鳥塚古墳

探訪日 2025年4月29日(火・祝)
最後までご覧いただきありがとうございました。

*参考文献*
古市古墳群を歩く
編集・発行  古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録記念
仁徳天皇陵と巨大古墳の謎
監修 水谷千秋 /  宝島社

ビジュアル百科  写真と図録でわかる!天皇〈125代〉の歴史
かみゆ歴史編集部 編  /  西東社


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